軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

北京会議の総括(所感)

 北京訪問は5年ぶりであった。市内の一部を見た限りにおいては、確かに人民の暮らしは向上している。経済発展が著しいのは事実であろうが、それが大陸の一部に過ぎないことは彼らが言ったとおりだと思われる。
今や市内各所で「飼い犬を散歩させる」風景が定着し、「ステータスシンボル化」した。5年前には考えられなかったことである。当時、ガイドの青年が中国の諺を紹介してくれたが、それは「中国人は脚のあるものは皆食べる。卓(机)以外は」と言うものであった。
そこで私が、「空飛ぶものは皆食べる。飛行機以外は」を付け加えるように言うと、彼は喜んでそれをメモした。そこで今度は山本元海将が「海泳ぐもの皆食べる、潜水艦以外は」も付け加えるように言った。その位、路上に野良犬・野良猫はいなかった。東京都内のように「カラスの大群」も見かけなかった。それがこの変わり様である。
しかし、根本的にこの国の人口は余りにも多すぎる。13億人が平均的「中流階級」になるのは絶望的であろう。

 さて、会議における発言から、私が得た所見を箇条書きにしておきたい。
1、 BMD(ミサイル防衛)に対する発言が殆どなくなったのは、当時の石破防衛庁長官が「純然たる防衛兵器である」と明言したからであろう。根拠ある反論が如何に大切かを痛感した。
2、 「歴史問題は、国民感情を逆撫でし、解決は困難である」とは言うものの、指導層は打開策を求めていることは確かである。この問題については、既に文中に書いたが、対する日本人自身が良く勉強して、BMD問題で成果を挙げた石破長官のように「黙らせる」必要がある。さもなくば、日中間の付き合いに進歩はない。
3、 象徴的な問題である「靖国参拝」問題は、いくら「代替施設」を作っても根本的な解決にはならないと痛感した。彼らは更に畳み掛けてくるだろう。予算の無駄であるから即刻中止すべきである。
4、 彼らは日米同盟に「やっかみ」を持っている。ジェラシーと言うべきか。しかし、反面これが彼らにとって最大の「脅威」であり、弱点であることを印象付けられた。日米同盟は対中国「抑止戦略上」堅固でなければならない。
5、 双方の軍事交流に関しては、軍の建前は賛成だが、本音は不賛成であろうと思われる。つまり、現状では日中間の軍備上の差が余りにも大きいからである。3軍の近代化が達成され「劣等感」から脱却したときに、漸く動き出すものと思われる。彼らは必要以上に「面子」に拘る傾向がある。
6、 文民と軍人間に、若干だが「ギャップ」のようなものを感じた。シビリアンコントロール上の問題はわが国にも当然あるが、一党独裁国家における対立?は興味がある。
7、 金熙徳氏が強調したが、双方の「マスコミ報道の弊害」除去は急務であろう。わが国は言論の自由が保障された「民営」であり、中国は「言論統制下」にある「国営」だから、それぞれ大きな違いがあるのは自明だが、今後の大きな検討課題であることには間違いない。つまらない「無責任な」情報で、互いに戦争することほど無益なことはない。どちらにせよ、マスコミはそれで「食っていること」に留意すべきである。
8、 若手研究者に、今のうちから「しっかりした対日観」を植え付けるようにすべきである。それには我々自身の問題が重要になるが、まず「正しい歴史認識」を身につけた上で、彼らと討議すべきであろう。軍事史に疎い日本人、特に若者達に近代史を多方面から見るように指導することは急務である。そうしなければ、我々が討議の場で「沈黙」すれば、彼らは「日本人自身が認めた」と錯覚しかねず、逆に彼らに「自信を与える」ことになりかねない。
9、 基本的に、彼ら中国の対日研究者の「情報源」は、日本のマスコミ、評論家達の論評が下敷きになっていると思われる。日本国内では殆ど問題にされない論評であっても、彼らにとっては「有利な情報」になるから、彼らが活用するのは止むを得ない。ディベートの大家!である潮君の様に、それを完全否定できるだけの根拠を我々自身が持つことが重要である。彼らの論文の「底は意外に浅い」と思った。
10、 北京の日本研究所は、今回特に「若手」を揃え、リハーサルまでして臨んだ様だが、これは世代交代に備えた準備であることに加え、彼ら「若手自身」の登竜門でもある。つまり、ここでの発言内容、対応振りが彼ら自身の将来を左右するからである。だから決して自己の「自由意志に基いた見解」とは異なり、「国家方針に沿った発言」しかしないのである。我々はそこを十分に理解したうえで、彼らの発言内容をよく分析吟味し、発言時の態度表情からも、彼らが何を訴えているかを察する必要がある。
11、 日米開戦を控えた昭和16年当時、ドイツがソ連に侵攻するや、わが陸軍内には独逸に協力して一気に「進攻すべし」とする派と、様子を見て対応しようとする「熟し柿派」が対立したが、中国は「対台湾問題」では「熟柿作戦」を使っているように思われた。中国政府は「国民党」を抱き込んだ。今後は、適度に恐喝しておけば、「放っておいても」統一できると見ている節がある。
12、 一方、中国国内は、経済問題、環境問題・・・などで、今後予断を許さない。実は、台湾や、東シナ海問題に取り付く前に、何らかの「事態」が起きる可能性は否定できない。胡錦濤政権は、何とかその事態を招かぬよう旨く切り抜けようと必死なのではなかろうか?
  そう仮定すると、わが国の対中国政策も、適度な「熟柿作戦」で臨むべきであろうと思う。大陸への「過剰な思い込み、過熱した対応」は、必ずや手痛いしっぺ返しを受けることは、「満州の例」を待つまでもなく歴史が証明している。
日本としては、海洋国家としての自覚と、近代先進国家としての矜持を捨てない、わが国独自の戦略を打ち立てることが求められている。            (了)