軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

イラン、英兵解放をどう読むか

 我が国では、海自のイージスデータ漏洩事件で持ちきりだが、ペルシャ湾の緊張を高めていたイラン武装勢力による「英兵拘束事件」は、5日、15人全員が解放され英国に帰国した。産経は「突然の解放劇のカギは、ブレア英首相の外交政策顧問とイランの最高安全保障委員会事務局長との水面下の交渉で描いた事態収拾の筋書きにあったとの見方が強まっている」と書いた。協議内容は不明だが「バグダッド武装集団に拉致されたイラン外交官の釈放が伝えられ、その後、イラク北部で米軍がイラン当局と拘束したイラン革命防衛隊5人との接見許可を示唆したとの情報もある」という。さらに「5日付の英紙デーリー・テレグラフは『アフマディネジャド大統領が演説で英兵の解放を表明して自らを利するのに事態を利用し、英国は英兵を取り戻すというシナリオが描かれた。だが、それ以外にも合意があったと見られる』と伝えた」という。
 BBCやCNNはこの事件で持ちきりだが、私は拘束された若い英兵たちの言動に聊か違和感を覚える。イランテレビで放映された「英海軍が領海侵犯したことを認めた」彼らの言動は「強制されたもの」であったにしても、これは今後英国内で問題になることだろう。
 その昔、湾岸戦争開始直後に、撃墜された米・英軍パイロット達が今回同様テレビカメラの前に引き釣り出されて「自白を強要」されたが、一様に「氏名と階級、認識番号のみを繰り返した」ことが印象的であった。それに比べて今回の若い兵士達は嬉々として?説明に応じ、解放決定直後には嬉しそうに抱き合っている姿が放映されていたが、これがかっての「大英帝国の末裔か?」と考えさせられたものである。これが仮に旧日本軍の兵士、いや、自衛官であったらどんな反応をしたであろうか?と考えさせられた。
 今回の「寸劇」で、イラン大統領は、米英軍による圧迫から一時的に解放された?と考えているかもしれないが、今後の展開は予断を許さない。「裏取引」が何であったのかは、今後の情報に待つ以外にないが、今回の事件で考えさせられることが二つある。
 その一つは、1968年1月23日に、北朝鮮東岸の元山沖公海上で、米国海軍の情報収集艦「プエブロ号」が、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇に不意打ちを喰らい、乗員一命が死亡し、乗員82名が拘束され、船体が拿捕された事件である。
 米海軍は空母艦隊を日本海側に展開して乗員の開放を要求したが、北朝鮮は領海侵犯の事実を認めて謝罪するよう米国に迫った。米国側はベトナム戦争遂行中であったし、その二日前に、北朝鮮がソウルの「青瓦台」を襲撃し、朴大統領の暗殺を狙ったが失敗した事件が起きていた。つまり、ベトナムで忙しい米国は、朝鮮半島での事態を極力避ける必要があったのである。
 そこで米国は妥協して北朝鮮が用意した「スパイ活動を認めた謝罪文書」に署名し、乗員は11ヶ月もの間北朝鮮に拘束され、12月に漸く解放された。艦長は公海上であったことを強調しようとしたが、彼自身「油断していた」と責められては軍人として申し開きはできない。ついに外交交渉上、その主張は認められず、国家の犠牲になったのである。つまり、米国が掲げる「正義の旗」は、状況によっていくらでも変化するのだ、という事を証明したようなものであった。
 プエブロ号の船体は、今でも平壌市内の大同江河畔に係留されて、北朝鮮人民に対する「反米教育」に一役買っているが、この事件は「米国を人質にとることによって、朴大統領が北進してくることを止めようとする北朝鮮側の狙いがあったのだ」といわれているが真相は定かではない。穿った見方をすれば、今回のイラン武装勢力の英兵拘束作戦は、この「プエブロ号」事件にヒントを得たものではなかっただろうか?それにしても、英海軍は「油断していた」と思わざるを得ない。
 余談だが、プエブロ号事件は、私が2尉の頃で、福岡の築城基地スクランブル勤務についていた頃の事件であった。この年の6月には、この件で朝鮮半島に展開していた、当時最新鋭のRF-4Cファントム偵察機が、板付基地に着陸しようとしてエンジン故障のために九州大学の建築中の建物に墜落した。これを見た反戦団体が勢いづいて、当時の九大学長達を煽り、学長が先頭になって「反米デモ行進」をしたので福岡市民の顰蹙を買った事件として良く覚えている。
 その2は、このような「人質事件」は、国家の軍事力、つまり実力の裏づけが無ければ解決しないということである。今頃になって、昭和48年(1973)に渡部秀子さん(32)と二人の子供達が、北朝鮮の女性工作員に拉致され、北で生存しているらしいとして警察が動き出したようだが、戦後の我が国が、諜報、謀略活動に疎いこともさることながら、軍事力による裏づけの無い日本外交の弱点をさらけ出している。実力無き外交には限界があることの証明であろう。軍事力「不使用」という弱点をカバーするものは、軍事力に代わる取引材料である。「敵」が最も恐れるもの、それを取引材料にしなければ、今回のような「解決法」はあるまい。拉致された日本人が北朝鮮国内にいるとすれば、それに代わる「材料」が、わが国内には無いのか?いくらでもあるように思われるが、何故それを取引材料に出来ないのか?田中真紀子外相時代に、金正男が不法入国した事件があったが、こともあろうに田中外相は、貴重な取引材料に「のし」をつけて返す体たらく、これが日本の政治家の実態であった。
 今回、イランと英国間にどんな裏取引があったか分からないが、ペルシャ湾に展開している米英軍の戦力が、大きく作用していたことは疑いない。
 日本国民は今回の事例から、“国際軍事関係”の裏を読み取って欲しいと思うのだが、戦後日本人の大半が、高崎山や、日光で、サルに脅かされた位で「悲鳴を上げて逃げ回る」ようなタマ抜き状態では、権謀術数に長けたアジア周辺諸国の暴力行為に太刀打ちできる筈はない。
 せめて男だけでも、餌を求めて襲い掛かる凶暴な「サル」を打ちのめして、退散させるくらいの気力が欲しいものだが、電車内では老人を立たせて座席を占領し、ホームに寝そべってじゃれあう、コジャリ共がはびこっている間は、世界中から小ばかにされ、汗水たらして稼いだ金を「ハゲタカ」共に奪い尽くされるのが落ちだろう・・・。情けない限りである。