軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

期待できない”政界の浄化”

 能登半島地震は、国民の最大の課題で、皆が関心をもって見つめているが、TVの関心は、自民党の裏金問題にあるようだ。

 勿論それは国民の期待を裏切る行為だから糾弾すべきものだが、毎回同じ画面を流されて、同じ調子で「糾弾?」されると、いい加減にしてほしい、と言いたくなる。

 それも「大物」の逮捕を敬遠して、小物の「会計係」で収めようと見えるから、関心ある国民の理解は得られないだろう。なんとなく「エンタメ業界」のジャニーズ事件に似た来たように見える。これが民主国家の「限界?」なのだろうか。

「政治と金」の問題は、昔から「延々と」続いてきていて、「自民党をぶっ壊す」と言って登場した総理も、結局「郵便局を整理」しただけだった。

 裏がどうなっているのか知らないが、「腐敗せる政治家」に常識は通じないということだろうか?

 

 整理していた資料にこんなものが見つかったから紹介しておこう。1992年11月14日号の「週刊時事」の記事で著者は小堀桂一郎東大教授である。

 

 冒頭に「私欲におぼれた利権あさり、政権に就きたいがための暴力団への接近ーー。政治家の‟亡状”を糾弾する伝統派の叫びである」と編集部が解説しているが、「亡状」とは、WIKIによると「《よ行状がない意》無礼な振る舞い。無法行為。」とあるから、今TVで報道されている状況を言うのだろうか?つまり「政治家」とは飯山陽氏に言わせると、「蛮行を庇う愚か者たち」であり、岩田温氏に言わせると、「学があってもバカはバカ」の類だろうか?

「週刊時事」の記事の中に、【その中に「政治腐敗の認識は、ロッキード事件あたりから急に濃厚となり、リクルート事件、佐川急便事件とそれに関連しての金丸氏政治資金規正法違反事件と続き、殊に金丸氏の一件で市民の怒りが爆発した、と言った感じなのだが、どうもその「市民の怒り」に対して釈然としない感じがつきまとふ。】とあるから、「政治の浄化」なんぞ昔も今も全然変わらないのだ!今回もまたあまり期待しない方がいい!」と言うことになるのだろう。

 詳しくは記事を御一読いただくとして、中の副題を掲げると「日本の体面を汚す恥辱だ!」「金を与えて相手を黙らせる」「亡国を企図するのは誰だ」と厳しい。

 田中角栄と言えば、逮捕された「首相」だったし、「金丸信」と言えば金日成‟将軍”の前で涙を流した悪名高い男だ。この時、彼に同行した面々の写真は「SAPPIO」に詳しいからご覧になった方も多いだろう。私の昔のブログにも掲げてある。

 編集部は記事の中に【亡国を企図するもの】と中身出しをつけたが、要するに、当時も今も、(日本の)政治家?とはバッジを付けた詐欺師ぞろい!だったと言える。

 その被害者は国民であり、潤ったのは「商売人」と「政治屋の家族」だったろうが、天は今回その「御殿」をご先祖様の目の前で、仏壇の‟失火”で焼き滅ぼしたから果たして偶然だったのだろうか?と気にかかる。

 

 こうしている中でも、警察、消防、自衛隊員たちは、被災地で健闘している。永田町からはどうなのだ?むしろ穢れるし邪魔になるから行かない方がいい?ということになるだろうな。

 復興に励む方々のご健闘をお祈りする。

始まっている「国の崩壊」

 陸自幹部が、靖国神社に参拝した事に対して、アサヒはじめ「件の」新聞社がクレームをつけたことを買いたが、今朝の産経新聞だけは社説で、次のように書いた。

 当たり前のしきたりに、クレームをつける会社の心情が理解できないが、黙ってそれに従う官庁(この場合は防衛省)の精神も理解できない。

 スキャンダルで頭?が手いっぱいというのならわかるが、そうでもあるまい。もともと官庁には「労働組合」があって、沖縄で気勢を上げていたのだから、国自体が「法治国」ではなく「放置国家」なのだ。

 拉致被害者救出問題しかり!外交問題しかり!およそ国家の指導方針なんぞ無きに等しいのではないか?

 今私が一番恐れていることは敵が「連合艦隊」で侵攻してくる、という姿の戦争ではなく、相手国内に進出して、橋頭保を築いて内部から「敵」を崩壊させる方式だ。

 今それはわが国内で徐々に進行していて、一番危険なのが「教育分野」だと私は考えているのだが、今朝の産経トップにこんな記事が出たので、「やはり」と思った。

 新聞社という組織は、いわば情報の集積所であり、社主の意思次第でいかような色にも染まるのだから問題だろう。

 昔北京でシナの外交官と食事をしたとき、当時日本国内で話題になっていた「首相の靖国参拝問題」について、彼に意見を聞いたことがあった。すると彼は「日本の首相がいくというのなら、これで終わりですよ。しかし、お宅のチョウニチ新聞が何と言って来るか、それ次第でしょう」と言ったのである。

 一瞬「チョウニチ新聞」と言う言葉が聞き取れなかった私は、後で同行していた友人に確かめたところ、彼は「シナでもわかっているのですね」と笑ったのだが、「アカイアカイ、アサヒは赤い」で済む問題ではあるまい。日本の新聞社ではないという意識を持つべきなのだ。

 そう見てくると、今国内には相当な「敵性人」が集結しているわけで、外国人にお土産を買ってもらおうなどという「儲け心」で接することがいかに危険であるか知るべきだろう。

 もともと日本人は「心優しい民族」だが、そうではない民族が取り巻いているということも知るべきだろう。

 しかし、その初歩を教えるはずの学校がこれじゃ、自らの文化を破壊していることになるのじゃないか?

文部科学省」ではなく、「外国人養成所」とでも呼ぶべきかもしれない…

 前回は「国の末路」について考えてみたが、すでに要所から内部崩壊は始まっているのではないか⁇と心配になる。

 

 

近づく?国の末路!

 何気なく見ていたテレ朝が、陸自幹部らが「靖国参拝と大げさに報じたから我耳を疑った。

 朝日新聞デジタルによると、社説で「陸自靖国参拝 旧軍との「断絶」どこへ」と非難していていつものことだが、琉球新報社は、反自衛隊の立場を強調して

「現在の自衛隊組織が過去の戦争にどう向き合ってきたか、厳しく問われる事態だ。なぜ、このようなことが起きたのか、検証が求められる」と「辺野古の仇」を取ったかのように伝えた。

 この新聞社は私が沖縄に在任中に、朝日の記者と同居(今でもそうだろうが)していて、そのころから朝日の記者さんに「記事を手ほどきしてもらっていたこと」があるから一心同体なのであろう。

 それによると、【防衛省は、陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長ら数十人が9日、靖国神社を集団で参拝したことを明らかにした。小林副長は時間休を取得し、公用車を使用した。全員が防衛省自衛隊の内部からの参加で、いずれも私服で時間休などを取得していた。
 防衛省は1974年の事務次官通達で、宗教の礼拝所を部隊で参拝したり、隊員に参加を強制したりするのを禁じている。今回の集団参拝は通達に違反する可能性がある。新年の安全祈願として、陸自の担当部署が実施計画を作成したという。集団参拝はいつから始まったのか。74年の通達は徹底していないのか。参加者に強制力は働かなかったか。木原稔防衛相に集団参拝を事前に知らせていたか。疑問は多い。防衛省は事実を明らかにし、公表すべきだ。(以下略)】と補足したが、当時の「反自衛隊活動時」とそのままである。

 要するに琉球新報社は何が言いたいのかと言えば【沖縄においては、沖縄戦を戦った32軍の首脳らを弔う黎明之塔に陸自隊員が集団で「慰霊の日」の早朝、制服で訪れたことに強い批判の声が出た(??)「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓に照らしても批判は当然である。
 2022年末に安全保障3文書が閣議決定され、日本は「戦争ができる国」へと大きく転換した。この流れの中で、陸自の集団靖国参拝は決して軽視できない行動だ。二度と繰り返してはならない】ことに反対したいのだ。

 他では西日本新聞が、「陸自幹部が靖国集団参拝、実施計画は行政文書、防衛省、組織性を調査」と報じた。

 この新聞社は私の高校生時代は真っ当で、その後左翼勢力に占拠された?という説がある。

 おなじみ?の毎日新聞は【第二次大戦のA級戦犯が合祀されている靖国神社自衛官が組織的に参拝していたとすれば、不適切だと言わざるを得ない】と追随しているが、産経新聞は【陸自幹部らの靖国参拝巡り「時代遅れの通達こそ見直すべき】とする自民・山田宏氏の【国のために尊い命をささげられた英霊を、自衛官が参拝するのは当たり前だ。50年前の時代遅れの通達を見直さず、放っておいたことが問題だ。もちろん参拝の強制はあってはならない。ただ、隊員が自由意思に基づいて皆で参拝することは、現通達からも問題ないと考える。世界の常識だ】とする意見を添えて報じたが、ここに「反日メディア」と「公正な記事」に注意する新聞社の旗の色が鮮明になった。山田氏は続ける。

【昨年4月には陸自ヘリコプターが沖縄県宮古島周辺で墜落し、隊員10人が死亡した事故が起きた。今回、靖国で安全を祈願した陸自幹部や隊員は事故を調べた航空事故調査委員会のメンバーだ。痛ましい事故を二度と起こさせまいと皆で祈願して何が悪いのか。国のために尽くした英霊に安全を祈願するのは、英霊への慰霊でもある

 陸自幹部の集団参拝は日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗毎日新聞スクープとして報じたが、自衛官靖国参拝を問題視する国民は少ないのではないか。

 防衛省は釈明に追われているようだが萎縮しないかを危惧する。こんなことで有事の際に自衛隊は戦えるのか。50年前に比べ、日本の周りは軍事的な脅威ばかりだ。現在の日本の安全保障環境に合わせて、自衛官靖国参拝のあり方も他国の軍隊のあり方と同様に国際標準にすべきだろう。】と結んだ。(聞き手 奥原慎平)

 全く同感である。かっては3・11で、いまや能登地震で活動している隊員たちに、朝日、琉球、毎日、西日本新聞社は、顔向けができるのか?

 言っても聞く耳を持たないだろうから、国民はこのことをよく覚えておくがよかろう。

 しかしやがてインターネットに食われる会社だから、そう長くはなかろうが・・・

 問題は日本国政府の対応である。何時までこのような「自国の軍隊」に対する「罵詈雑言」を許して置く気だろうか?

 自国のために身命をささげた軍人に対する節度ある行動は、たとえ共産国でも決まっている。

 日本国首相が訪問した先で、必ず畏敬の行動をとるのは、自民・山田宏議員によらずとも【国のために尊い命をささげられた英霊を、自衛官が参拝するのは当たり前】の行為なのであり、その「当たり前の行動がとれない組織」は反国家組織なのである。

 前述の「朝日新聞社西日本新聞社琉球新報社毎日新聞社】などはその筆頭であろう。だから社会情勢が混乱した時、これらの新聞社は「群衆から非難される」のである。

 記者個人はいいことを言っている気分なのだろうが、不勉強な「若造記者」に何が理解出来るか。

 

 こうした、国として自分達の国を畏敬しないような「国民」は排除するべきだろう!

 自分たちのスキャンダル隠しで「それどころではない」とでもいうのならば、次回の選挙で片が付くだろう。キックバックがあてにならなくなるぞ!!

 

 改革は新聞社員達には無理だろうから、せめて政治家(屋?)達には、前回ご紹介した「Will」の記事にあった岩田温氏の「学はあってもバカはバカ」に出てくるの戦争未亡人の句、

かくまでも醜き国になりたれば、捧げし人のただに惜しまる」を熟読してほしいものだ。

 

国の「末路」が近づいている気がする・・・

厳しい年明け

   昨年末に友人たちから「よいお年をお迎えください」と挨拶されるたびに、私は「よいお年ではないので、おめでとうとは申し上げません」と答えるので笑われていた。

  きっと「へそ曲がりの病み上がり者だ!」と思われていたことだろうが、事実だから仕方ない。

 私事だが、後期高齢者の仲間入りをして以降、年賀状は終了したのだが、それでも「いただくこと」が多く苦慮していた。今年も70通を超える年賀状が来たので、返事を控えることが失礼に思われ、久しぶりに差し上げたが、標記のようなものになった。

 

 年明け早々の能登半島地震は、被災者の方々には全くお気の毒としか言いようがないが、続いて起きた羽田での航空機事故は、十分に避けられたものであった。どこかにゆるみがあったのだろう。

 私には「確信」があるがあえて言わない。何度も体験してきていたものだから・・・

 関係者はいろいろと理屈を述べるだろうが、離陸時と着陸時に最も注目しなければならないことは、着陸する滑走路の「安全確認」である。

 そのために管制塔はあるのであり「管制官」がいるのである。当然、着陸する操縦者もいるのだということは誰もが知っているのにだれもが「忘れている」のだ。犠牲になった海保の乗員は実に気の毒である。

 JALの方は乗客の協力もあり無事に済んだが、これが乗員たるCAの仕事である。彼女らは任務を果たしたに過ぎない。

 これらの事例に対する「報道」を見ていると、この国は「緩んでいる」と思わざるを得ない。

 友人の陰陽師氏によると、辰年には不思議な事件事例の因縁があると言い、その実例を挙げているがよくあたっているので感心する。

 天変地異の代表格である「地震」は、あれだけ「予知連絡協議会」などが活動していても、未だに「当たるも八卦」である。

 自分の身は自分で守る、のが人間たるものの生きていく上での「基本条件」であることを改めて思い知らされる。戦争もそうだが地震大国ならではの国民の諦観とでも言うべきものだろうか?

 

 最近、特に近しい方々の訃報が続くが「時代の転換期」だと改めて思わされる。

 国基研の副理事長であった田久保忠衛氏も天に旅立たれた。憲法はじめ思い残されることは多々あっただろうに。

 

 友人であり師でもある小堀桂一郎先生が、「何よりも『強い国日本』の復活を」と唱えておられる。私も全く同感だが、「強いことは悪いこと」だと勘違いしているこの国で、いかほどの人たちが同感することだろうか?と寂しくなる。

「時代の転換期」は、国そのものの「転換期」でもあるかのように見える。

 厳しい年の明けである。

来年がいい年になることを祈って

 今年は、なんともはや「米つきバッタ」が異常繁殖した年になった。

 今忙しいのは、何といっても自民党の「安倍派」と「特捜」だろう。そう見ていたら、なんと民間会社もそうらしい。これがその証拠だ。(産経新聞12月21日)

自動車製造会社は、排気ガス規制問題以降、次々に繰り出される「規制の連発」についていけず、とうとう「まあ、いいだろう…」と手を抜くことが常識になったようだ。

 どうして止められなかったのか?と会社組織、いやどこの組織もそうだが、流れに掉さす人間がいなかったのだろうか?と気にかかる。

 米つきバッタ、そのままに、こうして責任者が「頭を下げるのが習わしになってしまったが、なんとも悲しい現象だ。この映像は、世界中に拡散されるのが、当事者もマスゴミにも分かっていないようだ。つまり、日本人そのものが、世界中から「軽蔑」されることになるのだ。

 その昔は「メイドインジャパン」は世界共通の評価だったのだが・・・

 産経新聞は、産経抄「嘘のない仕事を誇りとした「ものづくり」の国の、嘆かわしい闇である」と書いた。

 多くのご先祖様たちが艱難辛苦に絶えて築き上げてきたこの国の「宝物」である。

 「オピニオン」欄には、先日公表された外交文書について、乾正人氏が「外務省は国を誤らせた」と題して「外務省が中国に送ったプレゼントは、百年の禍根を残した」と書いた。

 私は、義父・寺井義守が開戦直前に海軍補佐官として米国大使館で見た外交官たちの緊張感も責任感もない行動を知っているからか、特によく理解できる。日米開戦時の「通告遅れ」の責任は、どの外交官も取らなかった。逆に関係者たちは戦後「出世」しているのだ。

 人間だから、多少の過ちはあるだろう。しかし問題はその責任の取り方である。

 日中間で中国を救ったこれらの「日本側の外交官たちとそれを応援した政治家たち」は一切責任をとることなく、今ものうのうと生きているのだろう。

 責任の取りかたとして、私が感銘を受けているのは、旧軍人の中に多い。「特攻隊の生みの親」とされた大西滝次郎中将や、日米戦の責任を問われて、敵国側から見せしめとして「縛り首」にされた東条英機大将以下、27人のA級”戦犯”達である。腹を切る覚悟があった「武人」と、金勘定に明け暮れる輩の差だと言えばそれまでだが。。。

 彼らと、今「話題」に上がっている現代の”裕福な”日本人たちの人相そのものが、決定的に異なっている。緊張感も責任感も私には感じられない。

 ここまで「侍の国」日本人の質は落ちたのか!と悲しくなる。

 私には相手の学歴や能力などはわからないから、対象になる人間の「人相」でしか判断できないが、おおむねそれは当たっていると思う。

 かって「戦闘機操縦教官」として、4年4か月にわたり、多くの学生たちを指導してきた「実績」があるからだろう。

 単なる顔の「美醜」だけではなく、その内面から浮き出てくる「オーラ?」を感じるのである。その意味では、今北海道でも「オーロラが見られる現象」が気になるところだが・・・(笑い)

 今年も押し迫ってきた。孤独な老兵には新年への期待も無く、ただ「飛ぶ鳥跡を濁さない」ことを心がけるだけだが、それにしても、なんと「糞をまき散らして平気な鳥」達が目立つことか!

 良い年が来そうにないから、皆様にも「よいお年を」とは言わないことにして、「よいお年になることを期待しましょう」というにとどめたい。

 

届いた書籍のご紹介

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Hanada 2月号

表紙に紹介されていないが、308ページから「雫石航空事故 52年目の真実」と題する故・石原準氏の一文が出ている。

彼は元浜松基地の安全班長で、事故当時最初に現地へ飛んだ航空自衛官である。しかし彼の”遺作(調書)”は握りつぶされた。ご息女が今これを公開したのだが、当時の事実の一部がよく分かるだろう。

 私は当時1等空尉の弱卒にすぎず、発言の機会もなかったから、現役時代に書き止めていた原稿を退官後に出版して、故人となっていた隈君へのはなむけとした。(自衛隊の「犯罪」・雫石事件の真相:青林堂)

 当時お付き合いしていた佐々淳行氏に一言頂いたが、「自衛隊操縦者は無罪だよ!」と当時の腰が抜けた航空自衛隊幹部らを非難されたことを思い出す。

 私としては政治家の恐ろしさを知った時だった。田中角栄(の時代)だったが・・・ご一読いただきたい。

WILL 2月号

「日大の病理」は面白い。これをまねて「日本の病理」にしようかと思ったが、WILLに申し訳ないのでやめにした。「日本の病理」の遠因が、ここに集積されている。今の日本という国は「病気」なのだ!

 248ページには、岩田君が復帰したことが紹介されているが、危なかったのだ、よく助かったものだと思う。

 そして助かったからには、今度ともどんどん活動してほしいものだ。

 

「詐欺師;仮面芝居の物語;ハーマン・メンビル著;留守晴夫訳:圭書房¥2700+税」

 元早稲田大学教授の留守晴夫氏の翻訳による労作である。先生は仙台藩の留守家老の直径で文学者。多くの著書を翻訳しておられるが、個人であり頭が下がる。

 今リハビリ中の私には、500ページを超える大作には、気力が続かない…もったいないが、友人時代の思い出としていただくことにしたい。

息苦しい「年末」だ。

『パー券問題』が、大谷選手のドジャース入りで影が薄れたか?と思ったものの、月曜になると、検察?とアサヒが組んだらしいとの報道もあり、大問題になっている様だ。   おそらく大臣の首を取らねば、メディアは振り上げた手が収まらないところまできてしまったようだ。

 マ、当事者たる自民党の対応が悪く、次々とぼろが出てくるから、これは「メディアの勝ち」となるだろう。

 それにしても84歳の私から見れば、「高学歴?無教養な議員がこれほど多くなったのか!」とあきれるばかりである。岸田総理の支持率も最低になるはずだ。教育の立て直しは急務だろう。

 最近、楽しみが無くなった一老兵としては、気は進まないがこの成り行きを見つめておこう、と思う。

 金と政治の問題は、これで終わるはずはないが・・・。

 それにしても「緩み切った組織」がまだ残っていたものだ。思い上がりだろうな~

 

 他方、今の若者たちには、世界で堂々と活躍する者が増えてきていて頼もしい限りだ。

 まず「大谷選手」だろう。之には国民の誰もが反対することはあるまい。彼は、腕一本で今の地位を築きあげたのだから。

 次は将棋の藤井八冠だろう。彼にも誰も文句は言えまい。彼の実力なのだから。

 

 一方、無様なのは、前に上げた“大人の”政治屋どもである。金に群がる「政治屋ども」の姿は実に見苦しい。

「政治家は、政策課題に取り組め」と国民は叱咤しているのだが、こんなにもわが国の政界には‟人材”が不足しているのか?

 行く先々で、愚にもつかない(と見える)話題をばら撒き、いい気になっているが、言葉の裏に「保障」が見えない話には、外国だって飽き飽きしているのだ。

 しかし貰えるものは欲しい!そこで国民から集めた金を、惜しげもなく彼らにばらまき、支出させられる国民は身を削って働かされる。しかもその働く場所さえ、外国人に奪われているのにだ。

 自分らは「裏金(表がね?)」に群がって飲み食いに明け暮れ、いい気なもんだ!と、国民は感じるだろうし、ここまでくれば(マスゴミが騒げば)、徹底的に「浄化」する必要がある、と国民は思うだろう。

 だから、現状では「メディアの勝ち!」だと私には思われるのだ。

 九仞の功を一気に欠いたも同然、地元選挙区では有権者は見抜いているぞ!

 そしてまた思想・信条の異なる輩が、出しゃばってきて、天変地異が起きれば右往左往する。3・11がそうだったじゃないか!

 かってそんな「風景」を見慣れてきた有権者は、信用できない野党よりも…と「自民党」に投票してきたのだが、次回選挙はそうはいくまい。それが内部から起きる国家の危機なのだ。それに国際紛争が加わるから、安全保障は一気に揺らぐことになる。しかし、それにだれが責任をとれるのか?

 

今わが国で最優先の事業は、国防力の強化である。

有事の対応はどうなるのか?

 今回の件で「大臣」を交代したから、自分には責任はないというのか? 勿論マスゴミは、そんなことには一切責任は取るまい。

 

 そんなところが声高に叫んでいる「政党支持率」に右往左往する必要はあるまい! 実に見苦しいことありはしない。

 

 今、遅ればせながら体制整備中の南西方面の防衛はどうなるのか?そのまま米軍に守ってもらう気か?

 消費税の減税や、何よりも憲法改正」が急がれるというのに、”頭”がいなくなった「役所」が代わりに任務を果たすのか? 役所はしっかりしているだろうが・・・

 

 虎視眈々と弱体化を狙っている「特定外国勢力」は、舌なめずりをしているだろうに。

 

スポーツ界や、将棋の世界で大活躍している「青年たち」が、笑って見ているのは仕方ないが、文化や制度が違う他国民から「笑われて」いるのは危険なことだ!と認識してほしい。

 元気を回復しようとしている「老兵」だが、あまりにも情けない政治(と報道)の醜態に、元気がわかないことが、残念だ。

 ストレスがたまる年末だ。

「パー券…」騒動、これで国が守れるのか?

 連日国会の「パー券」騒動でTVのワイドショウは賑やかだが、登場する議員らの人相を見ているだけで、なんとも物悲しくなる。

 しかも、判を押したように「捜査が入っているから回答を差し控える」などと、とにかく逃げの一手でごまかそうとするように見えるから一層卑怯者に見える。連日これをTVで見せられている国民は情けなく感じているに違いない。おそらく今この時点で「解散総選挙」でも行おうものなら、自民党は確実に惨敗するだろう。それでなくとも有権者からはすでに相当「飽きられている」のだから。

 私が彼らの人相に慄然とするのは、これで「有事に対処できるのか?」という一語に尽きる。

 現役時代、○○委員会などと称して、彼らはいわば「官費の大名旅行」の部隊訪問をして回っていた時から、私は彼らには“軽蔑の念”しかもっていなかったが、今はさらに酷すぎるようだ。「政治屋」と称する彼らには「宴会」と「パーティ」がお似合いなのだろう。

 「政治家」を名乗るのであれば、しっかりと「政務」に取り組んでほしいと思う。

 こんな有様では、亡き英霊はじめ三島由紀夫氏はどう嘆いているだろうか?

 それよりもいざ有事に臨んで、現役自衛官さえ誰も彼らにはついてはいくまい。

 ある政党のミニコミ紙は、「令和五年を振り返って」見て、1、自衛隊の本質的議論、2、戦後政治の体たらく、3、異論封殺の愚、4,真の政治力の回復を、と主張しているが、「…民間の頑張りで経済的には目覚ましい成長がもたらされたが、その経済力も今低迷に喘いでいる。政治力の牽引が緊急的必須要件であるが残念ながらその可能性は現状の既成政治党派に期待すべくもない…」と厳しく断罪している。

 確かにわが国は「優秀で勤勉な国民」に支えられて、これまで日本国は瓦解しないできたが、今後はそうはいくまい。「政治が真っ当でない以上、各所に息切れが生じる」だろう。

 口先だけで、何もできない野党初め、騒ぎ立てるだけの「マスゴミ」がそれに加わるのだから先は見えている。

 いい歳をした「大人たち」よ、後を継いでくれる若者たちに、それで顔向けができるのか?

 久しぶりにTVを見る時間が取れたら、この国の将来が真っ黒に見え始めた。寂しい限りである・・・