軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「どうなる!?どうする!日本の防衛」

 金曜日夕方からチャンネル桜で、表記の題の「討論番組」の収録に参加した。土曜日夜9時から12時まで放映されたからご覧になった方は十分理解されたことだろうが、今朝早速電話があって「元防衛庁審議官の発言は全く理解できない。こんな役人が集まった役所だったのか?」と驚きと落胆の感想と意見だったが、事実私も会議中にどうにもついていけずに苦労した。出演者をもう一度紹介しておくが、荒木和博・拓大海外事情研究所教授:潮匡人・評論家:太田述正・元防衛庁審議官:川村純彦・元海将補:田久保忠衛・評論家:平間洋一・元海将補:山田吉彦日本財団広報チームリーダー:それに私、司会は水島聡・チャンネル桜代表であった。
 収録開始前に司会者から、前段「イージス事故を含む現状分析」、中段「北鮮・中国などアジアの情勢分析と台湾危機」、終段「米国の対応とあるべき我が国の防衛の姿」という流れで進めたい旨の調整があってすぐに討論に入ったのだが、防衛庁の内局キャリアーであった太田氏の発言は、当初から“刺激的”で、発言の真意を理解するのに苦労した。
 
 彼は2001年7月に「日本評論社」から「防衛庁再生宣言」なる著書を出版している。私にも送付されてきたが、それによると「都立日比谷高校、東大法学部を卒業して防衛庁に入庁、スタンフォード大学でMBAとMA(政治学)取得、防衛白書室長のあと、英国国防省の大学校(RCDS)留学、防大総務部長、官房審議官、仙台防衛施設局長を経て、2001年に自ら防衛庁を退職」したとある絵に描いたようなエリートなのだが、おそらく庁内の人間関係でいろいろあったのだろう。
 同著「はじめに」に、「私は30年間勤務した防衛庁を今年の3月13日に退職した。防衛庁は、いつしか、日本の安全保障にとって何が重要かという議論よりも、組織の権益の維持に腐心する役所となってしまった。それは第一義的には自民党を中心とする政治の責任だが、防衛庁(内局)自身にも問題がある。その結果、防衛庁では不祥事が続出し、日米関係は不健全なものとなり、日本の安全保障は危機に瀕している。このことと、現在日本を覆う閉塞状況とは決して無縁ではない」と書いている。
 私は、かなり踏み込んだ内容の著書なので興味を持って「第一章:知られざる防衛庁自衛隊の内実」から読んだのだが、同意する点が多々あった。
 例えば「やはり政治が悪い」として、我が国は「既に他国の援助に期待する域を脱し、進んで後進諸国への協力をなし得る状態に達している。防衛の面においていつまでも他国の力に頼る段階は、もう過ぎようとしているのではないか」とか、歴代総理や外務大臣、長官を「すっかり小粒な人物ばかりになってしまった」と嘆き、加藤紘一氏が、防衛庁長官に初入閣したとき、防衛庁キャリアの会に出席して「防衛庁長官にという話がきたとき、何で自分が防衛庁長官なんぞにならなきゃいかんのかとがっかりした。しかし、ヨーロッパでは、国防大臣になるのは一流政治家への登竜門だ。とすれば、防衛庁長官を経験することも、悪くないかもしれないと思い直した。それにしても、皆さんは、よくもまあこんなところで一生勤めておられますね」と話したことを暴露し、「このような志の低さ、政治の矮小化(=ハイポリティックスの放棄)が、政治家をして利益誘導・斡旋利得に勤しませ、政権政党たる自民党を中心とした政治の構造的腐敗をもたらしたのである。このことこそが、自民党と結びついた既得権益グループを通じて日本の社会全体を腐食させ、現在の日本の長期にわたる閉塞状況をもたらしているといえよう。
 牛は八〇〇〇年前に家畜化されたが、その結果、防衛本能が低下し、脳のシワが少なくなり、また一年中発情するようになったという。安全保障に関心を持たず、カネまみれになっている自民党の政治家達を見ていると、彼らがみんな牛に見えてくる。昨年の『加藤の乱』は、加藤派対(森総理をバックアップする)橋本派という保守本流同士のコップの中の争いに他ならず、究極の茶番劇であったというべきであろう」と喝破していた。加藤長官時代に私は1等空佐で空幕広報室長であったからよく知っている。私と同年輩の若い長官だったから、陸・海・空の各種訓練に積極的に「視察・体験」を期待したが、もともと「なる気がなくて着任した」のであったから、その期待は見事に外れた。
 私は彼のこの著書から、今回は大いに現場の実態を腹の底から語り合える内容が濃い討論会になるものと期待していたのだが、全く裏切られて終わった。少なくとも、出席者としては司会者が示した当初の進行方針に沿った討論を進めるべきであったろうが、彼は毎回『持論』に固執して話を戻したから、討論は堂々巡りを繰り返すだけでなかなか進まないうちに時間切れで終わってしまった。
 それが視聴者にも不快感を与えたのであろう。田久保氏などはあからさまに彼の持論に反論したが、その回答も全く要領を得なかったのだが、この著書を出した2001年から七年経った今、彼にどんな“変化”がおきたのか知る由もない。せいぜい考えうるのは、文章能力には長けていて説得力があっても、会話能力に著しく差があって、相手に理解されないところがあるということであろうか?
 いずれにせよ、彼の「会話力」で「持論」を展開すれば、反政府勢力や“左翼”メディアには重宝がられて「酷使」されるだろうが、それは所詮彼自身の「自爆行為」に他ならないのではないか?
決して健全な防衛力育成のための助言にはなるまいと思う。
 視聴者には面白い?展開だったかもしれないが、同席者にとっては理解に苦しむ収録であった。
 ところで14日の産経によると、台湾海峡有事について自民党安全保障調査会で「中国から「周辺事態(認定)はどうするのか」と聞かれれば「日本は当然する」(と答える)。「日米安保ではなく、これは日本自身の安全保障の問題だ」と述べた高見沢防衛政策局長に対して、山崎拓元副総裁は「最も戦略的曖昧さを必要とする分野で、日本独自の判断では(認定は)なかなか出来ない」と指摘。町村官房長官加藤紘一氏なども、高見沢局長の発言を注意したという。
 高見沢局長の発言は、私は近来まれに見る勇気ある「正論」で、防衛省もようやく一流官庁になったか、と感心したのだが、これについても太田氏は座談会で彼を「バカだ」と発言、あれほど加藤元長官の「志の低さ」を非難した彼とは思えない言動で理解できなかったが、このような防衛省の役人の「足の引っ張り合い」こそが政治家をのさばらせる原因になっているのである。
 正論を吐いた高見沢局長を、防衛省は組織としてしっかり掩護し、政治家の横暴から守らなければ、守屋事件の二の舞になるのではないか?
 とまれ、憲法を変えない限り、健全な防衛力整備が不可能であることは国民に次第に理解されて来ていると思う。問題はそんな法体制不備があっても、黙々と訓練に励み有事には「防衛任務」につかねばならない自衛官の立場である。こんな政治家たちの「シビル・アンコントロール」状況下においてはやはり栗栖閣下が言われたように「超法規」で行くことになるのであろうか?
 なにせ最高指揮官は「人の嫌がることはやらせない」方だから、相手が嫌がる大砲を撃つことなんかできっこない!しかしご尊父は「人間の命は地球より重い」と超法規で多額の税金をテロリストに差し上げた方である。有事には現場にどんな命令を下されるのだろうか?

 さて、チベットでとうとう中国軍による大弾圧が始まった。天安門広場事件の再現である。ウイグルでも、モンゴルでも圧制に対する反動が起きる可能性がある。
 22日の総統選挙を控えている台湾国民は、この事象をどうとらえているのだろうか極めて関心がある。「明日はわが身」だと自覚して投票すべきである。正しい判断を願いたい。

中国はいかにチベットを侵略したか

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思いやり

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