軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ブルーインパルスと自衛隊の活動

今日の産経は、改めて首都上空を”激励飛行”したブルーインパルスの”余談”を掲載した。それによると、提案したのは河野防衛相だという。米軍のアクロバットチームのワシントン上空飛行を知り、「日本でもこうした取り組みができないか」と乗り気になったので実現したのだとある。やはり”トップダウン”だったのか!と思った。
まず”控えめな?”幕僚幹部が提案しても、とても実現しないことは体験しているし、部内からも「やめとけよ」と同意されなかっただろう。もとより役人は発想だにしない。いい企画だから、トップダウンですぐに決まったのだろうと思われる。
それにしてもよく決断したものだ。
記事にもあるが、ブルーインパルスの飛行は、事あるごとに共産党などの”妨害”で潰されてきた。

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それは1982年11月4日の浜松基地における展示飛行中に墜落して、市民が負傷し操縦者が殉職した事故によるものでその後ブルーインパルス(当時はT-2)の飛行は安全対策が確立されるまでの間禁止された。そして航空自衛隊は、飛行高度や展示科目の変更(下向き空中開花の削除)など、日夜研究努力したが、なかなか国会の承認が得られず、1984(昭和59年)7月29日の松島基地航空祭から、それまで今回のような「航過飛行(水平飛行)」のみだったものがアクロバット飛行を含む展示飛行が再開されたのであった。

 

私が松島基地司令に着任した時、仙台市にある「平和護憲センター」なる組織から「訓練飛行反対」を叫ぶ数人が来訪したので面会したが、翌日の地方紙に写真入りで「木で鼻を括る回答」とたたかれた。しかし、当日の面会者の中に新聞記者はいなかったし、”バカチョン”で写真を撮っていた男がいたから、広報を通じて新聞社に「素人作文を素人写真付きで記事にするのか?」と厳重抗議させたことがある。この抗議は相当効いたらしく、その後重役があやまり謝りに来たようだが、私は飛行訓練中だったので監理部長に対応させた。
左翼の活動家はそれくらい新聞社と連携していた(今でも?)という証拠だが、その後クレームをつけることはなかった。むしろ矢本町町民の熱心な支援に気おされたのだろう!

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更に産経はこう書いた。

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さて、今回の武漢ウイルスでも自衛隊は全面的に支援活動をしたが、罹患者はゼロだったと驚かれている。
しかし、自衛隊の本来の業務は国家防衛である。コロナ禍が過ぎると、我が国周辺情勢は極度に緊張するし、すでに米中の戦いは始まっているから、下手すると”菌”ではなく”ミサイル”が飛んでくるだろう。
メディアもいつまでも無責任に「恋々と政府の失策」を挙げつらっているばかりではいけないはずだ。
国民生活が平常に戻り始めた時期である。国家防衛も平常に戻すべきである。

 

届いた書籍のご紹介

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これが今回の文部省検定官による”意図的なに不合格にされた自由社の教科書である。ブルー訓練反対!と基地に来たグループメンバーが今度は文科省に潜り込んでいるらしい。

慰安婦問題も、南京”虐殺”事案も殆ど日本の新聞社の捏造であったことはいまではわかっている。つまり、「敵は本能寺にあり」なのだ。

あまりにも見え透いた”妨害工作”なのにコロナ禍で国民はほとんど知らない。

そこで藤岡教授らは、公開討論会を実施するという。今まで一方的だった”左翼の攻撃”に良識人が”反撃するのである!見ものであるが、文科省からは来ないだろうな~!

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