軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「武士道とは、死ぬる事と見つけたり」

ようやく「君たち、中国に勝てるのか」(産経セレクト)を購入して、一気に読破した!

阿比留氏の記事(12日の記事)には

【兼原氏が「戦争が始まれば、自衛隊の犠牲は免れません。みんな家族がいる。安倍総理は、自分がその最高指揮官だという気持ちがとても強かった。そんな指導者は戦後、鼓腹撃壌となった日本にはいませんでした」と解説した後、岩田氏も同書で「安倍総理から『日本は勝てるのか』と言われましたが、この質問をしたのは、これまで安倍総理一人だけです」と述べている。】とあるだけで、前述の書には、たったこれだけの内容しかないから、岩田氏らがどう回答したかは不明である。だから想像する以外はないので、これ以上の“詮索”はしないことにするが少なくとも自衛隊が「最大戦力」を発揮して戦うためには「新憲法の壁」が大きく立ちふさがっていることを「進言、または元総理が「指摘」したとは考えられない。

 そこでこの書の書評を書いた宮崎正弘氏も、【さて本書を読んでさすがに防衛のエキスパートの議論だけに、日本防衛の問題点、その脆弱性が精密に把握できる。近代的合理主義に立脚した,緻密な防衛議論だが、読後の感想はと言えば「菊花の香りがしない」である。さはさりながら現代日本防衛の問題点とは、法律の未整備、省庁間の統合のなさ、最高司令官と自衛隊との倒幕的ネットワークが不在。

 そのうえ戦術的なことを言えば武器弾薬不足、国内の中国の代理人への対策が不在、戦争準備段階で、まず行うべきことは「国内の敵」の排除ではないのか。法律などあとから変えれば良いのであって緊急事態には超法規的な措置を執る必要があり、またそのため訓練が欠かせない。】と書く以外にはなかったのだろう。

いささかこの本は”奇をてらった”タイトルが先走っている気がした。

ところで、報道によれば、在沖米海兵隊が離島の災害救援訓練などのため、沖縄県宮古島市にある下地島空港の使用を県に申請したところ、県が許可せず、使用を断念したことが19日、分かった」とある。

 私が沖縄勤務の時には、地元から「下地島防衛庁が管理してほしい」と非公式に打診されたことがあったが、この時は防衛庁の方が反対運動を懸念していて取り合わなかったことがあった。その後地元議会の「下地島空港自衛隊利用」について賛否を問う投票が「一票差」で否決された経緯があった、と聞く。

宮崎氏の論を適用すれば、このように「国内の敵」はいまだに多く潜在しているということか。

 

あれから26年余、南西方面が風雲急になっても未だに変わりがないというようでは、勝てる戦闘にも勝てるはずはない。

普天間基地の代替工事も進んでいないのだから、沖縄県民は真剣に領土防衛を期待しているのか?それより「首里城の修復」の方が最優先事項なのか?と疑問に感じる。

自衛隊は未だに「警察予備隊的存在」で、自衛隊員自身がやる気を失いつつあるのだから、“敵”の熟しガキ作戦は功を奏していると言えよう。

偶々産経にこんな記事が出ていた。

今、同じ共産専制主義国のロシアが、占領地で行っている暴虐行為である。シナも同じ「共産専制主義国」である以上、ウイグルや香港でやっている、これと同様な行為をすることだろう。

しかし「沖縄だけは違う」というのならば、自分で自分たちの島を防衛すればいい。

安倍元総理だったら「君たち、本当に守れると思っているの?」と県民に聞いただろう。

 

自衛隊は列国軍隊と同様な実力を持って居ることは、過去の中東派遣などで実証済みであるが、法制的には「警察予備隊」に過ぎないのだから、その落差を埋めて実力を十分発揮できる組織にするのが「政治家の使命」であり、少なくとも「武士の端くれ」として、「武士は死ぬことと見つけたり」だという精神を維持して、日々訓練に励んでいる隊員たちに、最高指揮官自らが「勝てるのか?」などと問いかけるような無礼な行為をしないようにしてほしいものだ。

最近目立つ「自衛隊員たち」の不祥事にも、関連しているように思われてならない。

 

ついでに拙著を紹介しておきたい。タイトルは「安保体制」になっているが、中には「国家とは。国防とは何か」について書き、結論は「憲法によって国防意識は低下させられた」ことを証明し、そして「まっとうな軍隊にするための提言」を書いておいた。

現有戦力の差だけではない。「何から何を守るのか」が不明では「勝つ、負ける」を言う段階ではない!と言いたかったのだ。