軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

防衛の務め

 新テロ法案が衆院を通過したが、参院での審議を控え混乱は避けられないという。15日に福田首相は訪米するが「何しに来たの?」と言われかねない。日米同盟の鼎の軽重が問われることになりそうだが、足を引っ張ったのが防衛省自身であり、それも「事務次官」と「防大1期卒の空将」というのだから、肩身が狭い。戦後日本に唯一設けられた「軍学校=防衛大学校」の初代校長・槙智雄先生は、草葉の陰で泣いておられるのではないか?

 手元に槙先生の著書「防衛の務め=防衛大学校における校長講話(昭和39年)」がある。
 昭和28年4月8日、第一期生を迎えた槙校長は冒頭に「本日第一期生を迎えましたことは、事実上の本大学校の発足であり、我々一同は心よりの喜びを禁じえないのであります。この大学校が将来有能にして忠誠なる多くの人材を輩出して、輝かしい歴史を作るものと確信いたしますが、若しこのような想像が許されるならば、本日の入校式は真に意義の深いものでありまして、今日の機会に遭遇したお互いの幸運を喜ばずには居られないのであります」と述べ、国を愛することの大切さ、災難に際して立ち向かう忠誠の心無くしては災難を防ぐことは望み得ないことを強調され、「国が諸君に要請するところも、又国民の諸君に期待するところも、危急に際しての人として又国民としてのかかる忠誠の心であると考えております。諸君の眼前に広がる今後の四年間は、保安大学校(防衛大の前身。創立当時は保安庁法の下に保安大学校と称し、保安官:陸、警備官:海であったが、昭和29年以後、防衛庁設置法の下、陸・海・空統合した防衛大学校と改称された)における諸君の希望の歳月であります。これは諸君にとって大切な年月であると共に、実に国民にとっても希望か、失望かの月日であります。その成否は独り諸君の問題であるばかりでなく、国民の立場よりすればその期待が報いられるか否かの重大事なのであります。我々はこのことを常に記憶せねばなりません」とし、
1、諸君の任務は偏することなき均衡の取れた人物を要求していること。
2、諸君の任務は民主制度に対して的確な理解を要求していること。
を諄々と諭され、「諸君の入校の決意に対して我々は万腔の敬意を表するものであります。又その誠実に対して全幅の信頼を寄することを再び申します。我々は誓って諸君の誠実と希望にこたえたいのであります。今日よりの諸君の生活は日を追って意義あるものとなりましょうし、またすべての青年の特権である旺盛な元気と高き希望に燃え上がることでありましょう。我々の念願は諸君がその決意をいよいよ堅くして、やがてこの学校を選びしことを無上の喜びであるとし、又我々も諸君を得たことを無上の誇りとしたいことであります」と結ばれた。
 4年後の昭和32年3月26日、1期生の卒業式において槙校長は次のように訓示された。
「1期生は無論学校より多くを受けました。しかしまた、1期生は、学校に多くを残していくことも事実であります。それは学風伝統の基盤をつくったことで、その一つは『学生の慣習』とでも呼ぶべき風習を植えつけたこと、他の一つは『積極自主』の気風を生んだことであります」として、「本校学生生活に深く根を下ろし、良き学風伝統を造る上に大きな貢献をなすものと信じます」と評価された。更にハーヴァード大学が教養高き人士を養成したことになぞらえ「防衛大学校の卒業生はまず愛国者であります。その言葉の意義は広いものであって、正義人道の勇者であり、擁護者でもあり、また正しい平和の使徒でもあることを意味するものでありましょう。諸君に対する国民の信頼もその根ざすところ深く、人間社会に関しての高い教養に期待することの多いものであることを忘れてはならないのであります。・・・今日の卒業式を迎えて、我々防衛大学校の職員、在校生一同は、諸君の前途に幸多かれと祈り、人生への熱意と勇気のいよいよ高からんことを念ずるの情の切なるものがあります。諸君は我々に多くのものと、尊い記憶を残して去っていきます。われわれ一同は諸君に対し大きな誇りと期待を持つものであります」と1期生を送り出された。
 あれから丁度50年、槙先生はじめ当時の防大職員、後輩達の期待は裏切られた!

(「槙の実」槙智雄先生追悼集から)
上:新校舎=小原台で巡閲する先生(昭和30年4月)
下:第1期生卒業式・・・左下に吉田元首相の顔が見える。(昭和32年3月)

 連日、防衛省前次官をめぐるスキャンダルに防大1期生が深くかかわっていたという報道に、心ある同窓生達は肩身の狭い思いである。槙校長は常々われわれに対して「防衛大学校は将来の自衛隊幹部たる人を養成するところであります」と強調された。
 三島由紀夫は「建軍の本義なき自衛隊」と言った。しかし、防衛大には敗戦の教訓に学び、新国軍幹部養成の為の愛国心と犠牲精神を強調された槙イズムが集約された「校長訓話集」という立派な“建校の本義”があった、と私は思っている。
 この頃、大江健三郎氏が「防大生は同世代の恥辱」とまで言い放った、そんな当時の国内情勢から、自衛隊員のみならず防大生も「日陰者的」立場であったことは事実であった。しかし、何といわれようと将来の幹部たるわれわれにとっては「ボロは着てても心は錦」の筈であった。
 創設後50年以上経った防大は校長も次々に交代し、果たして「建校の本義」が忘れ去られているのではなかろうか?と思う。今一度、防衛大学校は、貴重な血税で以って自衛隊幹部を育てるところであり、政治家を養成する学校ではないという「建校の本義」に立ち返ってみる必要があるのではないか?
 現役学生は勿論、同窓生には、今一度「防衛の務め」を読み返して欲しい、と切望する次第。

防衛の務め (1968年) (国防双書〈第1編〉)

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国際軍事関係論―戦闘機パイロットの見つづけた日本の安全

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