50年前の今日、三島由紀夫は市谷台で自決した。私は当時、浜松で戦闘機操縦教官を務めており、1等空尉であった。
学生との空中戦闘訓練を終えて着陸したばかりの私に整備員が「佐藤教官、三島由紀夫が死にました」と告げた。
「衝撃を受けた私は、彼の著作である「豊饒の海」などを読み漁ったが、敗戦国日本にとって、惜しい人材を失ったと悔やまれた。
三島由紀夫の最後の姿:インターネットから
自決を伝える朝日新聞
当時三島が読み上げた「檄文」は当時の日本の姿を的確に言い表していたが、とりわけ
【・・・われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。
あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである】
と言う自衛隊の決起を促した一文は印象的で忘れ難い。
三島の檄文全文
「自衛隊が彼の言を否定して動かなかった」ことを「民主的軍隊に成長した証拠だ」と誇らしげに語った政治家らがいたが、事態が呑み込めなかっただけであり、「乱入した暴漢が総監を切りつけた!」と伝達されたため、舎前に集合した隊員らが激怒して三島由紀夫だとは知らず事態を取り違えたのだ、と私は感じている。
そして「押しつけ憲法」を排除することもなく我が国は、この半世紀で彼が予言したとおりの「腰抜け国家」、つまり、彼が”予言”した「豚」になり下がったのである。
三島の”予言の書”=適菜収著
自衛隊も米軍の一「ローカル部隊」に組み込まれて恥じない。
恐らく「武士道精神」も回復はできないだろうと思う。
今日星稜会館で「憂国忌」が開催されるが、チャンネル桜で第五十回「憂国忌」が、14時00分より生中継される。https://youtu.be/Klvv7wsZ5Uw
届いた雑誌のご紹介
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「航空情報1月号」
ワイドショウ?的な表紙に違和感を覚えた。頼りない”男”が増えたとは感じていたが、それを埋めるように”女性”が活躍している。「入間基地で活躍する女性パイロットたち」とタイトルにはあるが、なんとなくご時世なのかな~と感じる。彼女らの”笑顔”には、軍人としての威厳が感じられないのは、軍事を否定した国らしい。三島が見たらどう感じるか…と思ったが、彼女らには一点の非もないことは明らかだ。