軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

南京事件について

産経新聞によると、盧溝橋郊外の「中国人民抗日戦争記念館」で、大規模な対日戦争史の展示会が開幕し、日中戦争に関する史料など約800点が展示され,『婦女暴行』や『児童殺害』など,旧日本軍の残虐性を強調した写真も多数展示されているという。
中国外務省の劉建超報道官は、『抗日戦争勝利60周年記念行事を通じて,不正確な歴史認識の国家や人々が,正しい認識や責任ある態度を持つようになる事を望む』と述べたそうだが,この言葉は,まさに中国に当てはまる言葉で,そっくりお返ししたい.やはり北京オリンピックという,国外宣伝の好機を捕らえて,大キャンペーンを張るつもりだった事が良く分かった.
折角だから,史料から,これら日本軍の残虐性を否定する文献を挙げて,反論しておこう.
その前に,産経新聞社に助言しておきたいが,次回から『盧溝橋事件』を解説する場合には、私が先日日記に書いた劉少奇副主席の『中国共産党の自作自演だった』という発言も『参考』として付記してもらいたいと思う.

これから参考にする資料は,『東京裁判却下・未提出弁護側資料』であるが、長くなるのでまず最初に,当時,上海派遣軍司令官であった松井石根大将が発した,『日本軍外征の大義』と題する声明文を掲げておきたい。但し,旧かな旧漢字、漢文的修飾語が多く,パソコンに漢字がないので,一部現代かな,カタカナで埋める事にする.

「本職大命を拝して,コン外征虜の重責を負い,襄に江南の地に上陸せり.爾来,軍の勢力充実し,降魔の利剣は、今や鞘を放たれてその神威を発揮せんとす.軍の使命は,日本政府声明の趣旨に基き,我が権益ならびに居留民の保護を全うすると共に,南京政府及び暴戻支那をヨウ懲し、その赤色勢力と荀合せる排外抗日政策を一擲せしめ、以って明朗なる東亜平和の基礎を確立するにあり.作戦地方,無辜の民衆に対しては,憐愍切なるものあり.即ち軍は素より一般民衆を敵とせずといえども,苟くも我に抵抗加害する者は,その軍民の何たるかを問わず,寸毫も仮借する事なかるべし.既に兵乱の災禍に遇い,あるいは生命財産の脅威を受けつつある諸外国民に対しては,同情真に禁ずる能ざるものあり。列国権益に関しては,最善の努力をもって,これを尊重保護し,秋豪も冒すところなし.日本軍は克く仁、克く威、海陸一致し,誓って江南の妖雲を拂掃すべく、和平の暁天を望むの日方近きにあるは,本職の確信するところなり.
 昭和十二年十月八日                     」

この声明文は,最高司令官の意図を明確に示しているものであり,これに違反する事は軍律に背くことになる.漢文調の名文だから,一般兵士にまで理解できるか否かは疑問があるが,当時の兵は皆教養があった.ましてや将校は充分に理解していたから、この趣旨に則って指導した.
只,戦闘は,シナ兵の総退却が始まるや,進撃速度が一機に増加し,弾薬は勿論,食料の補給が遅れる事態になった.やむを得ず部隊は現地調達をするのだが,それを『略奪』したと宣伝される.
几帳面な我が軍は,このような行為は認めていない.軍律違反として厳しく取り締まっている.特に松井大将は、軍人というよりも「宗教家」とも言うべき境地にあった方であり,その後熱海伊豆山に、日中の戦没兵士を祭った『興亜観音』を建立し,日中・アジアの永久の平和を祈願しているから,現代政治家達が口走る偽善に満ちた『日中友好』の掛け声とは天地ほどの開きがある.勿論,現代中国政府が言う台詞は,松井大将の精神には程遠く,無知と傲慢に溢れている。
従って、戦況の急変によって,一部の兵士が,空家になった民家に入り,食料などを調達した行為を報告され,極めて残念に感じていた大将が『皇軍の皇威を傷つけた』といたく悲しんだ事は,各種記録にある.しかし,この逸脱行為を諌めた松井大将の発言が,残虐非道で組織的な『南京大虐殺』を認めた発言だとは到底思われない.
次回は,松井司令官が,中国国民に告げた『談話』を中心に分析してみたい.

[コメントが記入できないとのメッセージがありましたが,今まで通りに書いていますので,私は操作しておりません.まだ不慣れですので,何らかの操作が混入したのかもしれません.調査します.9日22時40分」