軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

教育現場からの報告=その4

1、我国周辺が俄かに喧騒になってきた。竹島をめぐる問題は、歴代政府が『放置』してきたツケが噴出したものである。さて、日韓双方共、オチをどのようにつける気か?日本政府部内の意見統一を欠いたまま、オットリ刀で現場に進出させられた海上保安庁職員が、一番気の毒だが、ここは国益が掛かっているのだからヒトフンバリしてもらわないと困る。おめおめと引き下がったのでは世論が許すまい。他方、韓国の戦略も稚拙である。自国のほうが明らかに国際法違反をしているのだから、いくら気色ばんで日の丸を焼いて見た所で、世界の目は誤魔化せない。それよりも、経済封鎖で尻に火がついている北朝鮮が、虎視眈々と非武装地帯を狙っている事を忘れているようだ。北の脅威をものともせずに、南で『日本』を敵に回して、自ら挟み「撃ちにされる戦略」を取ったのだから、“大胆”である。もっとも、今の政権は、北のシンパだと言う証明かもしれないが…

2、国内では、拉致事件を巡る動きが最終段階に入ってきた。予想されていた事だが、北朝鮮と共同する“国内分子”が、打つ手に事欠いて、横田さんご夫妻が主催する『写真展』に直接明らかな妨害工作をしかけてきた。これを解明していけば、何処に彼等の対日『工作ポイント』があるか浮き彫りになる。警察、公安は調査を進めているだろう。案外、意外な人物が後ろで糸を引いていることが判明するかもしれない…
それにしても北海道で会場を約束したデパートの腰が引けた態度には情けなくなる。こんな勇気のない行為が、彼等工作員を野放しにしてきた原因なのだが、経営者にして見れば「顧客が巻きこまれる危険を避けた」とは表向きで、本音は連中からの嫌がらせや、『不買運動』が怖いからではないのか?彼等は『常軌を逸した行動』に出るからでもある。しかし、写真展を予定通り実施して、『犯人達』をおびき出し一網打尽にするチャンスだったのに…

3、中津川での中2少女殺人事件は、今の世の中、とりわけ学校教育の場がいかにモラル崩壊しているかという典型的な事件である。校長がテレビで談話を発表していたが、テレビを見た限りにおいては、なんとも理解に苦しむ談話発表であった。私には「真実味」がこもっていないと感じられたからである。子供達を本当に『愛して』いるのなら、あんな表現は使えまい。不自然に感じたのは私だけだったのだろうか?それともテレビ局が肝心な発言を「割愛」したのだろうか?

そこで連載中の、南口教諭の体験談の続きを書くことにする。職員会議終了後の話しである。

≪平成16年5月6日、私は校長室に呼ばれました。そこで校長から『今回の職務命令違反に対して、教育委員会と相談した結果、学校長の判断という事で、南口先生に対して厳重注意を申し渡すという決定をしました』と口頭で告げられました。同日の職員会議においても学校長は同様の報告を全職員の前で行いました。校長のこの行為に対し、私は『不可解』を禁じ得ませんでした。そしてまた、同時に非常な『屈辱』でもありました。
全体の奉仕者として、法令法規を尊重し学習指導要領を遵守すべき立場の教育公務員が、公式な場において違法発言を繰り返し、厳粛な式典会場において信用失墜行為を故意に犯したという厳然たる事実を世間に実名公表して、何故『厳重注意』されねばならないのか。このような事をすれば『厳重注意』を受けるぞという威圧を与え、実際に全職員の前で屈辱感を与える管理職とは一体、何を考えているのか。
これでは『義を見て為さざるは勇なき』人間ばかりになってしまうではないか。私の脳裏は、『不可解』と『屈辱』が彷徨するばかりでした。
しかし『天佑われにあり』です。月曜評論の私の手記は、産経新聞の記者の目に留まり、記事になりました。その後、読売新聞や朝日新聞にも載りました。これを切っ掛けにして、あちこちから私に対する良識ある府民の声が澎湃と沸き起こってきました。
ここにおいて、本校はもとより府教委にも大きな動揺が走りました。府教委は直ちに職員会議規則の見直しと『府立学校への指示事項』にあるような望ましい式典の挙行に万全をあげるよう全府立学校に通知する事となりました。
府教委が腰を上げた結果、早くも具体的な結果が現れました。6月24日の職員会議で、本校の職員会議規則が改定されたのです。私は、月曜評論4月号で、本校の職員会議規則に残る左翼的価値観による汚染条項の改定をも主張していたのでした。
旧職員会議規則には『職員会議は、職員の意思の最高決定機関である』『校長は、会議の決定を最大限尊重する』『校長は、会議に出席し、会議規則に従って発言する事が出来る』などといった条文が幅を利かせていました。しかし、改定された新職員会議規則では、これらの条文がすべて削除され、代わりに『職員会議は校長が召集し、主催する』『職員会議は、校長の職務の円滑な執行に資するために設置する』『協議事項を始めとする案件について、最終決定は校長が行う』などの画期的な条文が入ったのです。
ところがです。この新職員会議規則には私に対する当てつけ条項とも言うべき条文がコッソリと忍び込ませてあったのです。その条文とは則ち、『職員会議構成員は自由な討議を保護する為に、職員会議での個々の発言内容・発言経過を会議の外に漏らさないように留意する』というものでした。
私に対する当て付けにしては、これほど露骨で小賢しい条文はないでしょう。このような条文がどこで為されたかは大体察しがつきます。しかし、こんな幼稚な小細工が批判の対象から免れ得るはずがありません。今や私の目は大阪府民の目であり、私の耳は大阪府民の耳でもあるのですから。どうしてそんな事が分からなかったんでしょう。
日を措かずしてこの条文に対する批判の声が猛然と沸き起こってきました。校長の顔は、またも苦渋に歪む事となったのでした。
府民の声は、この小細工を舌鋒鋭く切り込み、難なく論破しました。その結果、10月14日の職員会議において、本校の職員会議規則が再度改定されることになりました。私に対する当て付け条項が削除されたのです。今や本校の職員会議規則は、大阪の府立学校中でも最も模範的な規則となったと断言できます。そればかりではありません。10月14日の職員会議ではもう一つ画期的な事が起こりました。校長は、私に対する『厳重注意』の申し渡しを職員会議録から削除すると言明したのです。
校長が5月6日、私を呼んで「厳重注意」を申し渡した根拠は、先程も述べたように『プライバシーの侵害』と『公務運営上、支障を来たす』の二点でした。ところが、あれから5ヶ月、『プライバシーの侵害』を証明する事例や『公務運営上支障を来た」した事例など、一件も生起していないのです校長の職務命令の根拠は砂上の楼閣に過ぎませんでした。
私が10月14日の職員会議でその事を指摘し『厳重注意』の撤回を強く要求すると、校長はあっさりと『削除』宣言を行いました。『削除』するとは『厳重注意』が誤った判断であった事を認めるものであり、これは誰が聞いても『厳重注意』の『撤回』と同じ意味を持ちます。
これは単に一個人の名誉が回復された、という問題だけではなく、公立の小・中・高校に徘徊する諸々の魑魅魍魎を、例え平の一教諭であっても、その気にさえなれば、実名公表という魑魅魍魎どもが最も嫌がる方法で退治できる事を証明したと同じ事であり、まさに大阪の公教育を正す画期的なものといえます。≫

南口教諭の問題提起は、実は現在の我国のそこかしこに潜む『根本現象』を抉り出しているのである。
民主的手法を装って、実は『恐るべき威圧行為』で脅迫する、例えば横田氏ご夫妻の写真展に対する脅迫行動がそれである。法治国家らしく、法律で規制するがごとき態度を装って、実は自分たちに都合の良い『条文』をもぐりこませて支配しようとする、例えば城内実議員(当時)によって暴かれてかろうじて押しとどめられた『人権法案』や『皇室典範改正』問題がそれである。
そして余計な事をして、上に反発すれば『厳重処罰』が待っているぞ!と脅かして、自分たちの『権益を保護』し、協力すれば『出世』をちらつかせるという、実に卑怯な、まさに『悪貨が良貨を駆逐する』行為が、閉鎖的な学校のみならず、我国の各界を支配しているのである。その意味で南口教諭の『勇気ある孤軍奮闘記』は多いに示唆に富むものである。次回はいよいよ最終回、お楽しみに!   (続く)