軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

民主党の黄昏

衆院補欠選挙は、自民党が神奈川、大阪共に勝利した。次点の民主党候補に2〜3万票の差をつけている。安倍政権としては、出だし順調のようだが、私が見るところ、これは民主党自体の衰退によるものだと思っている。安倍首相には「勝って兜の緒を引き締めて」もらいたいと思う。
民主党は、言うまでもなく「極右」から「極左」までの寄り合い所帯である。しかもそのリーダーたちに「人間としての魅力」がない。つまり人材不足極まれり!なのである。先日、ひょんなことから、地上波のテレビで民主党の「広報ビデオ」を見たのだが、「一体あれは何だ?」と不思議に思った。とにかく「時代劇」よりもつまらない内容で、語るに落ちるとはこのことである。
選挙応援風景もニュースで見たが、安倍、小泉という、自信に満ちた「主力艦攻撃!」に対して、民主党の方はまるで「敗残兵の寄せ集め部隊」の姿だった。司令部が団結していないのだからあれでは勝てるわけはない。こんな程度(低度)の演説で「国民の目」をだませる筈がない、と思っていたのだがやはりそうなった。それでもこれにも懲りることなく、敗軍の将たちは「大いに語る」ことだろう。とにかくあの党は、国民を見下しているところがある。内部がまとまっていない証拠である。あれが「軍隊」なら、相手は少しも怖くはないであろう。
さて、一方の自民党である。選挙方式の特性上、組織的な票数がものをいう。
だから、公明党の「組織活動」が裏で大いに支えたことは間違いない。確かにそのおかげで自民党は勝ったのだろうが、本来の「美しい日本国」が勝ったとはいえまい。「自民党」が「公明党」に食われていくのか、いや、公明党が「自民党化」していくのか。とにかくまだまだ油断はできない。
しかし、これだけは言える、ということがある。それは「情報量」とその「伝達速度」の驚異的発達である。一日遅れの「新聞」や、詳細な分析力を誇る?「週刊誌」などの情報では、国際情勢の変転にはついていけなくなるだろう。
政治家たちのものの考え方は、あふれんばかりの各種情報に晒されている「国民(まだ一部かもしれないが)」の考え方から大きく遅れているように思えてならない。
昔は「十年一日」といった。しかし、いまや世界は「超音速」で変動している。そこを見誤ってはならないと思う。

ところで先日、祖国・チベットから脱出しているチベット人らを、中国兵たちが「狗のように」遊び半分で銃撃して射殺しているシーンを見て驚いたことをブログに書いたが、22日の産経新聞は、一面でその事実を伝えた。
「中国の人権蹂躙映像 世界へ」「亡命少年僧ら射殺」と題する記事にはこうある。
「9月末に中国チベット自治区とネパールの国境近くで亡命を試みたチベット尼僧(25)や少年僧(15)らが、中国の国境警備隊の銃撃を受け少なくとも二人が死亡した事件の映像が世界中で放映され、国際社会を騒然とさせている。北京オリンピックを控え、『和諧(調和の取れた)社会』構築という胡錦濤政権が提唱する“理想”の陰で行われている中国の人権蹂躙に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も調査を開始、米国などが非難の声を上げ始めている。
 映像はルーマニアの登山家、セルゲイ氏が偶然撮影したものをルーマニア民放局が14日に放映。その後、日本を含む各国でも放映され、米国の動画サイト『ユーチューブ』などインターネットの映像配信で世界中を駆け巡っている。・・・」というものだが、先日、私のコメント欄に「ななし氏」が貼り付けてくれているからご一覧いただきたい。情報伝達の一例である。

http://www.protv.ro/stiri/international/exclusive-footage-of-chinese-soldiers-shooting-at-tibetan-pilgrims.html

「人権」に敏感な米国の動きの一つとして、今朝の産経は14面に内藤特派員が、ライス国務長官が、「プーチン政権批判の急先鋒に立ち今月7日に暗殺された女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんの遺族と所属していた改革派新聞『ノーバヤ・ガゼーダ』の代表らとモスクワで面会し、哀悼の意を表明した」ことを書いている。ライス長官は「恐れずに自らの考えを述べていた紙面での勇気」をたたえ、「『女性に対する残虐な犯罪である』と糾弾する一方、記事の内容以上に暗殺によってロシアは大打撃を受けたと述べた」という。
ライス長官が中国兵による「チベット人“尼僧”射殺事件」を知らない筈はない。
人権問題がこじれると「人類の平和の祭典」オリンピック開催の意義は無意味になる。国際情勢の変化は早くなってきた。日本の政治家たちも、いつまでも「大正デモクラシー時代」に留まっていては、民主党のように「黄昏る」だけだろう。
積極進取の気概を持ってもらいたいものである。