軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

世界は冷戦後初の政治的「整理期」に入った

連日流れている「ウクライナ戦争」の情勢を見ていると、奇妙なことに気が付く。

 それは「作戦見積の不備」から状況判断を誤って、ウクライナに侵攻したプーチン大統領の判断力の‟欠如”もさることながら、その後2カ月以上続いている戦争の推移を見れば判る。

 米国は、通常ならば「国家機密」として一切隠蔽してきた情報を(UFO情報もそうだが)、今回は「積極的、かつ主導的」に流して、情勢を主導しようとしている様に見える

 もとより最終的には「核戦争を防止して平和に貢献する」為の戦略変更ということになろうが、「ロシアの戦術を先読みし」先回りして“友好国”と‟メディア”に流し、この戦争の主導権を確保しようとする作戦に出ているかのように見える。勿論、物理的にその「能力を備えている」から出来るのだが、このため、作戦を見誤った当のプーチン氏は、異常なほど神経質になり、揺さぶられ続けているといえる。

   下手すると核のボタンに手をかけないとも限らない。つまり、戦争の主導権を失ったため、プーチン氏は常に後手後手に回り、相手に対応する余裕を与えたほか、交際情報戦でも非難を一身に受けることになり不利になったのである。

支えてくれているのは、自国民の中の「偽情報」に踊らされた「シンパ」だけの様に見える。しかし、これも「金の切れ目…」で減っていくのだろう。

 2か月間で築き上げられたこの国際情勢は、冷戦後初のものだと言えそう簡単には変更できまいから、今後ともプーチン氏には“逆境”が続くだろうが「身から出た錆」だから仕方あるまい。

 その時彼は「どんな責任回避」をするのかが興味深い

 おそらく「米国の陰謀だ!」と言うに違いないが、その時は既に誰も信じまい。

 

 ところで「責任転嫁」は、彼のような国際的なものから、ごく身近なものまで、このところ指導者と言われる“人種”に溢れかえっている

 例えば、身近なものから言えば、知床観光船の運営会社の社長だが、どんな経緯で彼の様な”素人”が「多くの命を預かる企業の責任者」になったか知らないが、記者会見を見ていて開いた口が塞がらなかった。

 監督官庁も、書類審査だけで見逃し、実態を調査していなかったという重大な責任があろう。

 死亡した「船長」の責任にして“死人に口なし”とばかりに保身を図るこの男に、犠牲者たちの怒りは収まるまい。

 これに似た実例は既に大昔、自衛隊機と‟民航機”の空中衝突事故の裁判で実証されている。会社は自社の操縦者を弁護し、国は事故調査委員会という組織を使って、「事故の真因」ではなく“政治的判断”だけで自衛隊側を犯人に仕立て上げ、補償を自衛隊側(国費)に押し付けて一件解決した。

「正義を追求」せず、唯々諾々と?‟政治に従った”自衛隊側もだらしなかった…

 今回は同様な、同じ国土交通省管轄下における“同種”の事故である。関心をもって見ておきたい。

責任転嫁と言えば、こんな記事もあった。

 観光船だけではなく、金融業のトップもこんな感覚で“金集め”に狂奔しているのだ。全くあきれてものが言えない。

ところで「責任転嫁」と言えば、この国をおいては語れまい。

 まあどうでもいいことだが、こんな国が隣にあるということだけは国民に忘れてほしくない。わが国の地政学的な‟不幸”だといえるだろう。

 そこでロシアだが、ここも一筋縄ではいかない「責任転嫁王国」だ。産経抄氏はこう書いている。

 とにかく彼は“皇帝陛下”であるから、なんでも思い通りにならないと“ブチ切れる”様だから、米国のある程度の“融和戦略”は一時的に功を奏するかしないか、これも注意深く見ておくほかはない。

 それにしても我が国もいつからか「責任転嫁王国」になってきていて、「責任逃れ」の巧い者ほど出世するようになったようだが、大和民族がいつの間にか“サモシク”なったのが嘆かわしい。どこの国の影響だろうか?