軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「これでは日本は守れない!」

 海自2曹の機密漏えい事件は大きな反響を呼んでいる。コメントにもあったように、「自衛隊は軍隊ではない!?」という証拠が、このような国家の基本を揺るがすような事件の処理を警察が一般刑法で取り締まるという点に象徴されている。
「庁」から「省」へと移行したが、中身は何ら変わりない、と樋口元陸将は「正論」に書いたが、そのとおりである。秘密保護法も無く、スパイ防止法も無く、軍刑法もない現状で、いくら「庁」から「省」に看板を書き換えても、その字体が表しているように「しまりがない」ことに変わりは無い!
 
 以前、なだしお事件が発生したとき、その重要証拠品である「漁船」は、まるで証拠を隠滅するかのようにいち早く解体処分されたが、その理由は、海自の横須賀総監部の敷地内に保管していた漁船の船体が「総監部が業務に差し支える」と言ったから、というものであった。それとは対照的に、本来機密行動を旨とする潜水艦に、他の船舶の邪魔にならないように所在を明確に示すための「レーダー反射板を取り付けよ」と言われたり、事故調査上、衝突回避出来なかったのか否か?とい理由で最高の軍事機密である「なだしお」の旋回半径を記者団に公開で調査したりして、軍事関係者は勿論、友軍の米国から失笑を買ったものであった。いや、失笑ではなく「経済大国日本の恐るべき軍事音痴ぶり」にあきれ果てられたのであった。そして同盟国は「あきれた」が「敵対国」は「喜んだ!」のである。
「正論」5月号に、前記樋口元陸将はこう書いている。
防衛庁防衛省へ、防衛庁長官防衛大臣へと名前を変えただけで、その中身は基本的に何ら変わっていない。むしろ、中国や北朝鮮など周辺諸国からの軍事的脅威の高まりや国際平和協力業務の本来任務化などを受け、防衛庁の省昇格において最も強化されなければならないはずの自衛隊の実力は以前よりも低下し、我が国が独立国として保有すべき防衛力の最低水準を既に切ってしまった。防衛省へは
昇格はしたけれど、日本の防衛は大変危うい状況におかれているのである」
 その主な原因は防衛政策が「財政主導によってゆがめられてきた」ことにあると分析しているが、その例として財務省の主計官・片山さつき氏(当時)が、制服組と激しいやり取りをした一部が暴露されている。
 これは片山氏が“得意げに”「中央公論(平成17年1月号)」に自ら公表していることだが、「(1)北海道の4個師団・旅団を1個師団に縮小し陸自の定員を今後10年間で16万人から12万人に削減せよ。(2)潜水艦なんて時代遅れのものは必要ない。(3)昔航空自衛隊新田原基地(宮崎)の飛行隊を減らした。三沢基地(青森)の飛行隊も減らせる筈だ。(4)災害派遣自衛隊の仕事じゃない。警察と消防に任せればよい」という様な、まるでかっての「尾崎秀美・ゾルゲ」のような感覚の発言であった。これに喜んだのはどこの国か?
自衛隊の任務、編成装備、あるいは定員などわが国の防衛政策の骨幹に関わる重要事項は防衛当局が専管的に責任を持つものであって、決して財務省の任務ではないはず」だが、「何憚ることなく防衛政策そのものに(財務官僚が)口を挟んだという事実が発覚して世論を唖然とさせたのであった」と樋口元陸将は書いたが、その当時、一部の心ある自衛官は「唖然」としたものの、殆どの国民は「全く無反応」ではなかったか!
 その彼女はいまや衆院議員で、自民党の広報部門の責任者である。防衛問題が重視される筈がない。彼女が言ったように「災害派遣自衛隊の任務でない」のならば、本来任務として、災害時には警察が救援活動の主力となり、消防が負傷者を運び、海保が夜間、強風時をも物ともせず遭難船舶救助に当たり、厚生省が「離島患者輸送」を担当すべきであり、財務省はその予算措置を講ずるべきであろう。そうしていれば今回の第101飛行隊の4名の犠牲者は生じなかったはずである。
 この国の軍事費抑制政策の起源については、年内にも「かや書房」から詳細な資料集が発刊される筈だが、このような、軍事軽視の戦後の負債を破棄しない限りこの国はまともになり得まい。
 その他、「正論」5月号にはこの種の充実した記事が満載だが、元内閣情報調査室長・大森義夫氏の「日本版NSC」に関する所見も必見に値する。
「我が国には幅広い外交・安全保障上の課題について総合的・戦略的に政策を企画立案する体制が構築されていない」という指摘は、その立場が立場であっただけに説得力がある。そして彼は「政府各部門ならびに関係者間の情報共有と情報保全を進めるために機密情報に接する資格(セキュリティ・クリアランス)を政府内統一基準で定めようとの(NSC答申案)」について、「調査事項として家族親族、交際範囲、外国渡航暦、酒癖、金銭欲、趣味著作、日ごろの発言・・・全て調べる必要がある」が、「それは誰が調査して責任を持つのか?」と書いている。
 今回の「機密漏えい事件」を機に、戦後の「安保・軍事無視政策」を速やかに見直す機運が生まれることを切望したい。