軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

尖閣諸島、波高し!

 先日、チャンネル桜の周辺情勢を巡る元自衛官将官)による討論会に参加したのだが、軍事の専門家だけあって、時間が足りないくらい内容が濃い番組になった。しかし、台湾、尖閣を巡る討論では、陸、海、空の立場の違いからか、若干の認識の差が感じられた。例えば「中国は台湾攻撃は“絶対に”しない」とか「尖閣を占領する“軍事的合理性”がない」と言う意見である。
 過去の戦争は「思いもかけないキッカケ」でおきていることを忘れてはならない。第1次世界大戦は「サラエヴォの一発」から泥沼に陥ったし、支那事変も「盧溝橋の一発」から始まった。近年では、アルゼンチンの沖に浮かぶ、小さな英国領の島「フォークランド」をアルゼンチンが不法に占領したとき、不況にあえぐ大英帝国が、巨額の戦費を捻出してまで、島を奪還する作戦を強行するなどと、日本の政治家、学者、評論家の誰が想像したであろうか?誰もが“予想もしていない(出来ない)こと”から事は始まるのであって、軍事を司る者は、最悪の事態に備えるのが本来の任務であろうと私は思っている。
 今朝の産経には「EEZ内中国船活動」と言う見出しで、「4日午前9時半ごろ、尖閣諸島魚釣島西北西約30キロの日本の排他的経済水域EEZ)内で、中国の海洋調査船『東向紅2号』(3235トン)が調査活動をしているのを第11管区海上保安本部(那覇市)の巡視船が発見…調査を中止するよう無線などで警告したが、調査船は応答せず、航行しながら4回の調査を行い、午後10時過ぎにEEZ外に出た」とある。その間、実に12時間以上も、日本側の警告を無視して調査活動をつづけていたことになる。外務省は強く?抗議したようだが、彼らはせせら笑っていることだろう。彼らは、尖閣を含むこの水域は、彼らの国内法で「領海」に定めているからである。日中中間線も認めてはいない。自分の海で何をしようが「勝手だ」と言うのが彼らのスタンスなのだから、巡視船がいくら「叫んで」も、日本の外務省がいくら「抗議」しようとも、何ら痛痒を感じない。
 10年前、この防衛区の守備に任じた私は、台湾の元軍人一行が尖閣にヘリコプターで強硬着陸するという情報を得て、10日以上にわたってE2Cとファントム戦闘機による「空中警戒態勢」をしいてこれを中止に追い込んだことがあった。このとき、上からの指示は「武器を使うな」であったが、私は規定どおりの態勢で任務を遂行し、部下も淡々と従ってくれた。
 ところで、私のブログに良書の広告が掲載されるようになったので先日気に入った本を購入したのだが、その一冊に「チャイナハンズ(元駐中国大使の回想)」(ジェームズ・R・リリー著。西倉一喜訳。草思社¥2500+税)がある。
 その中に、CIAの秘密工作員として羽田に着いた彼が、タラップを降りながら回想したというこんな一節がある。
「一九五一年のアジアは混乱の渦の中にあった。旅客機を降りながら、フランク(彼の兄で米陸軍将校)が一九四六年に語った言葉が事実になりつつあるとの思いが迫った。彼は、世界の運命は『武力を最も効果的に使える者に委ねられている』と言った。中国では共産党が農民に戦う気を起こさせ、ゲリラ戦が得意だったこともあって、米国の支援を受けた国民党を敗北させた。朝鮮半島ではまさに現在、半島の支配権を巡り米軍と韓国軍が中国軍と北朝鮮軍を相手に血みどろの戦いを続けていた」
 事実、中国共産軍の首領であった毛沢東は「革命は銃口から生まれる」と言い、その言葉どおりに政権を奪取した。クラウゼヴィッツが「戦争は政治の延長」と言ったことは有名だが、軍事というのは単に「特殊な存在」ではなく、政治、経済、文化、ありとあらゆる事象と同様、この世の人間の営みの中の一つの存在だと私は理解している。そしてフランクが言ったように、その武力(軍事力)を如何に「効果的に使ったか」が、偉大な為政者とそうでない愚者との差となって歴史に刻まれてきたのだと思っている。ナポレオンや、我が国の戦国武将の生き様を見るが良い。
 翻って戦後の我が国は、たった一度の大戦に負けただけで、軍事は悪と思い込まされて、憲法に「国際紛争を解決する手段としての軍事力放棄」を明記させられ、これで世界中が平和になったと思い込まされてきた。「防衛大」出の「防衛」専門家の中にさえ、戦後(今でも多用されている)「防衛」という用語の魔術に引っかかって、「専守防衛」「自衛」が「軍事のすべて」であるかのように錯覚してきたが、その弊害が顕著になりだしたように私には思われる。「防衛行動」は「軍事行動」のホンの一分野に過ぎないことを忘れてはならない。
 軍事力行使をためらう我が国にとっては、北方領土竹島、それに拉致被害者の奪還さえも全く打つ手がない以上、尖閣周辺での領有権争いも同様であり、依然として“波高し”であることを忘れてはなるまい。