軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

朝鮮戦争裏話

 昨日午後、93歳の門脇氏にお会いして、4時間も体験談をうかがってきた。前回もただただ感心したのだが、とても93歳の“ご老人”には見えないことだ。目の輝き、他人の意見に耳を傾ける姿勢などなど、教えられることが多い。68歳の私なんて、氏にとってはチャ坊主程度にしか見えないだろう!と思う。
 今回は「朝鮮戦争」に中国義勇軍が参加した裏話、つまり、毛沢東が、自分に降伏してきた米軍の最新装備を誇る蒋介石軍を“後顧の憂い”を除去するために見事に「始末」した根拠を教えていただきたいと事前に申し上げていたのだが、中国の軍事科学出版社などが出したこれに関する詳細な歴史研究書を見せていただき、それが事実であったことが確認できた。
 大東亜戦争終結により日本軍が「降伏」したあと、国共内戦が起きて毛沢東蒋介石軍が争ったことは周知の事実である。蒋介石が負けた大きな原因が、印度方面に駐留していて、米国から最新式の武器を与えられ訓練されていた精強?な「新1軍」と「新6軍」の60万の将兵が、旧満州での国共決戦に参入せず、怒った蒋介石がこれを「解雇」したことにある。
 解雇された両軍はそのまま毛沢東に「寝返った」のだが、朝鮮戦争が始まると、毛沢東はこれをうまく利用して、北朝鮮に「恩を売り」、ソ連からの援助を引き出し、同時にこの「信用出来ない寝返り軍」を、米軍と戦わせて「始末する」ことを考える。毛沢東は、米軍がどのくらい強いか全く知らなかったが、米軍式装備を誇る彼らに戦わせ、共産軍の温存を図るのだが、その時旧蒋介石軍の軍長に言った言葉が面白い。
「貴軍は降伏して私に忠誠を誓った。その忠誠心を発揮する時が来た」というのである。こうなれば両軍長とも朝鮮の戦場で戦うしかない。そこで「義勇軍」と称して北朝鮮に侵入して米軍と戦うことになるのだが、一時的に有利な展開をしたものの結局は全滅する。こうして毛沢東は、金日成に恩を売り、スターリンから援助を獲得し、何時自分に刃向うかもしれない60万の旧蒋介石軍を始末したのである。
 門脇氏は、戦後瀋陽で収監されていたとき、中共軍幹部から「米軍の強さ」を尋問されたそうだが、その装備などは日本軍と比較にならないと「助言」したが、彼らはあまり信用せず敵の能力を日本軍を基準に考えていたらしく、自分の方が強いと信じていたらしい。
 余談だが、こんな中華思想を軍事にも適用するから、中台関係に私は危惧を持っているのである。
 戦場に送られることになった将兵は米軍の強さを知っているので、朝鮮に行きたくないと言っていたらしいが、旧日本軍関係者が「太平洋の戦場で、最後まで抵抗する日本軍将兵に対して降伏勧告をした米軍が『アイサレンダー(降伏します)』と言って出てくれば殺さないといった。そこで英語がしゃべれない日本兵に『愛されるんだー〔アイ サレるンダー〕』と言って出て行くように言ったところ、確かに米軍は殺さなかった」と云う体験談を教えたらしい。
 これを聞いた旧蒋介石軍の兵士達は、米軍に追い詰められると武器を放り出して『愛サレルンダー』と叫びながら出てきたらしい。その事を、当時の米軍指揮官・リッジウェイ将軍が著書に、中共軍は『何かわけのわからないことを叫びながら出てきた』と書いているというが「日本語」を「中国語的発音」で叫んだら、米軍には何と聞こえるのだろう?と可笑しかった。それを裏付けるように、米軍につかまった膨大な中共軍捕虜の殆どが、大陸に送り返されるのを嫌って『台湾行き』を希望したことは米軍側資料に記録されている。
 門脇氏は、自分の体験から「戦争の優劣判断」は、即「兵器の優劣ではない」と断言した。私も同感である。武器を使う兵士の一人ひとりが、熱烈な愛国心を持っていて始めて武器も生かされる。
 
 ところで、門脇氏は、この5月に生まれ故郷である韓国の大田を訪問してきた話をしてくれた。大正3年大田で生まれた門脇氏は、この地に両親と姉のお墓があるという。大田中学の第10回生の彼は創立90周年記念式典に参加したのである。当然最古参で、隣に参謀総長が座ったらしいが「私より40歳も年下だから、参謀総長よりも当然私が上座だった」と笑った。
 そして祝辞で「もう一度一から出直し仲良くやっていこう。韓国が自分たちだけでやっていけるのならそれはそれでかまわないが、一人でやっていけないことは明白だろう。もっと過去をまともに見ようじゃないか」と言ったと言う。7月には台湾に行き、中台和平のために率直な意見交換をすると意気盛んだったが、このような方こそ、歴史の生き字引として、アジア周辺諸国との「架け橋」として活躍して欲しいと痛感した。