軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

建国記念の日に思う

 建国記念の日に都内で奉祝式典とパレードが行われた。産経新聞によると約1500人が参加(パレードには約4500人が参加)、中国大使館から、劉勁松参事官が夫人を同行して参加したという。「小田村会長は挨拶で『安倍晋三首相が中国、韓国と首脳会談を行ったら靖国神社参拝反対論や「A級戦犯」分詞論が消えた。これらの主張は外国への迎合に過ぎなかった。首相が雑音に惑わさず参拝することを期待する』と強調。劉参事官は「中国の際限ない軍備拡張による軍事的脅威の増大」「大国の覇権的外交」などを批判した式典決議文を食い入るように見ていた」と報じられているが、この「構図」は非常に面白い。
 もともと「靖国問題」は、我が国の一部のメディアと政治家、経済人たちが、中国政府に自ら“持ちかけたもの”で、中国としては“使えるものは使う”という方針であったに過ぎない、と私は分析している。
 ところが、居丈高に日本国民を“威圧”すればするほど、結果が芳しくなく日本国民の“中国離れを起こすだけ”であることに気がついた。そこで彼らは日本国内の、あまりメディアに登場しない「無名な」研究者達との接触を図った。たとえば我々のような、ボランティアでアジア情勢を研究しているグループである。そこで彼らは、日本の新聞・テレビとは全く異なった反応を得て困惑した。その象徴が小泉後継者問題である。彼らは自分に都合がいい日本国首相を選ばせようと躍起であったが、予定外の“若い”、それも「美しい日本」を取り戻そうと主張する安倍氏が圧倒的人気であることに気がつき、急遽対日工作方針を変換したのだが、その時期はちょうど王毅大使が長期帰国した時期に一致する。
 こう分析してみると、安倍首相を歓迎し、今回の「建国記念日」に劉参事官が参加したのも頷ける。日中関係はこれからが本番である。
 私のブログのコメント欄に「これを機に皇太子をオリンピックにご招待する気?か」との意見があったが、勿論日本人の“気の良さ”を利用して、そのムードを作ろうとしているのは明白だが、中国自身にとっては“建国以来”の最大の行事であるオリンピック問題が、極めて難しい各種の問題を抱えているからに他ならない。国威をかけたこの行事は、何が何でも成功させなければならないのである。それを阻害する中国国内の各種問題は、例えば北京市民に「行列のマナー?」を教えようとしたり、「便所の改修」を急がせたりという「おっとり刀方式」や、独裁国家らしく「強権発動」で対処できるにしても、海外からの“自由主義”にとっぷりと使ったメディアにはそれが効かないし、彼らの目はごまかせない。オリンピック終了後の、世界の反響と、それを受けた国内情勢の変動が大いに気がかりだ、というのが北京政府の本音であろう。「自由な言論」に戸は立てられないからである。
 そこで何よりも一番手ごろで、金持ちで、言うことを良く聞く日本人を大量動員して“味方”につけておくことが肝要になる。つまり、日本人を“これ”に巻き込むことである。既に日本の媚中派といわれる政治家や経済人たちに「猛攻」をかけていて、その意を受けた旅行業者達が動き出しているではないか。その工作を成功させるためにも、中国脅威論を唱えるグループとの接触は欠かせない。そのための第一弾が今回の「建国記念の日」への劉参事官夫妻の参加であろう。
 この程度の些細な工作で、お人よしの日本人は「中国も変わった」などと「ころり」と変心することを彼らはよく知っているのである。「おのおの方、ゆめゆめ油断めさるな!」と言っておきたい。

 ところで建国記念の日に関する小堀教授の「正論」には教えられることが多かった。国が規制?する「記念日」は既に廃れ、国民の純な気持ちが今の「記念の日」に生きているというのだが、私もそれで良いと思う。国民の心が大事なのであって“国定”である必要はない。最も「国旗国歌」は、規定しないと反抗する教師(狂師?)達が多いのだから、当面やむをえないところがあるが、それもいずれは国民自らの自然な行動に変わっていくと思っている。
 とはいえ、11日に私が住むこの周辺の住宅街を探索してみたが、数百戸ある住宅街で、国旗を掲げているのは“我が家だけ”という信じられない結果であった。実に寂しい限りであり、玄関の日の丸を見ていると、なんだか我が家が「瀋陽領事館」になったように錯覚したが、私が死ぬころまでには周辺の住宅にも翩翻と日の丸が翻るようになるだろう、と信じてはいる。