軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

邦画2作がアカデミー賞を受賞

 今朝の新聞に「邦画2作がアカデミー賞」を受賞したと出ていた。偶々、十日の新聞一面で「ゴジラ―1・0・・・戦え日本」という谷本真由美女史の記事が出ていたが、映画を見ていないからよくわからなかったが、彼女が「この映画は創意工夫」が凝らされていて「ハリウッドであれば何倍もの予算と人員をかける部分を(日本人は)工夫で乗り切っていたのだ」と評価し、世界には「日本人が作り上げたものを愛する人が大勢いる」と、労働力不足などで苦しむ「ピンチこそ『創意工夫の機会』ととらえて知恵を駆使して世界に挑戦していくべきだ。」と書いていたことに同感していたから、今朝の新聞を見て納得がいった。久しぶりの快挙であろう。

 連日報道されるニュースを見ていると、政界のだらしなさや、財界人の、進歩の知恵のなさにわが国の先行きは暗いが、今回のアカデミー賞受賞作品が、「低予算、少人数で作ったのに、その効果の完成度がずば抜けて高かった」とする映画評論家の言葉を引き、「技術力と作家性が世界に感銘を与えた」とする今回の記事は明るいニュースである。

 

「国際化?」か何だか知らないが、とにかく「金がなければ何もできない」ように思い込んでいる最近の日本人に「喝を入れた」ことはうれしい。

 私が子供のころは、敗戦直後ということもあって「米国の強大な物資に負けた」と大人たちが悔しがっていた事は覚えていたものだが、「知恵が足りなかった」?というべきじゃなかったのか?と思う。

 事実その「強大な」米国は昭和50年に小国・ベトナムに敗戦したじゃないか! 確かに金は物事を左右する大きな力であるが、貧乏「自衛隊」で過ごしてきた私にとっては、部隊に金がないことは常態であって、その中で「創意工夫」を尽くすよう指導されてきたから、今の財界人のように、最初から金がなければ生きていけないような発言をすることには抵抗を感じる。

 私のころも「メイドインジャパン」は世界を制していたはずだ。それが怪しい?「西欧化という用語」に刺激されて以降、その精神がなくなって、シナに追い抜かれ?ドイツに抜かれた…などと騒いでいるだけの事じゃないか?

少し、腰を落ち着けて物事を見ることだろう。立派なご先祖様を頂いている国だということを最近忘れているような気がする。

 

 日本人独特の「職人芸」はまだ廃れてはいないのだ。その例として、漫画家・鳥山明氏の評価はアルゼンチンでも国民に偲ばれているというではないか!

「アニメの世界」が、戦いを忘れて自信を失った「平和国家日本の男ども」の“名誉”をかろうじて守っているかのようだ。

 オレオレ詐欺にうつつを抜かして「東南アジア」に逃亡し、頭の悪さを世界に広めたり、国内でも「スケベ心丸出し」で、人間の品位を落としている若造連中に、真の日本人の精神を誤解されてはなるまい。

13年目の3・11を迎えて

今日は、例の「3・11」から13年経った当日に当たる。今年は「1・1」能登半島地震に打ち消されて、記憶から遠のいていたが、13年前の私のブログを読み返して、当時を振り返ってみたい。

 当時は、自堕落だった自民党政府が、野党の「民主党」に政権を奪われていて、驚くべき“人材”が指揮を執るという、最も悲惨な時だったが、大方の国民はすでにその‟不幸”を忘れている。中には「現政権の乱れから」その復活?を期待しているというから、話にならない。尤もそれは、今の政府も当時と同様にあまりにもだらしなく、責任感が欠如しているからだろう。いい機会だから、私も“反省のために”13年前の記事を読み返してみようと思う。

 

【2011年3月10日の記事=大地震お見舞い】

 3月10日午後、戦略研究会に出席するため、平河町まで出かけたが、珍しく地下鉄の

中で「携帯」が入った。見ると石巻の神主さんからで、半蔵門出てから連絡すると、「司令さん、いよいよ始まりますよ〜。福島沖、群馬、新潟…、地震と大津波で大変なことになります。馬鹿なことばかりしているだらしない政府を早く変えないととんでもないことになる…」とのことだった。
 すでに昨年暮れの大祓の儀で聞いていたことだったから私は「それよりアフリカなどの暴動の方はどうなりますか?」と聞いた。
「旧世界は変化して、王政などが大きく転換する」とのことだったから、「いよいよ新しい時代の始まりですね〜」と言って電話を切った。

 そして11日午後、ブログを書き終えて書斎整理をしようと一服していた時に激しい揺れが襲ってきた。天井の電灯が激しく揺れ、テレビ棚の上の装飾品がガタガタ音を立て、数個床に落ちて破損した。
 揺れが一段落したので階下に降り、被害確認のため家を一周しウッドデッキに出ると、家内が丹精込めたバラの植木鉢3個が破損していただけで被害軽微。ガスは自動的に切れ、近代設備の有効性を確認したが、買い置きの水と懐中電灯を準備、居間に戻ってテレビを見ると既に被害情報で氾濫していた。
 地震予知連絡協議会や携帯電話などは、いざとなると頼るに足らず、と思っていたが、やはり有効に機能しなかった。

 自らの身は自ら守り、知恵を最大限に活用するのが生きるための鉄則これは墜落した際のパイロットのサバイバルの原点でもあるが、TV画面を見た限りでは、死者千人を超える大災害になる、と直感した。

 以前から私はこのことあるを予見し、政府のお遊びごとに愛想が尽きていたのだが、やはり現実にならないとわからないらしい。
 揺れを感じて初めて「経験がない」素人たちは右往左往、その中で3自衛隊が独自に活動を開始したのがせめてもの慰めだった。シビリアンコントロールが適切に機能したのかどうか?(以下省略)

 

 備えあれば憂いなし!は、いつの世にも通じる警告の句である。

 今では東北地方は、なんとなく通常に戻った感があるが、北陸地方は真っただ中にある。この時もそうだったが今も、「政府は国民の立場に立ってはいない」ようだ。

 これは‟お人好し日本人”の「宿命」なのかもしれない。

85歳を迎えリハビリ中の「一老兵」には、お役に立てないことが何とももどかしい。

 

 

 

閑話休題

 各週半日のリハビリ訓練中だが、やはり「強制されないと」人は動かないことが体験できた。指導員の適切な指導で、身体を動かすことは重要である。体重も4キロほど回復したし、暖かくなったら近距離のウォーキングを再開しようと思っている。

 今日は気温も穏やかで、動きやすいこともあり、混迷を深めるロシア情勢やウクライナ情勢など、ストレスがたまる国際・国内情勢を離れて、子供の時の「思い出」に重なる記事を書いてみたい。つまり今日のブログは「閑話休題」というところだ。

 今朝の産経新聞「日米友情人形」という記事を見つけた。

 私事だが退院後の「孤独老人の健康」を気にして、毎晩夜になると“かわいい10歳の孫娘”からスマホが届く。

 内容は彼女のその日の夕食報告後、「おじちゃんは?」とくるから私の夕食メニューを答えるのだが、時々内容を間違えることがある。

「いや~ボケが始まったか?」と思うことがあるが、案外食べたばかりの献立を忘れるので、驚きだ。

 それは「健康確保のための減塩食」を取り寄せて「チンして食べる」だけのことが多いからかもしれない(などと言い訳している)。

 その後彼女からハーモニカ演奏要求が来るのだが、気が付いたのは「老人会」で私たちが“歌っている”曲名をほとんど彼女は知らないということだ。

 アニメソングや、現代の曲は知っているが、「小学唱歌」はほとんどなじみがない。「時代だなあ~」と思わされるが、私たちの老人会では、みんなが懐かしがり、一斉に斉唱する懐かしい歌は彼女には縁遠いものが多い。良いものは良いはずだ。

 最近では「学校も変わったなあ~」と認識を改めているのだが、しかし、どう考えても「老人たち」が未だに忘れていない‟名曲”には快い響きと、胸に迫る内容があるが、アニメソングなどには「縁遠いせいか」なじめない。

 昔母から「子供は流行歌は歌わないように!」ときつくいわれたものだったが・・・

 そんなことで「日本の心をうたう『日本の叙情歌』」という本を買い求めて次々に、“強引に”片っ端から演奏していると、彼女も次第に慣れてきたらしく「おじちゃん上手!」と褒めてくれるようになったからうれしい!。

 そこに今回の記事がでたので、今日は「青い目のお人形」の歌を‟解説”してやろうかと思う。

 この歌は、大正末期に起きた「事実」に基づき、歌は大正12年12月に野口雨情が作詞、本居長世が作曲したできたものらしい。

 

 このころの歌としてこれに似ているのは「赤い靴」だが、これもこの二人が作詞作曲したものだから、感じが似ているのだろう。どことなく楽しい中に哀愁があり、当時の子供たちに好かれていたことだろう。

 

 前述の「青い目の人形」に対しては、日本側は「答礼人形」を米国側に贈ったと記事にはある。

 今の世界情勢では考えられない?ことのように思われるが、大正時代には、日米関係はこうだったのだ、という見本でもある。

 今や「インターネットの世界」、瞬時にして情報が相手方は元より、世界中に広まる。しかも相手方を貶めようとする情報工作が頻繁である…。

 

 世界が狭まった証拠かもしれないが、本当に「それで人間は幸せ」なのだろうか?

【狭い地球、そんなに急いでどこに行く?】と言う時代ではないようだが、人間性という面では何かをどこかに置き忘れてきたように思う。便利にはなった?が、どこかせわしく殺伐としていて、「人間の生きる世界」ではなくなってきたような気がするのだが…

 

 

届いた本のご紹介

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『日本では報道されない・世界のファクト(谷本真由美著:WAC) ¥1000+税』

知人から贈られてきたもの。現実の世界はこの通りだ。日本のメディアもその点では規模が小さいだけで、内容は同じだろう。手ごろだからご一読あれ!

 

ロシア侵攻から2年…

ロシアによるウクライナ侵攻からはや2年が過ぎた。

今朝の産経新聞は、ウクライナ軍の戦死者は3・1万人であるが、大統領は停戦交渉は否定しているという。戦力が低下したウクライナ軍としては、今さら「停戦」することは、ロシアに完全屈服することであり、その意味からでも戦死者のためからも「降伏」はありえまい。

アメリカは軍事支援すると言っているが、はかばかしくないので、ゼレンスキー大統領は焦っているようだが、アメリカは選挙を控えているから、おいそれとは行動できまい。

ウクライナは、一時は首都キーウはじめ主要都市を攻撃されて、国民の一部が国外へ脱出するなど、危険な時があったが、それは一応こらえることが出来たようだが、それにしても2年は長い。むしろ国民が団結して「抵抗している」ことの方が不思議に思える。それほどウクライナは「ロシアが嫌いなのだ」という証拠だろう。

しかしここにきて変化が見え始めた。スウェーデンの「NATO加盟」である。

プーチンは、ウクライナに攻め込んでは見たものの、なかなか戦果が上がらず、民間人部隊や「囚人部隊」を始末することはできたものの、それほど「治安」は良くならず、戦闘では一進一退であり、下手をするとロシア国内に「厭戦ムード」が高まりかねない。指導者の二人とも、苦労しているが、ウクライナにとっては「今が一番踏ん張りどころ」だと思われる。

NATOが東側に接近してくることを恐れていた筈のロシアのプーチンの目には、今回のスウェーデンNATO加盟はどう映ったか?

2年前に自らがウクライナに侵攻した結果、NATOは拡大してモスクワに迫ってきてしまった!

他方イスラエル戦争も現在ガザ地区地上攻撃前であり、「民間人」を避難させるため交渉はするというものの、戦争行為を「引き起こした」のはハマスの方であるから、イスラエルにとっては既定方針は変えるまい。つまり、徹底的な「ハマス一派」の撃滅である。ハマスの指導者たちは今頃どんな気持ちだろうか?戦争の「読み方」があまりに雑で、まさかここまネタニヤフが本気に攻めて来るとは考えていなかったのじゃないだろうか?

これを一般的に「誤算」というが、高くついたものだ。気の毒だったのは音楽祭?に駆け付けて「ハマスの人質」になった人々だ。

しかし、本人と関係者たちは別として、時がたてば周囲の人々は忘れ去るものだから、ほとんど今では忘れ去られているだろう。

東洋の“大国”であるべき日本は、指導する立場にある「国会議員たち」があの体たらくである。柿沢議員の補欠選挙の様相は、まるで「漫画」であり、茶の間のパロデイである。この騒ぎを見たら、今後選挙に行く人たちは激減するだろう。

 

27日、また関東地方にも「雪の予報」が出ているが、昔の2月26日は「大雪」が降って、都心は騒然とした。「226事件」である。今では知っている人はいないだろうが、政治家たちの「退廃ぶり」は今も昔も変わらない。昔は「正そう」とする人がいたが、今は皆無だろう。そして犠牲になるのはいつも「庶民だ」ということも事実だ…

 

届いた書籍のご紹介

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Hanada 4月号

「祖国のために戦いますか」はご一読いただきたい。その昔、大企業の会長が「敵が攻めてきたら、南国の島にでも移住するか」と答えてことを覚えているが、今も変わっているまい。

WILL 4月号

ハマスに公金(43億) 日本外交の”赤っ恥“」は面白い。

「裏金騒動は”安倍憎し”朝日の怨念だナ」もご一読あれ。

自民党は崩壊する?

 ロシアで、プーチン氏の対抗馬とされてきたナワリヌイ氏が「死亡」した。彼は「政権側(プーチン氏)の不正・腐敗への執拗な告発を毛嫌いし、プーチン氏がその名を公の場で絶対に口にしなかった」男であり、「彼の死亡」を受けて露各地どころか、世界各地で追悼行事が行われたので、治安当局はびりびりしていて、各地で拘束者が増えているという。 

 政権側の「発表」によれば、「同氏は収監先の露北極圏ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所で16日、散歩後に体調不良を訴えて意識不明」となり死亡したとされるが、いつものことだから「暗殺」と見られている。政敵を「暗殺する」政権とは、ロシアだから出来ることで、フィリッピンでも起きたことがあったが、マレ?なことと理解されている。要するに大国ならぬ「未開国」に近いということだろう。

 これで思い出したのだが、平成15年10月に、有志とともに私の生まれ故郷である「サハリン(樺太)」を訪問したことがあったが、2度目の訪問であったから、案内人は「元日本国民」であった私と同年の女性であった。気が合ったこともあり、同行した車内初め、訪問地などで色々と「内部事情」を話してくれたのだが、その中に「ロシア人には代々人殺しという家系があるようで、そのやり方がアジア人には理解できないでしょう」と実例を挙げて教えてくれたことがあり、その後各地を見て回るうちに納得したのだが、今回も、ナワリヌイ氏はその「専門家」にやられたのだろうと思う。しかし、その‟相手方の彼”は世界を牛耳る指導者のひとりなのだから、何をかいわんやである。

 一方月刊中国によると、同じ体制である中国にも反乱組織 (革命自由軍)が出来たという。しかし宮崎正弘氏によれば、「中国は企業のなかに共産党細胞を設置せよと命じている」し、「外国企業、合弁企業も例外なく共産党細胞がある。国有企業では党書記が居て、社長より偉い。国有企業というより党営企業である」というから、一般的に我々が想像するような組織であるのか不明である。

 しかし、経済政策が大きく減退している国だから、失業している若者たちの間に、「不平不満」がたまっていてもおかしくはない。共産党に命じられて「社員教育」をしている企業であっても金儲けができなくなっているのに「軍事訓練」などやってはおれないだろうから、何らかの動きはあるのだろう。第一軍隊に「異変」が起きているようだ。

 他方、米国には内部崩壊の危機が迫っていて、バイデン大統領は、合法的?に、政敵であるトランプを締め上げているというから穏やかではない。 

 国際情勢は、ウクライナや、イスラエルのような「戦闘地域」ばかりか、そのような一見平穏そうな地域にも、各種の争乱や事故・異変などが続いているようで、平穏だとは言えそうにないが、そんな中で日本だけ?が「自民党議員らのパーティー券収入のキックバック」が大問題になって政治が停滞している国は「正常ではない」だろう。

 伝えられるところによると「自民党所属国会議員らを対象としたアンケート調査では、2018~2022年にパーティー券収入のキックバック(還流)や中抜きに関する政治資金収支報告書への不記載や誤記載があったのは85人で、総額は計5億7949万円に上った」というから、4時間以上も列に並ばされて、”無理やり”「確定申告」」させられてきた身としては、前後に並んでいた、それも杖にすがって拠り所のない中で、耐えていた二人のご高齢のご老人の姿が気になって仕方ない。

 このような「まじめで実直な国民」に支えられているのだ、ということを、「選良」には改めて認識してほしいものだ。そのうちに我が国でも「反乱」が起きるぞ!

 今朝は天皇誕生日だったが雨。日の丸を掲げることなく一日過ごすことになりそうだが、国の行く末が気がかりになる。微力な老兵が気にすることもないのだが、産経新聞に乾記者が書いていたことを紹介するにとどめよう。

乾正人記者は「問題の本質は「派閥」ではないことを有権者はよくわかっている。自分たちは所得を細かく把握され、高い税金を払っているのに、政治家は税のかからない政治資金をあろうことか「裏金」として好き勝手に使っている、と怒っているのだ。

 税務署に並んで、真面目に申告しているご老人方(私もその一人だが)を目の当たりにして苦労した私も全くそう思う。乾氏は【代わりに党本部が支援すればいいだけの話である】と切り捨てたが同感だ。

 

全国の「自衛隊部隊視察」という名に任せて、実態は「東北旅行」や「沖縄旅行」を楽しみ、毎晩「宴会に明け暮れていた」連中の代わりに「報告書」を取りまとめていたのは委員会から随行してきた役人たちで、“委員”が国会でおざなりな「報告」をしても何ら「政策に反映」されてこなかったじゃないか。こちらの方が「Pの裏金」問題よりも、質が悪かろう。要するに「政治家は政治に真面目に取り組んでない」のであり、票集めと金集め、その裏で「勤勉で正直な国民」に支えられて生きてきたことを、この際自覚し猛反省すべきだろう。

英霊方の”怒り”

今朝の産経新聞にこんな記事が出た。リードにはこうある。

先の大戦中の昭和19年に戦没した日本海軍の軽巡洋艦「那珂」の慰霊祭が17日、茨城県大洗町の大洗磯前(いそさき)神社で執り行われる。沈没から80年となる今年は、数年ぶりに乗組員の遺族も参列する。昭和20年の終戦前年、日本は特別攻撃(特攻)を始めるなど多くの犠牲者を出した。さまざまな激戦から80年の節目を前に、関係者らは改めて「国防」にも目を向けてほしいと願う。】

(写真は昨年の靖国神社の風景)

 

世の中、相変わらず「国会議員らの不祥事騒ぎ」で、いつものことだと言えばそれまでだが、その陰で「幼子たちの悲劇」が続いている。4歳の二女を殺害した親のごときは、人として生きる資格はなく、「鬼か殺人鬼」の仲間というべきである。警察は二人を速やかに処分すべきじゃないのか?

 こんな連中に「人道」が適用できるはずはない。

 上乱れれば、下また不幸続く…の典型に思われる。

 それにしても犠牲になった4歳児を救う手立てはなかったものか?世には「公的機関」が「税金で」整備されていように…

 私には、一見平和に見えるこの世の中に続く「悲劇」は、過去の大戦で失われた「特攻隊員」はじめ「英霊方」の怒りのように思えて仕方がない。そこで【靖国神社】の記事が目に留まったのだが英霊方も、この4歳児のように「正しく扱われていない」といえるだろう。

 国のために「地球より重い?一つしかない命」を捧げて南海に果てたのに、後世の国民達から評価はおろか見返りもされないのだから、英霊方は寂しいに違いない。軽巡「那珂」の場合は別にして…

このコラムは、数日前のものだが、ジャーナリストの葛城女史が、「八紘一宇の塔」について書き「建国の理念」を書いている。つまり我が国の古代から、軍について改めて問うているのだ。

「幹部自衛官靖国参拝が問題にされたが、先輩である英霊の祭られる場所に参拝することを問題視することの方が問題」だとする。

 大方の日本人は葛城女史と同じように考えているだろうが、今新聞TVを騒がせて恥じない“輩”達は「金には参拝」するが英霊には気が向くことはあるまい。おそらくこれらの“輩”に対して英霊方は「不愉快」に感じておられるに違いないと思う。

 考えてみれば、敗戦後に国際法に違反して押し付けられた「憲法を押し頂いたままの「未成熟国」である。パーティにうつつを抜かす程度の‟選良たる輩”に支配されている限り、わが国の成長と進歩はありえない。

 やがてアメリカは崩壊し、国際機関も崩壊し「匪賊・山賊の末裔」達が世界を支配することになろうが、その匪賊さえ息が続きそうにない。つまるところ、この世は闇に包まれるのだろう。折角生まれてきたスターピープルたちを親が殺しているのだからわが国の先も長くはない。

忘れていた座右の銘「自明の理を疑うこと」

「戦前の日本人はなんと(国家安全保障の)意識が高かった」のかと驚く。「武力戦」と「秘密戦」があり、戦争の入り口は『情報戦』から始まる】

 

この書き出しは「宮崎正弘の国際通信解題」から引用したものだが、かって昔のTV番組で同席した神谷宗幣氏(現参政党党首)の『情報戦の教科書』青林堂)を紹介したものである。

 残念ながら本はまだ入手していないが、近く購入しようと思っている。いや本当は議員諸侯にまず読んでほしいのだが、おそらく無理だろう。無関心だろうし、現に今は忙しそうだから…

 今世界中で起きている現象から推察されることは、世界の主要国は、次の時代の「先取り」を競っているのであり、事によっては「強国であった米国による戦後体制」の崩壊が始まっていると言える。各国がその「地面取」に躍起になっている時に、反保守派のメディアなどから仕掛けられた「策動」に、まんまと引っかかって、日本の政界は右往左往。事務作業は「役所」に一任という体たらくだ。       

 連日「能登半島普及作業」と「パーティ券の横流し情報」にひき釣り回されていていいのだろうか?と老婆心ながら心配になる。

 

 紛争地帯の「代表格」であったウクライナでは、ゼレンスキー大統領があろうことか「この時期に」総司令官を交代させた。ウクライナも「総選挙が近い」のだろうか??

 ハマスというテロリスト集団から戦争を仕掛けられたイスラエルでは、ネタニヤフ首相が強硬な反撃姿勢を崩していない。

 それはそうだろう。ネタニヤフ氏にとっては彼らに「寝首を掻かれた」も同然だったのだから、徹底的にテロリストたちを排除すると宣言していたではないか。予定が狂って困るのは、どちらの方だ?。

 プーチンにとっては「渡りに船」だから、イスラエルを支援する側の抵抗力を削ぐために邁進するだろう。彼も(形だけとはいえ)「総選挙」が迫っているのだから。

 こう見てくると、やはり「老齢で記憶力が減退した」大統領を選んだ米国民の責任は非常に重かろう。しかも総選挙は始まっていないのだから、さらに気が滅入る。

「老齢で記憶力が減退した」と言えば、老齢ではないにしても?我が国の「大臣様たち」の醜態はどうしたものか?

 こんな、記憶が途切れる方々に「国の安全保障が一任されている」ことは憂慮に絶えない。

 そこで私には神谷宗幣氏(現参政党党首)の『情報戦の教科書』をご一読願いたいのだが、おそらく‟絶対に”無理だろう。

 大東亜戦争のころもそうだった。私は神谷氏の本のことを知ったので、当時TVで彼と対談したころの原稿に目を通してみたのだが、当時の役所もまた「全くと言っていいほど」軍事情報には無縁だった。当然だったとはいえ、軍情報部が活躍していたのだが、ダメなものの最たるものが外務省で、国民はその犠牲者だ、と言っても過言ではなかった。それが許されたのは、「犠牲になった」軍人たちが、処罰され、処刑されて、世間から消えたからである。 

 だから戦後は一切の責任を旧軍人たちとGHQに押し付けて、”当事者たち”はぬくぬくと生き延びた?と言えるだろう。

 

 今朝の産経新聞3面下段に、【安倍晋三の黙示録としての「要説・吉田茂という病】という本の広告がでていたが、著者の杉原誠四郎氏は会合などでご一緒したことがあったが、書き出しに「吉田茂は大宰相だという評価は、保守の間で岩盤のように固まっている。これを切り崩すことは容易なことではない。が、これを実現しなければ、日本の未来はない。】とある。

 漸くこのような本が出るようになってきたか!と退官後数年間、靖国会館で講演していた頃を思い出して昔日の感を禁じ得ない。

 

 これからはインターネット社会である。組織的な「フェイクニュース」に惑わされることなく、真相を確かめ得る時代が来たのだ!と感じる。

 私の座右の銘には【自明の理を疑え!】というものがあった。

 連日「国会の体たらく!とそれをあおるメディア」の姿を見さされている身としては、報道にみるものがなく「古代の宇宙人」「英国ミステリー」「ディスカバリー」「ナショジオ」が中心で、日本のTV局の作品は遠慮していたから「自明の理を疑う」ことを忘れていた。

 私事だが、このころの講演記録を読むと、神谷宗幣氏と共演していた頃が懐かしく思い出される。

 自分自身が「自明の理」を疑えと講演していた「似非情報」に、今や「騙されかかっていた」のだということを。