軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「金で解決できるなら安いもの」??

体育の秋、行楽の秋…だというのに、このところ連日の雨空にうんざりしている。体育や行楽などよりも、私にとっては庭の草刈りや清掃もままならない。

そこで、“老人ホーム”並みに、一日中テレビを見る羽目になるのだが、今日のニュースは面白かった。

まず、昨日発令された「J・アラート」にミスがあって、無関係な地域にも警報が出され、住民が戸惑ったそうだが、原因は役所のミスで、以前の演習?時の記録が消去されていなかったらしい。これじゃ「オオカミ少年」を国が育成しているようなものだ。

北朝鮮は、日本の役所はだらしないな~とほくそ笑んだことだろう。首領様が大笑いする姿が浮かんでくる。

わが国会議員らは、通報が遅すぎる、などと騒いだらしいが、「通報が間に合っていたら」どうする気だろう?

岸田総理のように「厳重に抗議する」のだろうか? で、抗議された北朝鮮はどうするのだろう?「了解しました!次はもっと迅速に発射します」とでもいう気だろうか?

 

あほらしくなってその後はユウチュウブで、ジャズや「コーリングユウ」などに聞き入ったが、午後コーヒーをたしなんだ後再びテレビをつけたら、何とか「代行業」の話をしていたのでこれまた驚いた。

「代行」と言えば、我々がなじみなのは「運転代行」で、車で飲みに出かけた後、飲酒して帰宅はできないから、車の運転を業者に「代行」してもらう、というものだった。

しかし、話を聞いてみると今わが国には何の「代行業」でもあると言い、便利しているという。その一つに「PTA代行業」というものがあるそうで、文字通り「PTA」の役員?などの仕事を代行するのだというから驚いた。

PTAとは、戦後占領軍から押しつけられて誕生した活動で、各学校で組織された保護者と教職員(児童を含まない)による社会教育関係団体である。

それがその学校や保護者とは無関係な‟企業”によって「代行される」というのだから理解不能である。

学校や保護者が、それぞれ関係する大人たちの行動をそこまで束縛していて、当事者たちが「金で解決できることならば」と「業者」に委託していて、それで本当に成果が上がるのだろうか?これはここまで「放置してきた」文科省、もちろん政府の怠慢ではないのか

憲法同様、戦後占領軍からあたえられた仕事であるはずだ。時代はめまぐるしく動いている。再検討して規模を縮小するか、あるいは廃止できないものか?

こんなことだから、子供たちの教育にも“隙間”ができて指導がおろそかになるような気がしてならない

 

私が子育て中であった頃のPTAは、先生と父兄が‟親密になる”お茶の会が主で、家内が辟易していたことを思い出す。私もそうだったが、父親が会合に顔を出すことはまれで、ほとんど母親に任せっきりだったから、奇妙な関係も生じることがあったらしく、都心部で問題になったこともあった。

「金で解決できるなら安いもの」となり、PTAだけではなく、警察も、防衛業務も「代行業」に依存することになりはしないか?

事実、自衛隊では、人手不足で、給食、警備など、「軍事に無関係?」な部署が、どんどん「民営化され」たことがあったが、「警備」などは、自衛隊の重要な任務だと反対してみたものの、背に腹は代えられず、どんどん「代行業務業者」に進出されたが、そのうちに「警察」も「防衛」も”民間”防衛業者にとって代わられるのじゃないか?と思う。

 

北朝鮮のミサイル発射ごときで、「天下の大臣様方が」右往左往する様は、あまり格好がいいものじゃないと言っておきたい。ご本人らは「仕事をしていると勘違いしているようだが、まるで北朝鮮ミサイルテストの「測定代行業」ででもあるかのように、丁寧な図表付きでわが大臣様が「ご報告」して差し上げるのはいかがかと思うのだが。

かの国は、当然測定しているはずだから、彼らに任せておけばいいじゃないか!。それこそ‟茶番”のように思えるのだが。

 

ところでウクライナ戦争の行方はがぜん面白く?なってきた。攻め込んだプーチンさんが、予定になかった反撃をウクライナ軍から受けて、ロシア国民を「動員」してみたものの、なんと!忠実なはずのロシア国民がどんどん国外に逃げ出している。焦ったプーチン氏は、指揮が悪い、と言いがかりをつけて指揮官たちをどんどん「更迭」しているから、ロシア軍の指揮統制組織は、今どうなっているのか不明である。相当弱体化していることだろう。元気なのはお一人だけか?

1905年6~7月にロシア黒海艦隊の戦艦「ポチョムキン号」で起きた、水兵達の反乱を思い出す。やはりこの国の反乱の歴史は何度も繰り返すのだな~と改めて考えさせられる。

しかしP氏も人の親、最終兵器に手をかけることはあるまい…と世界は思っているだろうが、彼自身の“健康状態”(精神面を含めて)が不明なのだから、何の手立ても持たないわが日本国民は、北朝鮮のミサイルの飛翔距離測定よりも、その方の危険に十分気を付けておく必要があるだろう。

この戦争が始まって以降、情報が混乱していて、何一つ正確なものはなかった。

振り返ってみれば武漢肺炎もそうだった。軍事学の基本から離れた対応ばかりしていると、「金で解決できるなら安いもの」だという考えがのさばり、誰かがやってくれるだろう、という依頼心ばかりがはびこる国になることを恐れる

プーチンの”茶番”と金正恩の”本気”

ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、プーチンの4州併合を「茶番だ!」批判した。

しかし、プーチン氏にとっては「茶番」どころか、政治生命をかけた“本番”なのであり、聞く耳を持たない。これがヒラメ幕僚を従えている“頭領の正体”なのだ。

彼にとって今や頼りになる武器は核兵器しかない。

しかし、欧米諸国がロシアの反撃・第一発目の対応を誤ると、あとはずるずると世界大戦にもつれこむだろう。

彼にとっては「己の意地を通すこと」が最優先事項であり、「世界平和」なんぞ、どうでもいいのだ。

国際社会の機敏な対応が、少し“様子がおかしい?”バイデン大統領に取れるだろうか?というのが、今一番の世界の注目事項だろう。

決断を誤るか、遅疑逡巡すれば、欧州は一面の放射能被害に苦しむことになる。かっての北朝鮮対応がそれを物語っている。

ウクライナは核を持っていないから、反撃は「支援国」に頼らざるを得ない。ウクライナに核があれば、プーチンも打つ手はなかったろう。最後には「核」で応分に抵抗されない以上、「先手を取れる方」が勝つのは常識である。日本もよく検討するがいい。

世界は今や、核戦争の瀬戸際まで近づいていると言っても過言ではない。

 

ところで昨日の国会で、岸田総理は所信表明演説をした。今朝の産経に全文が掲載されているが、この緊張した世界情勢にもかかわらず、

  • 「はじめに」で始まり、「政治姿勢」「経済政策」「物価高・円安対応」「構造的な賃上げ」「成長のための投資と改革」「新型コロナ」「災害対策」「包摂社会の実現」「経済対策」ときて11番目に「外交・安全保障」12番目に「選挙制度憲法」。そして「結語」と並んでいる。

軍事評論家としては、優先度が低い項目について一部掲載してみたが、「結語」がなんとも「言い訳」に見えてならない。

岸田首相の所信表明演説(一部・外交・安全保障。選挙制度憲法。結語)

偶々というべきか、あるいは“同胞たる宗教団体”の窮地を救うためか、今朝北朝鮮が中距離弾道弾を日本上空越えに発射して我が国を威嚇した。メディアは村上選手の56号本塁打と並んで、北朝鮮のミサイル発射で大騒ぎしている。

後輩の元空将が、身内のメールで【早朝からテレビで北朝鮮がミサイルを発射したということで大騒ぎしています。

今までも北は何回もミサイルを発射してきましたが、今朝ほど大騒ぎはしていませんでした。

やっとJアラートというのが整備されたということで、政府の方から流せと指示が出ているのだろうが?

北のミサイル能力は逐次向上して行っているのに、日本を狙われた場合の対応措置(防空壕等の建設)をとっていないのに、地下に逃げろという。

テレビ報道を見て慌てた国民(特に我々老人等)が怪我するかもしれないことを懸念しないのだろうか。

「一応警戒情報は流しましたよ!」というジェスチャーだけということか。】と揶揄している。

まあ、「茶番」だと言わないだけましだろう。

北朝鮮が核をもてあそび始めたのは、周辺諸国の対応のまずさから来ている。要は“増長させ”てしまったのである。

確か、1998年8月に「テポドン1号」が東北地方上空を通過して太平洋に落下した時、防衛庁が大慌てしたことがあった。

あれから北朝鮮は着々とテスト飛行を繰り返し、実戦配備しているのだが、他方わが国は、少しは反撃能力を装備したようだが、イージス・アショアも反対されて装備出来なかったし、必ずしも「万全の体制」は築けていないらしい。

今回の報道も、【日本政府は、全国瞬時警報システム(Jアラート)を通じて、北海道と青森県などに避難を呼び掛けた。北朝鮮のミサイルが日本上空を通過したのは、2017年9月に北海道上空を越えた「火星12」以来5年ぶり。Jアラートの発動もそれ以来となる。

岸田文雄首相は記者団に「暴挙であり、強く非難する」と述べ、情報収集・分析に努める考えを示した。また、米韓両国などと連携して必要な対応を行うよう指示した。政府は国家安全保障会議(NSC)を首相官邸で開催した。】というのだから、国民にはまるで「台風か集中豪雨」時に気象庁が指示するときのように「避難を呼びかけるだけ」である。

首相の所信表明で「外交・安全保障」が全13項目中、第11位であることの意味がよくわかろうというもの。

率先して「北の核に対応する」気概がないのは、どうせ「軍事力の使用は憲法で禁じられている」のだから、という政府関係者の“諦観”に基づくのだろう。

もっとも、国民も「うかつに右往左往しない」だけの学習は積んでいるようだ。

真の日中“友好”を築けなかった安倍総理

左翼からたきつけられて“意図的”に国葬反対行動を盛り上げてきたメディアだが、毎日新聞は【「献花にデモ、賛否割れる中 安倍元首相国葬に4200人」と報じた。

  産経新聞記事

 

宮崎正弘の国際情勢解題によれば、【献花はネットで45万人(明日締め切り。おそらく五十万人突破か)。九段坂の献花台へは4~5万人(途中で帰った人が、少なくともこの倍はいたでしょう)。反対した人の集会は僅か一千人余。しかもプロの活動家が主体。世論分裂というのは正確な状況を伝えていません。ごく少数派とメディアが組んだ世論操作でしょう】と冷静に分析している。

 

現役時代、基地反対デモに悩まされた経験を持つ私としても、当時の体験から妥当な数値だと思う。

主催者発表」の数字は、彼らが尤も忌み嫌う「過去の大本営発表数」よりもひどかった。しかしひどかったのは新聞各紙で「公表数を信じて?」そのままうそを報道していた。「おかしい」とクレームをつけると「主催者が言うのですから」と平然と答えたものだ。その後「主催者発表」と付け足すようになったが、当時から彼らメディアは「うその数字を公然と」報道してきたのである。(新聞はうそを書かない!)と信じていた素直な市民は当時からはっきりと騙されていたのだが、今回の行事を報道だけで見る限りにおいても、間違いなく宮崎氏の分析が正しいだろう。その読者の一人は【靖国パターンですね。メディアは必ず反対左翼を大きく報じますから。しかも「極左」とは書かずに「市民グループ」と言っていました。あの人たちは明らかに日本人ではありません】と見抜いていたから一応安心だが、、。

国葬反対派」は【「全学連」と書かれた旗や赤旗を掲げ、歩道上で太鼓などを鳴らしながら国葬やめろ」「戦争反対」などとシュプレヒコールを連呼していた」が、それを煽っていた人たちの顔ぶれが面白かった。

筑紫哲也」「福島瑞穂」「共産党委員長」などという、時代遅れの化石のような人たちだったからである。まだこんな化石がのさばっているのか!と批判よりも“同情”を禁じ得なかった。

前記読者が言ったように、彼ら彼女らは「日本名と半島名」を持つ方々なのだから、今盛り?の統一教会一派と同じ民族だと言っても過言ではないのだ。だから日本政府の行事には懲りずに「反対!反対!」と性懲りもなく叫ぶのだ。

赤旗を掲げて「歩道上で太鼓を鳴らす」という風習も、わが国というよりは「かの国」の風習に近い。おそらく動員されてきたのじゃないか?

これに対し、国葬賛成派は安倍元首相の国葬を行う意義を訴えた。それこそ我が国の風習に一致する。昔は「勝共連合」ののぼりも加わっていたが・・・。

28日の産経抄氏はこう書いている。

今回のこれら「一部の反徒」たちの真の国籍は、明らかに日本国ではなく、「外国」であろう。日本人ならば、多少首相が説明不足であっても、個人と統一教会という韓国生まれの詐欺集団との関係が深かったとしても、武士の国としての「誇り」を持ち、武士の情けだと花束をささげるはずである。

国葬としての手順や進め方が少し拙劣であっても、それは次の議会で追及する方法がある「国民の税金」だと騒ぐ輩ほど「脱税に熱心で」、野党議員の報酬を賄えるほど出資していないはずだ。会計士に算定させてみるがいい。

その昔、防衛費が「6%」だと騒がれたころ、自衛隊を税金泥棒呼ばわりした「市民グループ」が来たとき、当時三沢基地司令だった私は、「あなたの納税額から6%を産出してください。いつでもその分を私がお支払いしよう!と言ったとたん、殻らは押し黙ってしまった。「脱税がばれる」と思ったからかもしれないが(笑い)

事程左様に、この手の報道には裏があり、にわかには信じられないものが多いのである。

ところで、菅議員が弔辞の最後に「明治の元勲・山県有朋が盟友・伊藤博文を銃撃で失った後に詠んだ歌に線が引かれていたことを明かし、「この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」と語り、「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」との歌で締めくくると、葬儀会場としては異例の拍手に包まれた」とある。菅議員を見直した。

 

安倍元総理「国葬問題」については、個人的に語ることはないが、「決定に至るまでの雑な手続き」と「国民への説明不足」については、今後の国会で岸田首相の意思が明らかになるだろうからそれでわかることだ。

私は、平成18年7月に「美しい国へ」を著し、「戦後総決算」を掲げた安倍元総理が、8月15日の靖国神社参拝を意図的?に忌避したことが許せないだけである。

戦場に散華した英霊方のほとんどは「靖国で会おう」と言い残して出撃していっている。「武道館」ではなく「靖国神社」なのだ!その先人の願いを、無視?したととられるような「真榊奉納を私費で」支払って逃げた卑怯さが許せないのだ。

これは9月号の「靖国」である。如何にきれいごとを並べようとも、大東亜戦争で犠牲になった多くの英霊方の「名誉回復」のためには、8月15日の「終戦のご詔勅」が下った日に、日本国首相として哀悼の誠をささげてこそ「日中間の‟わだかまり”」を払拭するいい機会だったのだ。

それを避けては、「真の日中国交回復」はあり得ない。相手が嫌がるから?と忖度して避けて通ったことが、中共政府に後世、いつまでも「言いがかり」をつけられ、国民の税金をむしり取られるきっかけを作ったと私は思っている。

要は“蛮勇”が彼には振るえなかったのだ。

「なぜか?8月15日は首相になってから避けている」ことが分かる。

 

相手のことを気にするあまり、言うことも言わなければ、相手は舐めて嵩にかかって攻めてくるものだ。親友とはみなさないからだ。

退官後、北京を訪問した時、盧溝橋記念館で我々を根拠もなく威圧してきた政府高官らに「国連文書のミス」を指摘して堂々と渡り合って、前言を取り下げさせた先輩がいた。当時元陸将補であったが、ジュネーブ軍縮委員会で、私とともに情報収集にあたり、その後国連参与として化学兵器禁止問題を担当していたから、国連文書には精通していた。

その後,監視役?と思われる、元中国大使館書記官が我々を案内してくれていたので「8月15日にわが首相が靖国神社を参拝したら中国政府はどうする?」と聞くと、「それで終わりですよ。もっとも、お宅のチョウニチ新聞が騒ぐでしょうから、当分は騒ぐでしょうが…」と日本語で明確に答えた。私はそれを期待していたのだが、強気と言われていた当時の首相も靖国参拝を見送った。おそらく誰かに鼻薬をかがされていたのだろう?

だから私は、靖国問題は彼らの唯一?の日本攻撃の手段だと思っているのである。口先だけの大臣は多いが、安倍さんまでもか!と私は落胆したのである。

 

世界は大乱の兆し!

わが国が、安倍元総理の「国葬」で意見が分裂して“混乱”している間に、国際情勢は非常に流動的になってきた。

わが国の場合は「何時もの方々による意図的な妨害工作」だから、世界は「コップの中の嵐」程度にしか受け止めていないだろうからそう影響はなかろうが、ロシア、中国、それに米国という「主流国」の“異変”は穏やかではなかろう。

まず現在気になるのは、ウクライナ侵攻で“大失敗”をしたプーチン大統領が、軍務経験者の30万人に「部分的動員令」を発したという記事である。

古来「戦力の逐次投入」は尤も拙劣な戦法だと言われているが、あれだけ“大見えを切った”プーチンがその戦法を取らざるを得ないという状況の変化をどう見るか?ということである。

この表はいささか古く、平成25年度版の「防衛白書」だが、毎年日本国民はこれを見せられて、ロシアは超軍事大国だ!初めから勝てるはずはない!と思い込まされてきた。

しかし今はどうだ。総兵力85万人?だったと言われてきたロシア軍が、どこに”消えたのだ?”

米国の歴史学者であるE・ルトワック氏は、「ウクライナの反攻は成功する」とし、プーチン氏には3つの選択肢しか残されていない、という

そして「いずれにせよ、ウクライナ軍がこのまま快進撃を続けることができれば、いつかはロシアに占領された領土を完全に奪還し、2月24日の侵攻開始前の状態を回復するだろう」と予測する。さてプーチン氏にそれを押し返すだけの戦力が整うのか?

これを日本では「元の木阿弥」「 虻蜂取らず」という。

9月21日に、プーチン大統領は「重要演説」を行い、前々から準備されていた予備役などを「部分的動員」する大統領令に署名したと発表、同時に高給を謳って外国人志願兵を募り、一部の報道は囚人の動員を行っているという。「大祖国戦争」はどこへ行った??

かっては「米国と並ぶ超大国」らしからぬ有様だ!

 

御用新聞などの報道統制で「勝った!勝った!」と思い込まされてきたロシア国民も「様子がおかしい?」ことに気が付き、徴兵忌避が増えているらしい。馬鹿な大将、敵より怖い!ことにロシア国民も気が付き始めたのだろう。

ウクライナ戦争で、どっちつかずのあいまいな態度をとりつつ“漁夫の利”を得ようとしてきた中共政府にも、異変が起きつつあるという。

 

 宮崎正弘の国際情勢解題(26日)によれば、「ネットならびに華字メルマガ、ツィッターなどでの第一報は「サマルカンド出張にでた習の留守を狙った」クーデター未遂があった。このため習は不在中に党長老たちを監視体制に置いたというものでした。宋平(101歳)など監視対象者の名前までだしたので、具体的らしい情報でしたが、その後、こうした雑音は消えています」とある。

残念なのは、このような貴重な情報が、ロシアや中共、そして北朝鮮という専制国内では一般国民にまで行き届かないことだ。

 

ところが問題なのは、トランプ前大統領の標語が「MAGA(Make America Great Again)」から「SAVE AMERICAアメリカを救え!)に代わったと言うことだ。今、米国内では左右二派の熾烈な戦いが起きており、米国内政治は分裂傾向にある。 

 

 更に「AC 論説No.911」によれば、戦争中のロシア同様、 米軍も深刻な兵員不足だという。「米国陸軍の発表によると、今年の入隊応募者は例年の予定の6万人をはるかに下回り、秋になっても3万人も不足しているというから、”唯一?”の同盟国たる日本も安心してばかりはいられまい。

 自衛隊の場合は、創設以来通例的な「人員不足」に悩まされてきていて、雑務は増えるが人は増えないという「体験的実績?」があるから耐えられそうだが、それにしても「頼りにする米軍」が、こんな有様では日米安保はおぼつかない。

それとも、政府は得意とする「軍政民営化」で、民間委託を増やすのかもしれないが、鉄砲の操作もできない素人兵で太刀打ちできるのかな~

確かにITとドローン操作はうまいだろうが。

 

それよりも、まず自民党を筆頭とする「政治家集団」が「わいろを銃に持ち替えて」加勢することが早いだろう!

資金はオリンピック組織委員会に潤沢にあるだろうから、給料は賄えるだろうし…。

 

冗談はさておき、ロシアが苦境に立ち、中国に内乱が起き、そして肝心の米国政治は分裂して混乱したら、ウクライナ戦争どころじゃなくなるだろう。

安全保障担当大臣方、準備は?心構えは?いいでしょうな。

 

 

届いた書籍のご紹介

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両誌とも、特にコメントはない。

「この人たち、大学で一体何を勉強したのでしょうね~」

「ハプニングの旅」以降、多く寄せられてた読者からのコメントにお答えしておこうと思う。

まず、18日のブログについて、多くのコメントが寄せられた。やはり、生身の人間だから、関心があるのだな~というのが第一印象だが、真面目で真剣な読者が多いのには嬉しくなった。

くまモン様は、私とは違った体験が多い方らしく、大いに勉強させられてきたが、「生命誕生と生命消滅のシステムには、素粒子または電磁波の存在が不可欠」という説には賛同する。友人の「素粒子学者の保江先生」もその説を唱えておられるし、続々と新著を出しておられる。「UFO」関連の友人もその説を唱えているし、私もそうだろうと納得している。つまり「生命とは何か」の話である。その意味でくまモン様の説は納得できる。

川田様の「肉体は滅びても、魂は依然として残っているのだ」と考えることは、日本古来の神道や伝来した仏教が永らく唱えてきたものであり、ほとんどの日本人の心の隅には残っているものであろう。

カントに限らず、洋の東西を問わず先人たちは多くの疑問をもってその解明に取り組んできたのであり、デカルトも「われ思う、故に我あり」と“会得”した。勿論小説家もそうだと思う。人間とは「そうした生き物」である証拠だと言える。

くまモン様は、お忙しそうで一時コメント欄から撤退されるそうだが、お暇ができたらぜひとも戻っていただきたいと思う。

その他非公開を希望される方もいて、東大名誉教授の矢作直樹先生の著書を紹介いただいたが、先生とは以前、講演会で同席したことがある、その後度々話を伺っているし、保江先生との仲間でもある。この方の「体験談」には、納得がいくものが多かった。

要は、生身の人間、常に彼岸のことが気になっているという証しであり、まだまだコメントは続きそうだが期待している。単なる「軍事評論」よりも意義深い。

 

 ところでこのような「人間らしい」感性をどんどん失っていっている今の日本人の“大人たち”には落胆を禁じ得ないが、いい年をして学生時代に何を勉強したのだろうか?と不思議に思う。ダーティな行いで世間を騒がせている「指導者?」の大半が、60~70代の男が多いということは、何か40年前の我が国の社会情勢、教育界の乱れと関係があるのかもしれない。それもほとんど「大企業」の「大幹部」なのだから、後に続く若者たちにいい影響を与えることはない。

“国際的詐欺集団”の某協会のような、似非宗教がわが国に浸透してきているのも大問題である。明らかな「武器」を持った侵攻よりも、この手の「侵攻(信仰?)」の方がよほど始末に悪かろう。しかも何の力もない文科省が担当だというから…

世間を騒がせている統一教会の中心人物らの人相には、血も通っていない、”馬がとろろを食った”様な人相が見え隠れしていて、どこかプーチンに似ているところがある。人を騙して家族を養って食っているとそうなるのかもしれない。

その陰に隠れて世間を騒がせているのは、「金にまつわる」悪徳“大人たち”の暗躍だろう。インターネット上には「五輪汚職の検挙ラッシュ『パクリンピック』本番はこれから。中止シナリオは絶対になかったことが今さら露呈」とジャーナリストの今市太郎氏が、書いている。

ついに新聞も「五輪汚職と大きく書き始めた。「資金受け皿代表は“理事後輩」「2ルート関与取引に利用か」とか、黒帯で書かれた記事の横には、給付金詐欺で「俺は国税職員。大丈夫」だと「立場を悪用し仲間勧誘」とある。

「悪い奴ほどよく眠る」という映画が昔あったが、今じゃ「悪い奴ほど出世する」というべきか?

誇るべき侍の国、日本はどこまで凋落するのだろう?

 

 依然ここに書いたが、私が松島基地司令だった平成6年ごろ、大蔵省のエリート官僚が、こぞって「ノーパンしゃぶしゃぶ」に入り浸ったことが問題になったことがあった。偶々町の散髪屋にいた時、これがTVで報道されたことがあったが、おかみさんが【「司令さん、この人たち4年制の大学を出たのに、何を勉強したのでしょうね?」と肩越しに語りかけた。「私は勉強が好きだったが家庭が貧乏だったので高校に進めず、母が「手に仕事をつけなさい」と理容師学校に入れてくれた。しばらくは高校に進んだ友達から教科書を借りて毎日勉強したものだ。この人たちは、お金の心配もなく、いい学校に入ったのに、何を勉強したのでしょうね~】と慨嘆していたことが忘れられない。

「おかみさん、こんな例を‟高学歴無教養”というのですよ」と答えるのが精いっぱいだったことを思い出す。考えてみれば、あれから30年。あのころの“ヒラメ”官僚たちが年功序列で出世して、ここ数年役所や企業のトップになり、世間を動かしていたのじゃないか?と思う以外ない。

いい学校に入っても、問題は本人次第だ! ワルはいつまでたっても“悪”なのだ。

 

 今日は秋の彼岸。平川祐弘東大名誉教授が「お彼岸に『美しい死』を考える」という一文を書いていた。体験した「ラスト・ドライブ」を思い出す。一部前に戻る部分もあるが、ここでご紹介しておこうと思う。

 

 

 

ウクライナ戦争の先は見えている!

「軍事評論家」と名乗っている以上、軍事関連の記事を期待しておられる方が多いのは当然だろう。しかし私としては、ウクライナ戦争に意見を言う立場にはないから、「静観」しているだけである。

だがこの戦争が、ロシアのプーチンの誤った判断で始まったことは事実であり、しかも「予想以上に」ロシア軍が弱体だったことを世界中に公表してしまったのだから、今更プーチンが何とか“弁解”しようとしても、情勢は変わるまい。

 

私は幹部学校卒業直後の3空佐時代に外務省国連局軍縮室(当時)に出向させられ、途方にくれたことがあった。戦闘機部隊の隊長こそがパイロットの“華”であり、外交などに興味はなかったからである。しかし、外務省に出てみて驚いた。

ここは全く「軍事無視?」の組織で、関心はあるものの実体験ができぬまま、あたら優秀な頭脳を損耗?させられている外交官が多かったからである。

「外交と軍事は車輪の両輪」だと固く信じてきていた私としては、車輪の一つは右に回り、方やもう一方は左に回るばかりで、全く前進しようとしない「国家組織」の有様に驚いたのである。もちろん「防衛庁」もそれに類した組織であることがよく分かった。

しかし“派遣?”された以上、己の信念を貫く以外にはない。礼を失しない範囲で、上司には直言した。その後国連局長からは機会あるごとに部屋に呼ばれて「進言」することがあったが、彼らは旧軍時代の「幹部候補生」であったり、旧陸士の未卒業生であった。

時には事務次官から呼ばれたこともあったが、こんなことは「役所」では珍しいものだったようだが、外務省はその点で「さばけて」いたように思う。

防衛庁でも「区別することなく」進言した。ファントム問題で行き詰っている国会担当の「防衛課長」に呼ばれてファンとム機の特性について深夜まで解説したこともあった。しかしこんなことは当時の防衛庁としては例外だったろう。

一般的に「制服組」は“従順”であり、口答えするはずはなかったからである。その点では「栗栖弘臣」統幕議長は例外だと言えた。バ◎の一つ覚えのようにメディアが「シビリアン・コントロール違反だ!」叫び、同調する野党(夜盗)が制服を国会で個人攻撃させて「首を取る」のが実態だったから、「モノ言えば唇寒し…」の状態が続いていたからである。

しかし、栗栖陸将は物怖じすることなく、堂々と新聞に対しても意見を述べたから尊敬していた。

これでなけりゃ部下はついてこない。部下は「上司を見抜く」ことは得意であり、すぐ人柄まで見抜く。つまり「この上司についていっても大丈夫だろうか?」という「生き残り」本能に近いものである。

まだ“自衛隊”は本格的戦闘場面に遭遇していないが、それでも災害派遣や3・11などの実行動で、素早く見抜いているのである。「馬鹿な将軍敵より怖い」というのは旧軍時代からの“実話”である。

この体験から今のロシア軍の内部事情を推察してみると、プーチン「お山の大将」であり、「裸の大様」に過ぎないことがよく分かる。世界は意図的な報道?に騙されているのである。

 

外務省時代、私は旧軍人で構成された「調査部」で、中佐クラスで”転換”して勤務しておられた方々から、当時のソ連の実態についてよく講義を受けたものだ。それは私がSALT(米ソ間の戦略兵器制限交渉)を担当していたからでもあった。(その一部は「国際軍事関係論(かや書房)」に書いておいた)

そしてやがてソ連は解体し、今のロシアに編成替え?されたが、中でも優秀で近代的だったウクライナなどがソ連から脱退したことからもわかるように、独立国家共同体(CIS)という多国間組織では、本来のバルト3国や旧ワルシャワ条約機構のほとんどがUSSRから脱落、脱出?してNATOに加盟したから「骨粗しょう症」が起きていた。ウクライナもこれらの国と同調する決意を示していたのであるから、ウクライナ戦争は起こるべくして起きたのだといえる。

当時の旧軍人たちで構成された「調査部」は旧満州時代からの延々たる情報を蓄積していたから、3佐の私には宝の山だった。しかも幹部学校出たてだったから知識欲旺盛であった。

その後、ソ連同様、わが‟お役所”も世代交代が進んでいて、ほとんどが「軍事抜き判断」にさらされるようになった。

今の「政府」が弱体なのはそんな経緯もあると思っている。何のことはない、プーチンも同じ‟悩み”を抱えているのであろう。

 

おそらくウクライナから反撃されて“焦っている”であろうプーチンは、第二のチュルノブイリ事故を演出して、世界に“恐怖を与えよう”とするだろうが、自らもその被害に遭うことは“想定外”なのだろう。

とにかく、今の戦況を見ていると、ウクライナに供給されいている「欧米諸国」からの小型最新兵器の威力を無視してはなるまい。

大陸国家は陸軍=「戦車戦」にこだわり続け、改革は非常に遅れやすい。それは指揮者の頭が古いからだ。この戦場では、欧米側は、相当な戦訓を得ているに違いない。もちろん我が国も同じ大陸国家である中共軍の装備と戦法に注目しておく必要がある。

 

今日は「ハプニングの旅」以降、多く寄せられている読者からのコメントを読んでいて、少しそれにお答えしようかと思ったが、またの機会にしておこう。

ただし、私は平成24年4月に、「不思議な現象」を取りまとめた本を出版しているのでご紹介しておきたい。哲学的ではないが、現役時代に「体験した」「超科学現象」の集大成である。(続編は今のところ考えていない(笑い)

 

(帯の内容)

森羅万象には「人類の理解を拒む領域がある」

先日のブログに、家内の一周忌で東北地方を旅した体験記を書いたが、一読者から「死んでしまえばすべて終わりだ」という厳しい感想が届いた。

 

「私は死んだら敗けと考えています。人間、死んだら終わりだと考えます。」というのだが、確かに「肉体が破壊されて、消滅し、土に戻るのだから」、それを「終わりだ」といえるだろう。

しかし、それだけではないような気がする。古来「高僧が説いたように」魂はどうなるのだろう?と思うのである。

魂…というか「精神」というか、肉体以外にある「何か」である。一般的に近代科学者は否定するようだが、その彼らにしても、どうしても「方程式」の合致しないものはあるだろう。すべて「科学」で割り切れないから、この世には摩訶不思議な現象もあり、解明できないものもあり、だから人間はそれに「挑戦」し続けるのだと思う。

 

「気の迷いや妄想。人間ですから誰にも在ります。」といわれるものの、本当に“それが”「気の迷い」なのか、「誰にでもあるのか」は証明できない。だからこの世は不思議でもあり、面白い?のだと思う。

 

確かに今回の私の“個人的”な体験は、「気の迷い」かもしれないし、「誰だって体験できるもの」かもしれないが、それにしてはあまりにも“偶然”が重なったと思う。

さらにエリザベス女王逝去の際、ロンドンのパッキンガム宮殿に二重の虹がかかった!と世界が驚いたが、実は昨年秋の「納骨の義」が終わって、雨が上がった時にお墓に虹がかかっていたのを、息子がスマホで撮影していた。「ラスト・ドライブ」を見終わった後である。

そして今回のロンドンでの現象で思い出したのだが、これも「偶然だった」のかもしれないが、では「偶然と必然」はどう違うのか?

この世に「偶然はない」という高僧もいる。

 

しかし、確かに「死んでしまえばそれっきり」というのは少し寂しい。「生きていてほしい」という思いが高じて、気に迷いが生じているのかもしれないが、私には「肉体」と「魂(精神)」の分離=死ではないか?と思われる。肉体は滅びても、魂は依然として残っているのだ、と思いたい。靖国神社には、あまたの霊魂が”漂って”いる。

まだ俄かには死なないようだから、改めて考察してみたいと思っているが・・・

 

ところで我が国には、かってない猛烈な勢いの台風が接近していて、今夜にも九州に上陸するらしい。その上北や南で地震が続いている。わが国土は天から見ると、相当穢れているのだろう。洗い浄めて欲しいものだが・・・

それにしても60~70代の男どもの乱れ方は尋常じゃないように思う。「呪われたオリンピック」どころか、「穢れ切ったオリンピック」になり下がったようだが、それにしてもそんなことが許されるとは、お天道様はどうなっているのだろう?と怪訝に思う。

それも当事者は“お金持ち”で何不自由ない方々ばかりなのには驚く以外にない!そんなに「汚れきった金銭」を地獄に持ち込まないと気が済まないのだろうか?いやはや呆れてものも言えない。

9月4日の産経抄氏は、「今この惑星で起きていること」という著書をあげて、「四季の巡り」は、わが国の情味豊かな言葉をはぐくんできたが、今我々が直面しているのは「風土の危機」「心の危機」なのかもしれない」と指摘した。

 

私にとっては、そんな「細やかな」危機ではないと思っている。これも「気の迷い」であってほしいものだが、森羅万象には「人類の理解を拒む領域がある」らしいから希望的観測はできないだろうが・・・