軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

在日米軍と基地学校

今朝の産経新聞一面に、在日米軍基地内にある学校を地元に開放する計画が報じられている。
遥か昔の事になるが、私が三沢基地司令時代に、地元から「基地内大学を日本人にも開放して欲しい」という要請があったので、米軍側に依頼した所、快く開放してくれたことがあった。
当時の三沢基地には軍人家族合わせて約一万人が居住していたから、基地内には幼稚園から大学まで完備していた。表向き、三沢市の人口四万人というのは、実質五万人ということでもあった。勿論三沢市には大学はない。青森県も大喜びだったが、入試で受かった約10名(だったと記憶するが)は勇んで入学したものの、大半が卒業できなかったように思う。それは第1に語学が『半端』ではなかった事にあるが、米国らしく、入学は比較的やさしいものの、授業が大変で、毎週長文の論文を書くことが要求されたからでもあった。勿論その前に相当量の資料を読破しなくてはならないから、語学力が第1のネックであった事は確かである。私の部下のパイロットも合格したが、スクランブル勤務は勿論、連日飛行訓練するのだから、いつまで続くか“楽しみ?”であったが彼は最後まで続けたように思う。
もうひとり、幹部(パイロット)の夫人が合格した。しかし運悪く、入学後3ヶ月もしないのに御主人が東京に『転勤』になったため、日米双方でどうするか検討する事になった。
米軍は親切にも『横田基地』内の大学に転入を許可してくれ、航空自衛隊側は、横田に近い官舎を割り当てるという、気の利いた処置をとった。夫人はなかなか優秀だったようだが、無事卒業できたかどうかは残念ながら知らない。
三沢基地では、今でも婦人自衛官などが入学しているはずである。勤務と両立させる事は並々ならぬ努力が必要だが、それを乗り越えた時の感激は本人以外にはわからないだろう。日米の文化の違いはもとより、現在の日本の大学生達の『優雅な生活振り』とは比較にならない貴重な体験をするからである。
米国人達の、日本文化に関する関心は非常に高く、基地内には色々な文化サークルがあって、婦人達が真剣に学んでいる。私は良く『墨絵の先生』や、『禅の先生』を紹介して欲しいと要求されたものであった。たまたま私は時間外に三沢市の武道館で子供達に剣道を指導していたので、ある日米軍側のPTA会長から、「極東地区のPTA総会が三沢であるので、集まった父兄達に剣道を展示して欲しい」と要請され、隊員達と市内の子供達をつれて参加した。
立派な体育館に200名を超える父兄達と子供達が集合し、興味津々であったが、真剣を使った『剣道形』の展示では、水を打ったように静かだったのが印象的だった。
可愛い『ちびっ子剣士』が稽古を展示すると、父兄達が競ってビデオ撮影する。二人の女性剣士も注目の的であった。
一時間程の展示が終わると「防具をつけて剣道を体験したい」という父兄の希望者が出てきて、隊員たちとの『親善試合』を試みたのだが、大柄な米軍人が竹刀を振りまわすが、小柄な隊員たちに追い詰められると『悲鳴』を上げて逃げ惑うのがおかしく、会場には笑い声が渦巻いた。ただ、彼等に貸した隊員たちの竹刀がボロボロになったのは些か計画外だったが…
終了するとボーイスカウトの少年たちが、クッキーが入った包み紙を持って、隊員や日本の子供達にプレゼントする。袴姿の日本人の小学生達が、両手で受け取ってお辞儀すると、ボーイスカウトの少年達もつられてお辞儀する。実に楽しい『友好親善の場』であったが、基地学校がこの様に地元に開放されると、極めて大きな効果があると思う。
記事には『教育交流をはじめ、米軍と地元とのパートナーシップの強化に向け努力する』ことを確認し、『日本人児童・生徒が英語の授業を学べる枠組みの検討に入った』そうだが、英語教育のみならず、日本文化交流も視野にいれて欲しいと思う。彼等は「日本に来た目的は侍に会う為だ」と公言して憚らず、子供達は「忍者に会う為だ」と真剣に言う。
政府は『英語授業特区を検討』とあるが、一方的に『英語教育を受けるだけ』では、日本の植民地化に他ならない。世の中は『ギブアンドテイク』である。英語を教えてもらう代わりに、日本文化を渇望している彼等に、日本の『武道』を初め、『茶道、華道、能楽…』などなど、逆輸出してやるべきであろう。どこかの国の軍人・家族とは違って、彼等にはその包容力がある。それこそが真の文化交流だと思うのだが…