軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

“天皇のメモ”公開の裏に見え隠れするもの

いわゆる“天皇の発言メモ”に関する国民の関心は高く、私のブログのコメントも活況を呈しているが、実に「冷静」であることが頼もしい。「日経新聞は墓穴を掘った」という意見もあったが、多分当たっているだろう。
例のNHKと朝日新聞の「論争」以来、朝日新聞の販売部数は着実に減少していて、すでに600万部をきった?という情報もある。転居してきたこの多摩丘陵裾の田舎でも、朝日と読売の販売競争は熾烈である。
先月引越しの最中に、ASAとかかれたシャツを着た若い販売員が来て「新聞を取ってください」というから、「産経しか読まない!」といったところ「うちは総合販売店ですから、産経も配ります」というのでとることにしたのだが、契約したとたん、ASAとかかれた袋で「洗剤、トイレットペーパー、ティシューペーパー」などが大量に届けられたので驚いた。産経は「何にもくれない」からその点ではサービスは極めて悪いが、代わりにASAがサービスしてくれるのが面白い。その後すぐに読売が駆けつけてきて、しつこく要求したが、「一歩出遅れ」と断った。すると面白いことに「変なおじさん」がバイクで来て、しきりに我が家の周りをうろつくのである。
「何か用ですか?」と聞くと、新聞は何を取っているか?と聞く。「産経だ」というと、「あんたは朝日はとらんだろうな。なぜ産経か」と生意気な事を聞く。「長年検証してきたが、産経の情報は正しいから」というと、「朝日はどうだ?」といったから、「あれはうそつき新聞」と答えると苦笑いしながら「他はどうだ」という。「読売は傲慢、毎日は火の車、日経は中経(中国経済)新聞だからさ」というと、地図を調べていたが、突然「あった、あった」といい、「佐藤さんか」という。何のことはない、私が取っている新聞販売所のオヤジ?が転居家庭を調査に来たのである。
私が彼の店からとっていることが確認されたので、おじさんはなんだか嬉しそうに帰っていったが、こんな「販売店の努力(脅迫?)」が、販売部数を支えていることを、朝日の編集局幹部たちはきっと知るまい。いずれ新聞がなくなる日が来るだろう、と元毎日新聞記者が講演で言ったが、私もインターネットの発達はかなり情報社会に変化をもたらすだろうと思っている。

ところで今朝の産経新聞に「友好の舞台裏」という興味ある記事が出た。「上」とあるから数回続くのだろうが、ご一読をお勧めする。出来たら「対日第2期工作」という中国のマニュアルを参照されると良い。
私は今回のいわゆる「天皇のメモ」も、その延長線上にあると睨んでいるのだが、この記事はそれをうかがわせていて興味深い。
断っておくが、私は13億の中国人民を敵に回そうとなんか考えてはいない。先日、都内で中国のジャーナリストと食事をしたとき、彼は「先生、『中国が悪い』とは言わないでください。中国共産党が敵なのです。私たちも彼らと戦っています。応援してください」といったものだが、13億人のうちの5%にも満たない5〜7千万の党員が、牛耳っている社会構造がおかしいのである。大陸にも色々な「内部事情」があるのは勿論で、上海閥北京閥、富裕層と貧困層、福建族?と漢族、満州族朝鮮族と漢族というように、「恐怖政治」でまとめない限りばらばらになりそうな弱点がある国である。ましてや『ウイグル』『チベット』『モンゴル』族においておや、であろう。
日本の「友好」族の方々は、どこに焦点を当てて「友好」を推進しておられるのかわからないが、多分、十把一絡げで「友好、友好」と念仏を唱えておられるというのが実態ではなかろうか?

ところで聊か旧聞に属するが、月刊誌「WiLL」8月号に目を通して驚いた。私が「朝日はうそつき新聞だ」と即興で新聞販売店主?に答えたのが事実であることが書いてある。
本多勝一疑惑だらけの履歴書」というタイトルのレポートである。詳細はご一読願いたいが、例の「南京大虐殺」を持ち出して一躍有名になった、あの本多勝一氏の履歴がめちゃくちゃだということが「殿岡昭郎元学芸大助教授との裁判」で判明したというのである。
まず生年月日が違う。彼の著書には、1931年、32年、33年と、3種類あり、生まれ月も1月と11月があるが一定していない。戸籍上は「昭和6年11月22日」だそうだが、学歴もいい加減で、弁護士が「あなたの経歴として『京都大学教養学部入学』というのが記されておりますけれども、卒業した時期が書いてないのですが、京都大学を卒業していないのですか?」と聞いたのに対して彼は、「厳密に言えば卒業していません。だからそのように書いたことはないはずですね」と答え、さらに弁護士が「そうするとあなたの最終学歴は、千葉大学の薬学部卒業ということですね」と聞くと「卒業という意味ではそうですね」と答えたというのである。卒業したかどうかという質問に、「厳密に言えば」とはおかしな答えだが、千葉大卒業についても「卒業という意味では」とは奇妙な言い回しである。とても「進歩的文化人」の答だとは思えない。
だが、彼が「京大農林生物学科卒」「京大農学部農林生物学科卒」など、明らかに「学歴詐称」していたことは知らぬ振りである。朝日新聞の同僚たちも「本多は京大卒」と思い込んでいたらしいというが、同僚たちはそう思っていても仕方ないが、肝心の朝日新聞社「人事部」はどうしていたのだろうか?不思議で仕方ない。
学歴詐称問題では、泣く泣くバッジをはずした代議士がいた様に、一般社会では、学歴詐称が判明した時点で、それなりの処断が下されるのだが・・・。あの代議士事件のとき、朝日新聞は何と報道したのだったか知らん・・・
その上気になるのが2002年版の「新訂日本人名録」によると、本多氏の学歴は「勤労者通信大学卒(S39)」とあるそうだ。「この学校は日共系労組と社会党・総評左派系労組を母体に、階級意識の高揚を目指す大衆教育機関として昭和27年、労働者教育協会によって設立された」とあるから、この「大学」は明らかな工作機関だったと考えてよかろう。「昭和42年に日共の別働隊として大衆運動を引っ張るようになった」とあるから明白である。
しかも、彼の住所もまちまちで、実は「・・・田園調布と並ぶ都内屈指の高級住宅地、成城に居を構えていたのである。それもマンションではなく一戸建て、敷地は約40坪くらいか。豪邸とまではいえないが、近くの不動産屋の推定では時価一億は下らないという。これでわかった。少数民族の味方、弱者、庶民の味方を自認する本多が、成城に住んでいたのでは具合が悪かろうではないか」とレポートは続くが、彼ほどの「有名人」になれば、色々あるだろうから住所を隠す事情もありうるだろう。ましてや「プロレタリアートの庇護者」が、「ブルジョアが住む成城」に住んだって決して「異常」ではなかろう。問題は、裁判所へ申告がいい加減だったということにある。裁判所も舐められたものだが、朝日の有名人だから「かばった?」のではあるまい。彼の方に隠さねばならない事情があったのだと思われる。
「WiLL」8月号も一読をお勧めするが、つまり、このような「うそつき編集委員」を抱えていたのだから、朝日新聞社は「うそつき新聞社だ」だと私が言ったことは正しかったのである!

話が少し冗長になったけれども、工作活動の実態は「闇」であるが、色々な「資料」の点と点を結んでいけば案外その裏がばれるのである。
今回の“天皇発言メモ”公表の裏には、この手のうそつき記者たちの陰謀が見え隠れしているように思えてならない。