軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「凛とした日本」を読む

現在抱える問題の根を、過去の資料に求めてみると大変参考になる。
 古森義久氏の「凛とした日本」は文庫本(PHP新書:¥700+税)だが、その内容は実に示唆に富んでいる。
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副題に「ワシントンから外交を読む」とあるが、「世界唯一の超大国アメリカの首都・ワシントンからの視点は、日本のマスメディアに今なおはびこる戦後の『平和主義』が、いかに非現実的、非国際的であるかを浮き彫りにする。たとえば、アメリカでは靖国神社参拝反対論は意外なほど少なく、むしろ中国側を批判しているのだ。日本の外交は、もっと『凛』とした態度を取ってしかるべき。平和を保つためには軍事や安全保障を遠ざけてはならない――これが世界の現実認識である」と内容紹介にあるとおり、国内での論争が必ずしも世界の常識に適っているとは言いがたい。古森氏は「前書き」にこう書いている。
「わが日本では戦後の長い年月、自分の国や民族への帰属を自然なこととして前向きに語ることを抑えられてきた。『私は日本を愛します』『私は日本を誇りに思う』以上のようなことを表明するだけでも、これまでの日本では何か特殊で頑迷な反動的人間のようにみなされがちだった。なにしろ『愛国心』を教育の指針としてはならないという思潮なのである」
 自国を愛することが出来ない民族は極めて異常であり、不幸な人間だと思うが、“特殊で頑迷”な私は「愛国心を素直に表明できない人々」は、古森氏が言うように戦後教育のせいでもあろうが、実は彼らには“日本人ならぬ外国人”の血が流れているのであって、それを「我々の同胞なのに何と情けないことか!」と勘違いしているに過ぎないのではないか?と最近思うようになった。
 本書でベテラン外交官が次のように語っているところがある。
「外務省内でもかっては『チャイナスクールが通ると、道理が引っ込む』とささやかれたほど、中国専門外交官達が中国に過剰な配慮を払う政策を推進してきたが、彼らがいつも頼りにしてきたのが自民党の最大派閥の橋本派親中派領袖達だった。具体的には後藤田正晴野中広務橋本龍太郎というような大物達だった」と述べ、古森氏も北京在任中「中国に対しとにかく友好的で融和的で協調的な姿勢に徹するという人たちはなぜかみな橋本派の議員達だった」といい、「なかでも顕著なのは自民党幹事長として訪中してくる野中氏の言動だった。野中氏は2000年5月の江沢民国家主席(当時)との会談では以下のような発言をしたことが公表された。
江沢民閣下と故小渕恵三首相がともに語り合われた日中友好については、我々は感動を持って聞いてきました。そのことを子々孫々、語り伝えていきたいと思っています」
二階俊博運輸相(当時)らとともに訪中した5000人の日本人への閣下の重要講話で日中友好を重視するというお言葉を賜り、日本国民一同、感激しております」
「中国の母なる川を守るため小渕緑化資金(100億円)を創設いたしました。その緑化のために議員連盟を作り、貴国に派遣したいと思っています」
「閣下からトキ2羽を賜りましたが、その子鳥が生まれました。その子鳥に名前をつけるにあたり、閣下のご意見があれば、承りたいと存じます」
 古森氏は続ける。「ちなみに以上の野中発言はその江・野中会談に同席した公明党冬柴鉄三幹事長が記者発表したとおりの言葉である。こんな歯の浮くような言葉も他の実質ある発言の前段となる外交辞令だったとすれば話は別だが、野中氏はこの会談で当時、日本にとっての重大関心事だった台湾問題や朝鮮情勢、日米共同防衛、さらには中国で活動する日本企業がさまざまな迫害を受けていた事実などについては、全く何も述べていなかった。もっぱら江沢民閣下にへりくだった言葉ばかりだったのだ」
 委細はお読み頂くとして、こんな程度の「外交」だったら中学生にも出来る話だから「日本人」ではないから平気なのではないか?と疑いたくなるのである。
 それから7年、日本人の中にもこんな「赤面するような朝貢外交」に本気で嫌気がさすムードが出始めた。たとえば「WiLL」5月号である。(写真)
 ここにも古森氏は「マイク・ホンダの正体」と題してレポートしているが、それには「マイク・ホンダ氏はその名からも明白なように日系アメリカ人である。出自の詳細はなお不明な点もあるようだが、公式には祖父母が日本からの移民、両親がアメリカ生まれの日系2世であり、当人は日系3世となる」とある。
 こんな「祖国を愛し、誇りに思わないような活動家」の家系には、「余ほど日本に対する恨みを抱く出来事」があったに違いない。そうでないとすれば、もともと日本とは無関係な民族なのではなかろうか?
 桜井よしこ氏は、「一片の資料も確かな証言もなしに『強制連行』を認めた河野談話」が全ての根源にあると断じ、その無責任振りを批判しているが、その昔、F−4ファントムの能力向上施策が国会で問題になったとき、百里基地に実物を見に来た彼と接したことがある。筑波下ろしの寒風が吹く日であったが、隊員達は駐機場に整列して、機体を丁寧にご説明する手順が取られていた。前飛行隊長だった私は、機体外部を説明する群司令に案内されている彼に随伴しながら観察していたのだが、「近くで見ると意外に大きいネ」というのが彼のファントムに対する感想であり、次いでコックピット内を説明しようとした群司令の案内を断り「寒い寒い」を連発して飛行隊に戻ろうとしたから、脇から私が「コンピューターなどの機材を見なければ、国会論議の問題点が分かりませんので、是非ご覧戴きたい」と進言すると、「いやいい」というなりそそくさとストーブがある飛行隊に移動してしまったのである。もう一人の議員(名前失念)は、コックピットから興奮して降りてきて手をこすりながら「狭いもんだねー」と言ったことを覚えている。
 コックピット内の「コンピューター」や「レーダー装置」を確認しなければ、何のための“実物”視察か分からなかったが、彼にはそれで十分だったのだろう。
 準備万端整えて寒風の中で直立していた隊員達は「あっけに取られる」とともに不快感を表していたが、我々は「コックピット内に乗った“勇ましい姿”を写真に撮られることを恐れたから?だろう」と勘ぐったものである。それとも「本気で寒かった」のだろうか?
 その程度の「事実認識」しか求めない彼に、事は重大に過ぎるけれども、「従軍慰安婦」問題の事実関係を迫っても始まるまい、と桜井氏の努力を気の毒に思っている・・・。とまれ、政界に「凛とした日本人」が少なくなったことは実感する。