軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

チャンネル≪桜≫収録報告

今日もまたコメント欄には、地上波放送の弊害と、その「末路」について興味あるご意見が並んでいるが同感である。昨日は、予定通りチャンネル「桜」の収録に出かけた。
スタジオに入る前に、何と「旧友」の古森義久氏が帰国していて、討論の前に「米国から見た日米関係」を語り、それを受けて討論に入ることになったから、なかなか充実したものになった。詳細は今夜の番組を見ていただけば分かることだが、スカパーのアンテナをつけていない方も多いことだから、簡単に「ご報告」しておこう。

まず古森氏は、日米関係は戦後最善の関係にあるとして、要旨次のように語った。
1、ブッシュ大統領小泉首相に対する信頼度は厚い。小泉首相は、明確に日本の姿勢を打ち出した。
2、小泉首相の言動と個人的性格が、共和党・・・保守派に理解された。今までは、日本に軍国主義復活の懸念があるとされてきたが、小泉首相の言動を通じて「民主主義が成熟して」パートナーと認められた。
3、米国は、中国の不透明な軍事力増強に「備えている」
しかし、2008年には大統領も交代する。日本は依然として「集団的自衛権問題」や、「憲法9条問題」など、安保上の異端児である。

個人的には日本は「防衛政策の民主化」、つまり、一般国民に防衛、軍事を理解させる努力が必要である。国民は知らされていない。この偏向した状況を打開するために、防衛に関する「広報の多角化」を推進すべきである。

古森氏は別の収録があるのでここで退席し、引き続いてわれわれで討論に入った。
3時間のうち、1時間目は「現在の軍事情勢分析」、2時間目は「安倍内閣でやるべきこと」3時間目は「政策提言」とされていたが、いつものように意見発表が多彩なため、このスケジュールどおりには進行しなかった。

私は、いつものメンバー?なので、後輩の身をも省みず、色々揺さぶったのだが、まず「アジアの軍事バランス・・・日韓、日朝、日中・・・は、今のところバランスしているが、今後中国の増強でバランスが崩れる恐れがある」という説に、聊か異論を唱えた。
つまり、軍事力比較で、それぞれが「装備している戦力量」などを比較すると、自衛隊の能力は、隊員の優秀な能力、訓練の質などから、確かに優位であるといえるのだが、政治的(憲法)に「軍事力を使わない」と公言している以上、そのバランス測定は基本的に間違っている、と述べた。つまり、軍事力行使に「世界でも稀な極端な制限」が加えられている以上、いかに優秀な戦力であっても「抑止力にはなりえない」からである。そこを理解したうえで「ミリタリーバランス」を分析すべきであろう。つまり、実力行使の場合は「超法規」であることが条件になるというわが国の「いびつさ」をどう「バランスに反映させるか」ということである。

また、東アジア・・・日中、日韓、日朝間・・・を取り巻く「不安定さ」の原因は、実はわが国が上記のような関係から、戦後60年間も、一方的に米国の軍事力を頼りにして、「非武装状態?」であったために起きていると見られ、世界の常識に照らして全うな軍事力保持、並びに行使の条件を整えて、厳然と東アジアに存在していたら、これらの国々から「異様なほどの反日運動」は起きなかっただろう、というものである。
竹島も、尖閣も、またまた北方領土も、わが国の「姿勢」があまりにも「柔和でいびつ、腰が引けていて」相手に「誤ったシグナル」を送ってきたから、不安定だったのだという論理である。一概に「毅然たる姿勢」という言葉が政治家やマスコミに使い古されているが、前にも書いたように、外交は力の裏付けなくして解決は難しいものである。力なくして「毅然たる態度」は取れないし、とってもそれは相手にとっては「裏づけの無いこけおどし」に過ぎず、要するに力が支配する国際関係では「舐められるのが落ち」なのである。そのツケが今噴出してきている。

こんなことを言うとすぐ「貴様は好戦的だ」という人がいるが、戦闘機乗りは「見敵必殺」、一般的に「好戦的?」訓練に明け暮れているから否定はしないが、戦争の悲惨さは自らは事の圏外に立ち、「書斎で本で読んで理解している」方々よりも、自ら渦中にあって「体で危険を」覚えているから、そんな意見は無視することにしている。説明は困難だから、剣道で言う「殺人剣」と「活人剣」の違い、とでもいっておこう。

さて、今朝の4チャンネルは、靖国参拝の是非を問う識者の「対決」であったが、まだ、なぜか反対派の中に「中国人」を一人入れているところが胡散臭い。
チャンネル6も、まだ「あきらめきれずに?」くどくど言っているようだが、既に勝負は付いている。少しは「未来志向」で番組を作成したらどうか?
しかし、このような番組は、情報収集という点で大いに参考になる。特に「反対派」の顔ぶれを仔細に収集しておくことは、今後有効だろう。やがて彼らは、情勢が変われば「豹変」する。大東亜戦争中、あれほど聖戦だと「けしかけて」無垢な青年男女を戦地に送り込んだ識者・教育者たちが、終戦と同時にどれほど見事に「転換」して過去を伏せて、口をつぐんで来たかを見ればよく分かる。
中国は、今までもそうであったが、東京裁判史観で日本国民を洗脳しようと躍起であり、「A級戦犯」こそ「誤った戦争指導」で「善良な日本国民」を「殺した犯人である」、つまり、一般国民は「悪くは無かった」、中国人も韓国人もそれはよく理解している。日本「国民」を恨んではいない。悪いのは「A級戦犯」なのだ・・・という論理である。勝谷氏以外のお人よしな日本人は「この巧妙な論法に“ころり”と騙されてきたのであった。
しかし、今時の若い者は、そんな単純な論法に引っかかりはしないだろう。インターネット上にあふれる各種情報から、適切に判断し始めているからである。中国がいう「歴史認識」を、自ら調べてみるが良い。彼らが困るような事実が次々に出てくること請け合いである。今日も中国残留孤児問題を挙げて、関東軍の卑怯さを言ったが、何を根拠に発言するのか、極めて無責任極まりない。勝谷氏が、「ソ連の卑怯さ」を逆質問したとき、彼は反論の仕様が無く絶句したのだが、カメラはアップでその顔を捉えるべきであった。中でも、一番遅れているのが「偏向したイデオロギスト」であり、中途半端な歴史観で目が曇っている評論家たちある。
第一、死者に口なし。一切反論できない英霊をいいことに、彼らのように「あと知恵で訳知り顔に一方的に先人を非難する」行為を、日本文化では「卑怯な行為」だという。中国は、いつまで経とうが「死者に鞭打ち、墓を暴いて糾弾する」のが伝統であり文化だが、日本人の文化にはなじまない。そんな人間をスタジオに呼ぶこと自体がいかがわしい。

いずれにせよ、これらの問題を通じて、わが国の根本にある重大な欠陥が浮き彫りになったことだけは確かであろう。つまり、「憲法問題」である。
安倍政権(まだ決まったわけではないが)に期待するものは、憲法改正(現憲法破棄でも良い)である。日本の「歴史・文化・伝統にふさわしい、日本人の、日本人のための憲法」を持って始めて、戦後60年も続いてきたこれらの残債は氷解するし、他国も利用できなくなる。
「政策提言」などというおこがましいものではないが、討論の最後に言いたかったことは、一日も早く「自主憲法」を制定し、国内の混乱の大本になっている障害物を取り除き、1億2千万の日本人の「エネルギー」を、もっと「未来志向で建設的なもの」へ結集すべきだということであった。