軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

妬み?それとも嫌がらせ?

今日は珍しく二本ブログを書く。
転居の整理をしていたところ、またテレビ局から依頼があって、こんな田舎まですでに≪迎えの車≫が向かっていると言うから断れない。やむを得ず≪拉致≫されて、久しぶりに「新橋の雑踏」まで出かけてきたのだが、今回のミサイル事案ではいろいろな情報が入り乱れているようだ。
しかし、なかなか参考になる情報だったから、放映されようとされまいと、私としてはきわめて参考になったし率直に意見を申し上げた。
夕方帰宅して、やりかけの家の周りの整備を終わらせ、夕方のニュースを見ていたら、中国・ロシアなどの国連安保理反対意見が報道されていた。

以下、少々アルコールが入ってしまったから「無責任発言」になるが、中国もロシアも、この決議案の提案国が「日本」だったから意地でも反対しているように思えて滑稽に写る。アメリカ単独?だったらどうだろうか?
つまり、これらの国々は、日本を「普段から見下していて」それでいて「豊かで」何かと面白くない国だから、決議案の内容や国際情勢の読みなどよりも、とにかく「日本にいい格好」させたくないだけの「抵抗」のように見えて仕方がない。
われわれの、たとえば小さなサークルでも良くあることだが、「今度の日曜日に、町内の野球大会をしましょう」と言い出したのが、普段仲が悪いAさんだったから、Bさんも、Cさんも反対する。しかし、よく聞いてみたら、本当は「野球をしたい」と言い出したのはCさんで、Bさんも賛成していたのだが、なんと、嫌いなAさんが先に言い出したものだから、Bさんも、Cさんも行事の内容は別にして「とにかく嫌だ」と駄々をこねているのと同じではないか?
以前、国連のことを「田舎の信用組合」と発現して問題になった方がいたが、新聞で問題になるのは「本当のこと」を言ったためであり、今回もそれに似て、この両国の態度は、田舎の信用組合でさえも「顔を赤らめたく」なるような、程度の低い「反発」に違いなかろうと思う。担当するのが「大臣」だったり「次官」だったり、「大使」だったりするものだから、よほど高尚な検討がなされているかのように「錯覚」しがちだが、「大使」だって生身の人間に過ぎない。それが証拠にどこかの「総理大臣」だって、一般人だったら「軽蔑」されるような女性関係で有名になったかたがいたのではなかったか?豪華な会議場で、マスコミのフラッシュを浴びながら、通訳つきで「会議」しているから「偉そうに」見えるのだが、なんのなんの、所詮は「おじさんたち」の虚勢の張り合いに見えて仕方がない。
今回の安保理決議が何の成果も収めなかった場合、米国と日本が「本気」で怒って「会費」を出すことを止めたら、こんな「田舎組合」なんぞすぐさま消滅しかねない。
今回、このいわくつきのロシア・中国の2国が、自分の利己中心的判断と第2次大戦の「戦勝国だ」との思い込みで「反対」したら、日米両国は、分担金支出を当分凍結したらよい。この2国にはそれが一番効くのではないか?
とにかく、以前のような国際環境にはないことをこの二国は察知するべきである。
中国には、本気で「やり方によっては、オリンピックも開けなくなりますよ!!」と助言してやりたい。中国にとっては、オリンピックのほうが、北朝鮮の悪あがき問題より切実で、こんな「同盟国」と価値のない心中をするよりよほど大切な問題だと思うのだが。
先日の日中安保対話で「北京オリンピック開催が大切ならば、北朝鮮を説得して≪決議案≫に賛成する以外にない。下手すると、モスクワオリンピックが西側諸国からボイコットされたように、2年後の北京オリンピックの開催もわかりませんよ、と彼らにアドヴァイスしてやらなかったことが悔やまれる次第。