軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

映画「愛と哀しみの旅路」

 安倍総理靖国神社に榊を奉納したことが話題になっている。しかし、一部の「シーラカンス」メディアや政治家達は別として、日本人も中国政府の変化に気がついたと見える。その代表として、今朝の産経新聞3面の「安倍首相に物申す」欄の桜井女史の論文が的確である。先日の温家宝首相の演説と、今回の“反応”を分析すれば結論は出ている。「靖国よりも実利求める中国」なのである。桜井女史は「日本の優れた技術と潤沢な資本は中国の生命線であり、中国に幻惑され続ける日本人は、中国にとってもっとも好都合な人々だ。メディアに通達した『中日関係の大局』とは、中国の国益に日本が貢献する関係を築くことだ」と書いたが、その通りだと思う。もっと詳しく知りたい方は、先日ご紹介した『中国対日工作の実態』(福田博幸著)をご一読いただきたい。日本政府の田中角栄首相以降の“要人”やメディアの実態が詳細に暴露されている。
 雑誌『正論』6月号に一文を書いたところ、旧軍人の方々から話をしたいとお声がかかり、今日も都心で88歳の元情報関係者とお会いして“取材”をする。生々しい体験談が伺えるようで楽しみである。

 ところで昨夜、偶然衛星放送で映画を見た。既に30分近く経過していたが、残り全部を感慨深く鑑賞した。それが表題の『愛と哀しみの旅路』である。アラン・バーガー監督、主演はデニス・クエイド(役はアイルランド出身米国人で夫のジャック)とタムリン・トミタ(役は日本人2世でカワムラ家長女、妻のリリー)、日米開戦後に在米日本人達が、強制収容所に収容された事実を描いた作品で、映画では和歌山出身の「カワムラ一家」の悲劇の物語になっている。
 ストーリーは、終戦となり、無事帰国することになった夫のジャックを、田舎の鉄道駅舎で待つリリーが、一粒種の女の子・ミミーに、思い出話をする形式で展開する。
 戦時下で敵国人?だとはいえ、如何にこの国の人種差別が凄まじいかを思い知らされる。「キャンプ」とは名ばかりの競馬場跡の馬小屋や、砂漠に急造された「収容所」での不自由な生活が描かれているが、監視所からのマイク放送を字幕が「丁寧語」で訳していたのは場違いだった。例えば「番号○○から○○までの方は××号車に乗車してください」と字幕に出る。収容所なのだから「○○から○○までは、××号車に乗車せよ!」と訳すべきだったろう。 それはともかく、ナチスドイツには比べられないにしても、アジア人に対する人種差別の対応振りには変わりは無い。リトル東京を追い出され、すべての資産を奪われ「キャンプ」に移動する姿は、ゲットーのユダヤ人そのままに思えると共に、戦後外地から引き上げてきた日本人家族の姿に重なって見えた。
 問題は、如何に戦時とはいえ「一般民間人を強制的に収容した」ということである。しかも「自国籍の民間人たち」を!
 収容された「カワムラ一家」は、大黒柱の老主人(1世の父)を「スパイ容疑」で逮捕され、老婦人(1世の母)を中心に団結して行動するが、「今までどおりの生活であるように振舞う」ところが痛々しい。当然ながら収容所内では互いに猜疑心が作用する。若い2世の青年達は「大和魂」と書いた鉢巻を締めて、「天皇陛下万歳」と叫んで収容所内をデモ行進し警備隊と衝突するが、今のわが国の青年達だったらどうするだろうか?と考えた。
 スパイ容疑が晴れて家族の元に戻った老主人は精神状態が不安定になるが、母は子供達に向かって、「誇りを失った人間は心が空っぽになるものだ!」と諭す。結局彼は自殺し、長男は米陸軍に志願して戦死、次男のチャーリーは米国に反抗したため、日本に強制送還され、米軍捕虜との取引に使われる。母は日本語もしゃべれないチャーリーの身を案ずるが、やがて「米国籍の日本人」を強制収用したことは「憲法違反」との判決が出て、収容された日本人は解放される。しかし、リトル東京の資産はすべて他人の手にわたっていて戻ることはできない。
 日本に強制送還されたチャーリーがどうなったのか不明のままで映画は終わるのだが、思想的な偏りもなく、当時の日本人1世、2世たちの苦労を淡々と描いているのが逆に胸を打つ。そこが又いかにも自由の国・米国らしい。
 かっての大戦で、こんな事実があったことを今の若者達はほとんど知るまい。米国の名誉のために付け加えておくが、数年前、米国はこの行為が誤りだったことを正式に認めて謝罪している。それに比べて、当時のソ連が取った行動は許しがたい違法行為であったのだが、奇妙なことに日本政府はこれを「無視」して来た。
 ましてや、戦後の1949年に大陸を統一して支配している中共政府や、日本統治下にあった韓国から、過去の日本の戦争行為や靖国参拝などについて、とやかく言われる筋合いのものではないのである。その点でも、米国の民主主義システムははるかに人間性を保っているというべきであろう。
 そんな日本人2世たちの苦しみを知っているはずのマイケル・ホンダなる米国議員が取ろうとしている「従軍」慰安婦問題が如何に不自然で不真面目なものであるか、と改めて思わされた次第。