軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

台湾軍の組成

宮崎正弘の国際情勢解題」12月4日号に、【台湾軍はなぜ利敵の風土があるのか】と題する記事が出た。

 その昔、「大陸」「台湾」などと「安保対話」を定例的に行っていた岡崎研究所の一員であった私は、当時を懐かしく思い返すとともに、おそらく日本人のほとんどは理解できないだろう、と感じた。

 記事には【11月27日、台湾検察庁は退役ならびに現役軍人の十人を中国スパイ容疑で起訴した。

高等検察庁は「国家反逆罪」であり、容疑者らに終身刑を求刑した。なかには台湾北部の防衛を任務とする攻撃ヘリコプター飛行隊と精鋭戦闘部隊で構成される航空特殊部隊第601旅団の隊員が含まれる。また一人の容疑者は東海岸防衛の花東防衛司令部に勤務後、金門防衛司令部、金門と馬祖の防衛を担当。ほかの一人は桃園に拠点の陸軍化学物質・バイオハザード放射線訓練センターで化学兵器生物兵器に対する防御を任務とした。

現役兵士が中国共産党に忠誠を誓うのは極めて悪質な行為だ」とした高等検察庁は【容疑者のうち3人は「中国向けのネットワークを構築する」ために軍事情報を収集するために現役軍人を募集したと述べた(以下略)】とある。

 取り込まれるスパイのほとんどは「金銭目的」であることは事実だが、記事に検察庁が【個人的な貪欲さのため、彼らは軍事機密や国家機密に関連する多数の文書や資料を漏洩、伝達することで国家と国民を裏切り、国家の安全に重大な損害を与えた。これらの容疑者が反逆罪を犯して現役の同僚兵士を裏切った経緯を指摘するのは痛ましいことだ】とあるように、問題は「意識的に中国向けの情報収集に協力」していたかどうかである。

 

1999年2月に、「台湾出身軍人軍属慰霊の旅」に個人的に参加した私ら夫婦は、家内の祖父が昔「澎湖島の砲兵隊司令官」であった事から、台湾旅行の足を延ばして、祖父の足跡を求めて澎湖島を旅したとき、「案内人」と称する、退役少将に「迎賓館」を隅々まで案内してもらったが、北側の部屋に来た時、彼は「ここからは、天気のいい日には大陸が見える」と言い、ぽつりと「私の故郷はあそこだが、今は戻れない。両親の墓参りもできない」と涙ぐんで呟いたのを見た。つまり彼の「望郷の念」である。

 同行してくれていた台湾人の「現役少将」らは理解できなかっただろうが、人間とはそういったものだと痛感した。

 

 その後「日中安保対話」で上海に滞在した時、上海の研究員が「ここのホテルには毎週台湾の退役将軍たちが6名ずつ来て泊まっている」といったので、「解放軍は台湾軍と交流があるのか?」と聞くと「もちろん退役した幕僚たちです」という。どうして6人?と聞くと、「4人はマージャン、他の2人は買い物です」と平然と答えたから驚いたものだ。

「退役後」とはいえ、元高級幹部たちである。「じゃ、情報もとれるな?」「台湾を併合した時には、彼らは堂々と台湾を寝返るか」と言ったら笑って答えなかった。

 しかもおそらく公安は彼らの動きを掌握しているに違いないのだ。

 

 そんな【「複雑な」台湾情勢を知らない「特に今の日本の政治家らは、全く頓珍漢な対応をして恥じない!】と友人であった蔡昆燦氏から強烈なクレームが来たものだ。

 李登輝氏が「台湾総統」になった時、微妙な時期だったから大陸人に関する発言を控えていたが、彼の信念は変わっていなかったものの「新台湾人」などという造語に日本のメディアは浮かれていた。

 当時8割を超えていた「旧日本国民」である台湾人を、2割にも満たない蒋介石の敗残軍が占領して支配下においたのである。もちろん「武力」で。

 その悲劇は「228事件」などに詳しい。

 

 振り返って我が国はどうか!田中角栄は平然と台湾を切り捨て、今や政府の中には、いずれ切り捨てられるであろう「親中派」が跋扈している有様。

 やがていつかは日本も台湾のようになるだろう・・・。

 その時に誰が「台湾の」国民党員に成り下がって、「大陸人」と仲良くしようとするか見ものである…

 

 台湾危機が叫ばれて久しい。しかし、日本人が親近感を覚えている「台湾」の中の複雑な人的構成の謎を理解しているか気になるところだが、歴史を「抹殺され全く学んでいない」日本人には期待できないと思う。