軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

拉致事件に見る「政治と国民」

拉致事件に入る前に、次期首相選びに「干渉」する中国の動きについて触れておきたい。
中国からの対日圧力は勢いを増しているが、その尻馬にのって「私腹を肥やそう」としている日本人がいる事が情けない。今朝の産経新聞の『首相を選ぶのは誰か』というコラムに、岡崎元大使が「『靖国』対中提言・西に軍配」と題して書いている。
「時を同じくして、東京の経済同友会関西経済同友会が、靖国問題など対中、対韓外交について提言を出した」が、関西経済同友会の方が「文章の品格、国際情勢の読みの深さ」など、「一読すれば自明である」とし、東京が「このような素っ頓狂な提言を、しかも、経済の緊急な必要があるわけでもない、高度な政治問題について、反対意見があるのに強引に多数決で通したのはどういうことなのか、不可解であり、訝しさを禁じえない」、「関西の見識が東京に優っていることは歴然としている。こんな素っ頓狂な提案で日本を動かせると思うのは東京の思い上がりである」と批判したが全く同感である。多分、東京の経済同友会の一部の方々は、中国に弱みを握られているのだろう。
その昔、北京でさる政府関係者と雑談した時、「貴国のやり方は実に汚い」として「ヤオハン問題」を例に上げた所、彼は猛烈に反論してきた。つまり中国は日本と違って体制や購買力の違いがあることを“助言”したが、彼(ヤオハンの社長)は一切聞かなかった。そして助言通り倒産した。「あの社長は馬鹿よ!それを取って何が悪い?」というのである。そして「日本の事業家や政治家が自分から持ってくるもの貰って何が悪い?」と開き直った姿が今でも思い出される。
日本の経済専門家?の方々が、いずれ「ヤオハン」の様に、使い捨てられることがあっても国民は知ったことではないが、わが国の国家体制に傷を残されてはかなわない。いい年をして「いつまで裸の王様」でいるのか。やがて、部下や子供達から笑われますぞ!

ところで今日の本題は「拉致事件」である。横田滋氏の訪韓は、大きな話題になっているが、その報道を見ていると、国とは何だろうか?と深く考えさせられる。
国民が他国に「拉致されて」その親や親族達が「手弁当で捜し、救援活動」をする。そんな国民から吸い上げている税金で食っている「関係者達」は、見て見ぬふりを決め込んで30年間、今では「優雅な年金暮らし」、中には勲一等に叙勲された方もいる。国民の為に汗水たらすことなく、いや、口ではいつも『国家国民の為!』というくせに、その対象であるはずの国民の塗炭の苦しみを「放置」して、自分及びその一派だけは私腹を肥やし、良い生活を築き上げ、国から「名誉」を戴くなんて“漫画”ではないのか?
村山元首相の叙勲については、私のブログに『痛烈な皮肉と受けとめるべき』という名言が寄せられたが、同感である。最も本人は自覚してはいまいが…
今回の横田氏の訪韓でも、政治と国民との意識の乖離を痛感する。ノムヒョン大統領と、李統一相のあの冷たさは、人間としての感性を疑いたくなる。政治的駆け引きを優先して、守るべき国民に犠牲を強いるその感性である。韓国でも、政治は国民のためにあるのではなく、彼等1部の「政治家」たちの、自己利益の為にある事を証明している、と私はこの報道から痛感したのである。
今、日韓間で、国民感情は決して良いとは言えない。竹島問題を筆頭に感情は対立していて、極言すれば一触即発状態にある。しかもそれを「煽っている」のが、彼等韓国の政治家なのだから、あの国は「平和と安定」を阻害するのが外交だと思っている奇妙な政府だといえる。そんな政治家達から命令されて、身を犠牲にさせられる「軍人達」が気の毒である。
テレビで誰か新聞記者だったと思うが、金大中元大統領は、金正日と抱き合っただけで『ノーベル平和賞』を貰った!本当ならば、横田滋さんのような人達こそ「ノーベル平和賞にふさわしい」と言ったが大賛成である。拉致された「体験者」である金元大統領の、今回の日本と韓国の被害者の面談に対しての冷たさも理解に苦しむが、どこの国でも政治家になると、何か違った裏事情が生じて、「視野狭窄症」に陥るものらしい。
せめて日本の政治家達にはそんな病気に掛からないで欲しいと思うのだが、無理のように思えてならない。その昔、「民のかまどは賑わいにけり」と詠まれた天皇が居られたが、やはり戦後流行りの「庶民感覚」の“政治屋”に期待するのは無理なのかもしれない…
「政治と国民」の関わりについて、日本国民は真剣に考える時期にきているように思う。