軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

抜け落ちている「歴史教育」

今日の紙面には、注目するものはない。平穏、無事ということではなく、色々なもめごとは後を絶たないが、訴えるものはない、という意味だ。

但し、12歳の少年が、「昭和100年のころを振り返った記事」が採録されていて、私も当時は「軍国少年」だったなあ?と気が付き読んでみたが、さすがに「軍事的教育」を排除された戦後の日本は、子供からも「すべて軍事が削除されたという事が分かる。」

子供のころに、世の中の善悪を知るという意味では、彼が言う【(私)の頃は戦争帰りのおじさんが近所に大勢いて、父はよく体験談を聞いていたそうだが、今心配しているのは、そういう人たちが年を取って年々亡くなっていることだという。】という所感に同意する。

如何に「深く物事を考えることなく、「付和雷同する癖」が日本人には強いか?ということだろう。どちらにしても「押しつけ教育」になるだろうに…個人的に「危機管理意識が発達することが無くなった」ことを意味する。私からすれば「武士の心構えを失った」ことに通じる。

そのくせ「侍!という言葉を‟外野では”軽く用いるから、アンバランスだ。

彼は言う。【考えてみれば、原爆や空襲などの犠牲者の話は僕も教科書などで読んだことがあるが、戦った人の話はこの平成の世の中であまり紹介されない。戦争に行った人はおもに大正生まれだったので今は70歳から80歳くらい。マスコミは「戦後○○年」という区切りが好きなので、次に大きな特集が組まれるのは10年後、20年後かもしれず、今回の取材が最後の機会かもしれないという。

 

編集部からの添え書きには【今回の少年のひいおじいさんにあたる人は、どこの戦地にいたのか、何があったのかを家族に一言も話さず亡くなりました。そのエピソードを含めた少年の祖母、父親の12歳の時のお話が、それぞれ「昭和23年」「昭和41年」で取り上げられています。「昭和100年」の間には市井の人々の命と歴史が綿々とつながっています】というが、これでは真の教育とは言えない。

当然のことながら、私の幼少時代には「復員軍人」や「傷病兵」が街に溢れていたから、知りもしない「戦地の様相」をおぼろながら知ることはできていた、其れこそが「真の教育」ではないのか?聞き取り・・も立派な教育である。

戦勝国がやることだから、偏ってはいたが、敗戦国日本の政府は戦地の「武勇談」までを禁止して、何がよかったのだろう?と思う。

私は子供のころ、近くに海兵団があったから、両親は進んで彼らに休憩の場を提供していて、ある時私が新兵さんからお土産の飴玉をもらったものの「見たことがなかったものだから」池に捨てて両親からひどく怒られた記憶がある。良かれ悪しかれ「人間教育の場」であったものだ。

人類、皆兄弟!だとだれかが言ったが、人間の絆が切れた者は決して兄弟にはならないのじゃないか?GHQの狙いもそこにあったか!