軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

天災は忘れたころに…

集中豪雨で北関東に甚大な被害が出た。

≪鬼怒川氾濫、昔は穏やかなので「絹川」と呼ばれたらしいが、洪水が多く「鬼が怒る川」と呼ばれたらしい=産経から≫

被災された方々、特に稲刈の時期を前に襲われ、一年間の苦労が一瞬にして泡と消えた農家の方々の悲しみはいかばかりかとお見舞い申し上げる。
昨日午後は、TVの前から動けなかった。それは電柱やTVアンテナが乱立する危険極まりない現場で慎重かつ勇敢にも降下して救助する自衛隊員たちの姿に感動したからである。

自衛隊のみならず、消防も警察も後から参加した海保のヘリも、濁流逆巻く中でのホバリング技術を見て操縦能力が非常に高いことがわかる。


電信柱につかまって2時間耐えた60代の男性を救助した隊員が、今朝の産経に紹介されている。


≪鬼怒川の堤防が決壊した茨城県常総市で10日、濁流の中で電柱につかまり、助けを求めた同市の坂井正雄さん(64)をヘリコプターで救出した陸上自衛隊北宇都宮駐屯地の隊員2人が取材に応じ「ヘリから見ても疲労が分かった。できるだけ早く助けなければと思った」と振り返った。

 ヘリを操縦していた金子享弘1等陸尉(41)と、降下して救出に当たった中村洋介3等陸曹(26)が明かした。

 堤防を見に行った帰りに流されたという坂井さん。中村3曹は、パニック状態に陥ったとみて「大丈夫ですよ」と何回も声を掛けた。「ずっと水に漬かっていたため体力は落ち、言葉を発せられる状態ではなかった」と緊迫した様子を話した。

 坂井さんの体は冷たく、ヘリに引き上げてから機内の温度を調整した。

 2人は取材後「まだ助けなければいけない人がいる」と次の救助活動に向かった≫

茨城県常総市で電柱につかまっていた男性を救出した陸上自衛隊の中村洋介3等陸曹(右)と金子享弘1等陸尉=10日≫


この周辺の一連の救助活動を、TVのスクリーンショットから!






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国会議事堂周辺で、何やら喚いている反戦左翼の連中に比べると、同じ青年なのに、月とすっぽんほどの違いを感じる。
とりわけ安倍首相に対する“ヘイトスピーチ”を繰り返していた法政大学教授の感想が聞きたいものだ。


OBとしては見事な活躍ぶりが嬉しかったが、通常の訓練同様、淡々と活動していた若い隊員たちに改めて敬意を表したい。
総理も防衛大臣も、こんなに優秀な“軍隊”を持っているのだからもっと自信を持ってほしい。
何よりもしっかりと予算を確保して、せめて3交代制の余裕ある行動がとれるように人材確保に努めてほしいと思う。勿論警察も消防も、海保も同じである。



松島基地時代に、宮城県で起きた水害救助に活躍した第22普通科連隊(多賀城)に対して、県北部の東和町にある米谷小学校で、町主催の自衛隊に対する感謝状贈呈式が計画された時、自衛隊側は「代表者が受領に…」といったものの、町民は隊員さん皆さんに感謝の気持ちを伝えたいとして、会場を小学校の校庭に設定した。

そこで部隊は秋季演習からの帰途、小学校の校庭に整列したのだが、演習帰りだから武器携帯のままである。
処がそれを日教組の先生が姑息にも“盗撮”して「護憲平和センター」に通報した。勿論“仲間”の新聞記者にも伝え、新聞各紙は「陸自授業中に校庭で訓練」「宮城の小学校・町側の強い要望で」などといつものように煽ったから問題になった。
それに対して腰が引けた政府は、「教育上好ましくない」と文部大臣が国会で答弁したから、防衛庁は連隊長を処分しようとした。
ことほど左様に当時は反自衛隊活動が活発で、メディアを巻き込んで、ことあるごとに自衛隊を誹謗中傷した。

しかし当時は、産経のように正当に評価してくれるメディアは少なかった。
それどころか身内にさえも「やり過ぎだ」などと事勿れに徹してトカゲのしっぽ切りを応援しようとする有様。


翌年1月、仙台市で行われた東北地区自衛隊自衛隊関連組織の新年会の席上で、締めの乾杯音頭を指名された私は、壇上から一同を見渡して次のような“苦言”を呈した。
「本日は自衛隊協力会、OB会など錚々たる方々で構成される団体の集まりだが、一言苦言を呈したい。市民団体と称する少数左派団体は、ことあるごとに自衛隊を誹謗中傷し、メディアと共に国会で問題にして現場の誠実な隊員たちを誹謗する。
皆さん方は、このような大きな“団体”なのに、なぜ現役を援護しないのか!
相手は数名の“市民団体”に過ぎない。これに比べてこちらは数も組織もはるかに多いれっきとした常識的団体である。
皆さん方は、事あるごとに不平不満を口にするくせに、今回のようなときに、新聞社に抗議行動することなく、宴会場で軍歌をうたって気勢を挙げるだけだ。それは一向に構わないが、もっと現実的な行動を起こしてもらえないものか?

会場は賛同と笑い声で騒然となったが、降壇すると多賀城部隊のH連隊長と幕僚たちが寄ってきて「先輩、ありがとうございました!」と固く握手してくれたことを思い出す。


今回救助活動にあたった、中村洋介3等陸曹はじめ隊員たちは、救助する対象が左翼で反安保活動家であっても、“差別”することなく身を挺して助けに向かうのだ。「我々は差別されても、我々が国民を差別してはならない!」と私は現役時代に指導してきた。
それらのことを思い出しながら2次災害が出ないよう祈りつつ画面を見つめていたが、いつの間にか6時を過ぎていた。

今日も東北地方は危険だという。3・11から4年半目、9・11から14年目を迎えた。これ以上の被害が出ないように祈りたい。



丁度今、面白い情報が届いた。9・3抗日パレードで観閲官として行動した習近平主席に対して、シナの人民、特に若者たちからブーイングが起きているという。
長々と放映されるパレード画面を検索したところ、“習近平は「左手」で答礼している”というのである。
壇上では11回、巡閲(車で整列する部隊の前を行進)した時は13回、「頭右」する部隊に対して「左手」で答礼したのだそうな。

軍隊の敬礼は、世界中どこでも相手を見つめて右手で挙手するのが決まりである。2011年に死去した劉華清海軍上将はいつも左手だったらしく、2012年6月の胡錦濤時代に、条例で「右手」と定められたそうだが・・・。
インターネット上は「軍をばかにしてしているのか!」「馬鹿だ、軍を知らないのだ」「カメラがおかしいのじゃないか?それとも習か?」などとにぎやかだという。

私はウォッチャーに、「だって共産主義だから“左手”でいいのじゃない?」といったのだが、ギャグが通じなかったようだ。

≪巡閲する毛沢東に似せた人民服姿の習近平主席。この写真は右手だが…何やらヒトラーの答礼に似ているが“答礼”ではないか…=産経から≫


それに比べてわが自衛隊は、小粒ながらも精強だ。こんな素晴らしい国民の“財産”の価値を、一部メディアや、評論家、そして何よりも政治家たちが十分理解していないのだから、取り扱いは習近平並みとでもいうべきか…

しかし後輩たちよ、新渡戸稲造は「見る人の心ごころに任せおきて、高嶺に澄める秋の夜の月」と言った。
次元の低い世迷い事に惑わされることなく、超然と任務を遂行してほしい。
人手不足なのに、本当にご苦労様!

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