軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

いわれなき批判に反論する(その2)

 昭和60年、今から22年も前の出来事を書いたのだが、早速数件のメールが入った。コメントを戴いた中にも、時の総指揮官・藪口1空佐のお嬢様がいたのには驚いた。今日はその続きの3項目を掲載する。

2、何故墜落地点の特定が遅れたのか?
 すなわち、緊急発進したF−4ファントム戦闘機を始め、救難ヘリから、現場の位置は横田タカン(航法用の電波発信装置)からの方位と距離でもって示され、指揮所の航空地図に表示されていたが、当夜のように月がなく、下方の地形目標が全く確認できない場合には、この電波標識を使用して方位と距離を測定する以外になかったのである。
 しかしながらこの方法では、計器等の誤差は避けられず、ピンポイントで○○山の頂上から○○m西側などと位置を特定することは無理で、どうしても数kmの範囲の概略の位置しかつかむことは出来ないのであるが、少なくとも航空活動においてはそれで十分で何ら支障になるものではない。ただ、地上部隊を派遣するに当たっての前進目標としては、概略であってもとりあえずの「目標」を与えて速やかに前進させる必要があったが、その目標としては「北相木村」が一番近いと考えられたのである。航空自衛隊の地上部隊は道路地図を頼りに深夜の行進を続け、一時休止をする毎に公衆電話を使って指揮所と連絡を取り合うこととしたが、公衆電話がなかなか見つからず、通信手段に苦労し十分な連絡が取れなかった。
 地点評定については、十三日午前一時ごろ現場上空に到着したV−107から「入間タカンから二九一度三六・三マイル」との報告があったが、この地点は極めて正確であった。警察の問い合わせに対して指揮所は、この地点を地図上に評定して回答し、同時に「長野県警が現場に向かっている」との情報を得ているが、我々の地図上では「○○山の北斜面」とまで地名を特定することは困難であった。
 指揮所では、長野県警が地上を前進していることを現場上空のヘリに知らせ、ヘリは着陸灯を点灯して旋回し、警官隊が何とかこれを目指して前進する方法を試みたが、地上は森林地帯であったため失敗に終わり結局陸上からの位置確認は出来なかった。
 航空自衛隊はその特性上、五十万分の一の航空図を常用しているから、道路地図帳にも記載されていないような細部の地名等には比較的疎く、航法用の諸装置の方位と距離を中心に三次元の、それも主として洋上での行動を主としているため、今回のような夜間山岳地帯での救出活動は不得手であり裏目に出たといえる。その意味では今後十分反省する所存であるが、皮肉にもタカン評定は結果的には相当の確度を持って現場を評定したのであって、問題は事故当初の混乱した多くの情報(地元民からの情報を含む)の中から、いかに正しいものを選び出し、自信をもって行動するかということに帰するのではないかと思う。その意味では更に演練の必要があると考えるが、「当夜救難の意欲にかけていたのは確かだ」とか「地上部隊と密接に連絡を取っていれば」(朝日ジャーナル)など、精神論や観念論に基づく非難を受けるいわれは全くない。

3、何故夜間ヘリで救難員を降下させなかったのか?
 現場の特定が困難であったとしても、暗闇の中で炎が燃えているわけであるから、何故そこに救難員をヘリから降下させなかったのかという夜間救出についての批判は、二十三日付の朝日新聞に田岡編集委員の詳しい解説記事が出て以来次第に沈静化したが「しかしそれでも何とかして……」という声が残っている。
 御遺族の気持ちとしては良く分かるが、朝日ジャーナルのごとく、航空機の知識に欠ける記者に“虚弱体質”呼ばわりされるいわれは全くなく、逆にそういう素人の傲慢な無知こそ一般国民の知識を誤らせるものとして非難せざるを得ない。
 朝日ジャーナル取材班は、ヘリコプターの機能及び運用の初歩についてもっと勉強し、自分たちの考えが「いかにバカげたことか」同様の条件下で一度実験してみるが良い。
 月明かりのない暗夜、下方の地形の全くわからない山岳地帯でどのようにしてホバリング(空中停止)するのか、是非同社チャーター機で試みてご教示願いたい。
 仮に我々があの夜ホバリング適地を求めて強行降下を敢行し二次災害を起こしていたならば、ジャーナルは「それ見たことか」とてその“無謀ぶり”をからかったに違いない。万一降下に成功したとしても「四、五名の隊員で何が出来たか」とあざ笑ったであろう。
 十二日夜七時五四分百里を発進したV−107は、八時四二分現場上空に到着し、上空を旋回中の米軍C−130機と交信、さらに下方を飛行中の米軍ヘリに代わって降下し、時速約七〇kmの低速で徐々に高度を下げ、写真撮影を実施した。 機長の林璋3佐は指揮所から「地上部隊の行動しうる道路を捜す」よう命ぜられ、着陸灯とサーチライトを点灯し可能な限り降下したが、下方に何も発見できず、約三〇分間にわたり努力したもののこれ以上の低高度低速飛行は危険であると判断して入間に帰投したのである。マスコミ各社のヘリコプターの操縦技術は優秀であるらしいからきっと夜間ホバリングも可能だったのかもしれない。是非ともわが救難隊にその秘技を伝授してやっていただきたい。
「照明弾を使っても簡単に山火事は起こらないはずだ」などと語る軍事評論家M氏は、照明弾の何たるかをご存知あるまい。これまた自ら研究し実験してみて「はずである」かどうか確認されるが良い。
「とにかく可能な限りで近づき、現場の状況を把握した上での作戦検討は出来なかったのか」との言は、机上の空論に過ぎず、朝日ジャーナルがもっとも忌み嫌うはずの旧軍時代の非合理的にして猪突猛進的な「大本営命令」を髣髴とさせるではないか。

4、大型サーチライトつき米軍ヘリの救援申し込みを自衛隊は断ったのか?
 一方、八月十九日のNHK・NC9で「サーチライト付きのヘリの提供を米軍が申し出たが自衛隊が断った」と報ぜられ、新聞や他のテレビでもそれがまことしやかに報ぜられた。
 この報道は全くの「デマ」であり、確認せずして他社に雷同するわが国のマスコミの欠陥を表した典型的な事例であった。
 米軍の日本側に対する申し出は「一般的な支援提供が可能な状態にあり、医療班を集合させヘリコプター一機を待機させている」との連絡が十二日夜八時半ごろ入間の指揮所にあり、我方は現場捜索中だったため「そのまま待機」するようにお願いしたものである。米軍側はNHKの取材を全く受けていない。マスコミが取り上げたきっかけは、オーストラリアの一新聞が「米軍の申し出を日本側が断った」と報じたことにあるが、日本の各社は、独自の取材によって米軍の責任者にそれを確認していないのである。
 しかるに例えば八月三〇日付の東京新聞夕刊は「ベトナム経験のある空軍ヘリ部隊が出動態勢をとり」云々といかにも日本側が「クレージー」であったかのように書き、「陸自の元幹部」とやらに「メンツから」断ったのかなどと語らせている。「高性能の各種暗視装置を完備」云々という元幹部も元幹部だが、“十年前のベトナム戦争”の経験なんぞを、さも貴重であるらしく付け加える方が「クレージー」というべきではないか。週刊新潮も“米軍事専門家”と称するNという男のデタラメな推論を掲載しているが、これがNHKで放送されて以降、日本の報道陣は「日本政府は何かミスをしなかったか?」とて自国政府のミスを期待したそうであって、そういう取材陣の態度を米軍は「クレージー」と評したという。
 米軍側の援助申し出は確かにあったが、それはあくまでも多数のケガ人の発生が予測されるので、設備の整った病院まで現地からケガ人を運ぶためのヘリコプター(UH−1B)と医療班提供の申し出であって、米軍が当日横田や座間に保有したヘリにはホイスト(吊り上げ機構)や大型サーチライトは装備されておらず、航法機材も空自が保有していないような“特殊なヘリ”ではなかったのである。
 更に日本側はこの申し出に対して「サンキューベリマッチ、コンティニュー、スタンバイ、プリーズ」と返答したのであって、NHKが報じたように「ノーサンキュー」などとは決して答えていない。
 この件は私自身が横田の在日米軍報道部長から直接確認した事項であり、その時部長は、米軍放送(FEN)ではホップスなどの娯楽番組を変更してJAL機の犠牲者に弔意を表させてもらったと語った。
 遺族の悲しみに同情するふりをしながら、日本のテレビは高校野球をそのまま放映したり、焼け爛れた遺体の収容作業を報道して、さも悲しんでいるようなふりをしたが、何と“焼肉のたれ”のコマーシャルを平然と流した局もあって、娯楽番組を自粛したFENとは人間性の面で雲泥の差があるといえるのではないか。日本のプレスはクレージーだという在日米軍の感想は蓋し当然であろう。
 逗子市の米軍住宅建設問題に見られるように、普段は散々米軍の行動にいちゃもんをつけ反対しておきながら、今回のような非常事態になるとマスコミは米軍を当てにし、その能力を過大評価するのである。米国にバカにされているのは、米軍事専門家と称するN氏の言うように「自衛隊指揮官、防衛庁、政府の首脳部」であるよりもむしろ、これら日本のマスコミやN氏のような“評論家”たちであることも明白な事実であることを自覚する必要があるのではないか。      (続く)