軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

正義は邪悪に勝てるのか?

‟平和な我が国”では、大型連休も終わり、国民の多くにとって、あとは“新型コロナ”の蔓延拡大が気になるといったところだろう。しかし、大自然は人類の「気ままな争いごと」とは無関係に天体の動きと連携して芽を出し花を咲かせている。

人類が亡びた後を覆うのは、‟彼ら”のような無心な草花?(無心ではない?)なのかもしれない。人類が建造した人工物は、人類が消滅した後には「廃墟」となり、長年地球上を汚し続けて朽ち果てていく宿命にあるようだ。まるでウクライナの“廃墟”のように。

今日のロシアの“対ドイツ戦勝記念日?”にプーチンが何を話すのか?と世界中が注目しているようだが、彼は決して敗北を認めないだろう。強がりだけで生きてきた彼らしく、最後まで己の強さ?正しさを宣伝するに違いない。その強気をなくしたら、彼は終わりだからだ!

私はこのブログで、この戦が始まった当初、少なくとも「敵も己も知らない」彼の裸の王様ぶりを指摘したし、「プーチン敗れたり!」と巌流島を例に挙げて指摘してきたが、産経のオピニオン欄に湯浅記者が「ロシアの戦略的な敗北シナリオ」と題してこう書いている。

 

如何にロシア国民が○○だとしてもこんな指導者に支配されていたのでは、21世紀を生き抜けまい。まるで、何時までも第二次世界大戦の“勝利?”に酔っている、愚かな指導者と国民ぶりが目に見える。ロシアの言う対ドイツ戦、言わゆる大祖国戦争は、戦史に明らかなように米国の支援無くしては決して勝てなかったのだ。

湯浅記者は最後に「正義は邪悪に勝利できるのか」と自らに問う形で自由社会は自らの力で勝利を手繰り寄せなければならない」と結んでいるが、これはノー天気な日本国民への警鐘でもある。ロシアのみならず、“花火を打ち上げて喜ぶ”指導者が、まだ他にもいるからである。

日露開戦に当たり、明治大帝は「四方の海皆同胞…」と嘆かれたが、人類はとてもそんな段階に至っていないのだ。

私が尊敬してやまない三島由紀夫氏は、地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安をSF的技法で描き、著者の抱く人類の運命に関する洞察と痛烈な現代批判に満ちた異色の思想小説「美しい星」の中で、主人公の口を通じて、人類が滅んだあとの墓碑銘に次のような「人類の言葉」に翻訳した文を書くとしている。

 

地球なる一惑星に住める人間なる一種族ここに眠る。

彼らはなかなか芸術家であった。

彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用いた。

彼らは他の自由を剥奪して、それによって辛うじて自分の自由を相対的に確認した。

彼らは時間を征服し得ず、その代わりにせめて時間に不忠実であろうと試みた。

そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知っていた。

ねがわくはとこしえなる眠りの安らかならんことを

今、人類の愚かな殺し合いを見つつ、「偉大なる愚か者・人類」というエッセイでも書こうかな?と感じているところである。三島が指摘したのは全人類なのであって、「一種族」が日本民族ではないことを祈るが・・・

 

さて、ウクライナ侵攻という火をつけて狼狽えているP氏はどんな“演説”をすることやら…