軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

シベリア抑留経験者達の苦悩

12、13日にかけて,四国松山市に行き,宇和島市で講演をしてきた.
シベリアに強制抑留された『全国強制抑留者協会』の支部にあたる,『愛媛シベリアを語る会』主催の展示会が,6月9日から14日まで宇和島市総合福祉センターで開かれており、日曜日の午後に私の基調講演と、体験者お二人による「体験談」を語る催しが計画されたからである。
センター4階の講堂には,いつもの通り『過酷で非人道的な』悲劇を物語る各種写真や模型,資料が展示され,参観者の涙を誘っていたが,今回特に目を引いたのは,今まで営々と続けられてきた『遺骨収集作業現場』の写真であった.掘り起こされ,数十箇所で一斉に荼毘に付される英霊の遺骨,なかんずく炎の中で『天を睨む頭蓋骨』には,鬼気迫るものがあった.

独ソ戦に勝利したソ連軍は,未だ有効であった「日ソ不可侵条約」を一方的に破り,終戦直前から戦後にかけて火事場泥棒さながら我が領土に攻め入って,我が軍が終戦詔勅を受けて抵抗を止めている事を良い事に暴虐の限りを尽くした。その上『復員』を命ずる占領軍指示までも無視して,『帰国させる』と騙して60万人に及ぶ我が将兵を酷寒の地に連行し,シベリア鉄道の建設や,戦争で疲弊した国土開発に強制労働を強い、6万人以上を『殺害』したのであった。
スターリンが命じたこの非人道的行為は,共産主義帝国ソ連が人類に対して行った悪業のひとつとして世界史から消える事はないであろう.その一方で,当時の我国指導者達に『戦犯』なる汚名をかぶせ,急遽掲げた『人道に対する罪』なる,でたらめな『臨時国際法?』を元に処刑したのだから,連合国の当時の責任者達も決して浮かばれまい.
今回は,お二人の体験談が約30分づつ語られたが,100人を超える聴衆の涙を誘った.
しかし,話をされる方々は皆80歳を越えた御老人である.当時を思い出して声がつまり,涙を拭かれる姿に,今治から駆け付けた私立明徳学園高校の一年生たちも思わず目頭を押さえていた.
零下30度を越えるシベリアの地で,人間としての最低限の『名誉』までも剥ぎ取られて,動物以下の生活を強いられたこれら将兵達の無念は,今の『豊かな』生活に溺れた日本人、特に若いこれらの子供達には想像出来ない世界だったからであろう.
我国の指導者たちは、大東亜戦争ではいかに我が将兵たちが「悪業」を働いたか、ということばかりを強調しつづけているが、我が将兵達が受けた『塗炭の苦しみ』や,残虐非道な被害には『ほおかぶり』する姿勢が強すぎる.それは『知らない』からか,はたまたかっての『敵に意図的に協力』しているからか?どちらにしてもその行為は決して許されるものではない.

松山で一泊し,護国神社を参拝,近くの万葉植物園内にある,今次大戦の戦没者慰霊塔を参拝,又,日露戦争で捕虜となり,道後温泉で治療を受けたロシア軍捕虜達の中で,帰国かなわず戦没した捕虜達の墓にも参拝してきた.100を越える墓標が建ち並ぶ墓地は,毎朝清掃され落ち葉ひとつ無い.改めて日本人の心やさしさに胸を打たれた.それに比べてロシアはどうだ.

今後も各地で「シベリア抑留関係展示会」は続けられるという.しかし関係者方はすでに皆80歳を超える御高齢ばかりである.若き青年男女達にしっかり受け継がれ,国際関係の信じがたい『異常さ』の一端を学ばせる良き場として受け継がれる事が急がれると思った.