軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

雉も鳴かずば撃たれまいに…

今私は、TVモニターに映る各種の映像を離れて、U/チュウブの「ストリート・ピアノ」画像に取りつかれている。

ワイドショウ、特にニュース番組なんぞ、コメンテーターの「口から出まかせ」番組にすぎず、地道に情報を収集して、簡潔な「画像」をスタジオに提供している「作業員(自衛隊ではそう呼んでいた)」の努力も、コメンテーターの傲慢さで無用になるのだから、すべては「やらせ番組」の一つだと思っているが、ストリート・ピアノ初め、楽器の演奏にはごまかしがきかない。勿論、中には示し合わせた仲間達で‟演奏”する場面もないではないが、楽器には嘘はつけない。

小学生から大人たちまで、人前で堂々と演奏するのが羨ましいし、楽しそうである。

 

ところがロシア民謡で名高かったロシアには、今やそれがなくなってきているように感じる。

プーチン氏や近平氏が、楽器を演奏したり独唱する画像は見たことがない。どうせヤラセだろうし・・

やはりこれらの国には「文化大虐殺」が横行するものらしい。上が上なら下も下!なのだ。

時事通信によると、ロシアが一方的に併合を宣言した南部へルソン州で、地元オーケストラの首席指揮者ユーリー・ケルパテンコ氏をロシア軍が射殺したという。

【ロシア側はヘルソン州での「平和的な生活の回復」を示すため、「国際音楽の日」の今月1日に地元オーケストラによるコンサートを開くことを計画した。しかし、同氏は「占領者への協力を断固拒否した」という。】

いよいよロシアも末期症状を呈してきたらしい。

ロシアにおいても、芸術家‟大虐殺”、つまり「人間性抹殺=文化大革命」が始まったのだ。人間性を無視し、殺しあっていることのどこに生きがいを感じるのだろう?

一部の報道によれば、一部動員?された者に対して「投降ホットライン」なるものがあり、戦線から離脱するための投降を呼びかけているそうだが、私は「投稿」と勘違いしていた。

 

繰り返しになるが、この戦争は、今年2月にプーチンが勝手に始めたもので、攻め込まれたウクライナ側としては怒り心頭に発しているだろう。だから国民は一致して、ロシアに抵抗しているのだ。しかも脆弱なウクライナ軍が「反撃」に出たというのだから素晴らしい。

プーチン氏は己の情報見積もりが不十分であったにもかかわらず、攻め込んで見たものの、逆に反撃されて、今や世界中から軽蔑され敵視されている。自国民さえ“さじを投げて”外国に逃亡するありさまだ。

プーチン氏は知らないだろうが、日本のことわざには「雉も鳴かずば撃たれまいに…」というのがあることを。

 

国内での厳しい募集?(人間狩り)体制から逃れるためには、素直に従って出陣したうえで、戦地で「投降する」のも一法だろうが、そこまで超大国・ロシアは落ちぶれたのだ。

共産・専制・独裁国の末路を示していて興味深い。党大会が終わったシナも、ロケットマンが嬉しがっているだけの北朝鮮もそうだ。どうしてこんな“落ちこぼれ”が、一国を指導するの立場に立つのか実に不思議だ。

そして失敗すれば、自分のことは棚に上げて「他人のせいにする」のも一緒だから、「マッチポンプ」で、「自作自演」が得意なのはこんな体制の国の指導者に共通している。

もう一つ共通しているのが「文化破壊」だ。国柄が如何に「殺伐」としているかという証拠だろう。かってロシアには世界に名だたる小説や、音楽があったものだが、共産主義国になって以降、文化の種は枯れ果てしまった。シナにも北にもそれと同じことがいえる。つまり「文化破壊」だ。

これが「プーチンの正義」であるとしたら、国民が「国外逃亡」し、「投降」するのも当たり前だろう。この雰囲気もこの3国に共通している。どこが「人類の楽園か!」

 

以前読者が、「死ねばそれで終わりです」と書いてくれていたが、これら3人にはなかなかそれが“適用”されないものらしいから腹が立つ。

腹は立つが、如何ともなしえないのが実際だから、ここではこれらの“大国”に関する産経抄氏の‟嘆き?”でまとめておくことにしよう。

産経抄氏は「もはや軍隊の体をなしていないのではないか」と書いたが、この国の軍隊?は、囚人や殺人者の集合体で、もともと軍隊ではないのだ。「殺人鬼集団」と呼ぶのがふさわしい。昔は「キチ○○に刃物」と言った。

 

 

届いた書籍のご紹介

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法研究会会長の家村君の大著である。

早速今朝の「宮崎正弘の国際情勢解題」通巻第7495号に宮崎氏が【憂国の書は没後六十年、世間から相手にされなかった幕末に蘇った林子平の先駆的国防論、現代語訳で復活】

家村和幸・編著『現代語で読む林子平の「海国兵談」』(並木書房)と題して紹介しているが、最後に「異国人と戦う上で最も重要な心得がある。異国人は血戦が得意ではないので、種々の奇術奇法を設けて、互いに相手の気力を奪うことに努める。その国人同士はそれを見抜いて心構えもできているが、そのことを知らない日本人は彼らの奇術に遭えば、恐れ入ってじつに肝を奪われ、臆病を生じて、日本人の得意とする血戦さえも弱くなってしまうのである」【とあるが、まさに白村江がそうであったとし、現代日本、国防論花盛りだが、本書は国家安全保障議論の原典と言える】と書評を書いてあるからそれに替えたい。