軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

大先輩に取材!

 相変わらず、国旗は我が家だけにしかはためいていないが、さわやかな端午の節句日和である。
 昨日は友人4人と共に埼玉県蕨市まで出向いて、門脇朝秀氏のお話を伺ってきた。連休で新宿駅は混雑していたが、ホームから渋滞気味の階段を登る途中で、私の後ろの男子学生らしい二人が「この連中は東京人じゃなく、田舎から来た連中だろう。しかし、外人が多いな。これじゃ日本は連中にいつか占領されてしまうんじゃねーか」と面白いことを言っていた。確かにスーツケースを引っぱったアジア系の“外人”が多かった。
 埼京線などを乗り継いで目的地に着いたが、ご本人がわざわざ駅まで出迎えに来ておられたのには恐縮した。
我々の先頭に立って「駅から10分くらいですから」とすたすたと歩かれる。93歳とはとても思えない元気さに驚くと「私は歩兵でしたから」とにこっとされた。「バターン、死の行進」の謎が解けた!
 門脇氏は、大正3年韓国の大田で生まれ、大田中学校卒、昭和9年大阪外大支那語部卒業、ハイラル騎兵集団司令部勤務、朝鮮龍山歩兵79連隊入隊、10年現役満期、11年7月に予備役見習士官召集を受け、関東軍奉天特務機関情報部で勤務された生粋の情報員である。昭和13年7月に、南満州鉄道調査部に派遣され、20年8月の終戦を迎える。旅順・大連地区はソ連軍の支配下に入ったが、脱出して奉天の米軍情報所に出頭、ソ連占領下での窮状を訴え、大連地区の在留邦人を帰国させるよう米軍に働きかける。それが実現して引き揚げが開始されるが、ソ連支配下では引き揚げは不可能だったろうという。ご自身も22年に引揚げて帰国された。
 帰国後は日立製作所に勤務されたが、昭和31年に退職され、ビルマ派遣軍の戦友会などのを世話しておられる。その間、中国へは50回以上、朝鮮、台湾などを数知れず歴訪して、旧友との友情を暖めておられる。
 午後1時40分から5時半まで、約4時間にわたって貴重な体験談を伺ったが、とにかく、この夏68歳になる老兵の身?の私としては、門脇氏の体力、気力、記憶力と博識さに比べたら、まだまだ青二才に過ぎないことを痛感して、逆に励まされた。
 いずれ記録を整理したいが、今日は氏が主宰しておられる機関紙「あけぼの」から2つだけ、氏の見解を書いておこう。ちなみにその信条には、○死生有命、人生有限 ○アジアの草の根の虫 ○群れず組せずやせ狼 ○天生我才、必有用、とある。

1、「春を迎えて」
 中国と台湾の政情は、我々傍観者にとっては、何がなんだか良く分からない。ましてやそこのメディアを通じては、一層。地球上どこでもその傾向はあるが・・・指桑説槐。日本人がそうだから、アメリカ人はもっとであろう。
 それにしてもアメリカ人は、人を煽っておいて、肝心なところでその梯子をはずして、全く違うことを行って、良い児になる癖があるようだ。
 戦時中の慰安婦の問題は、派生的な人間としてのサガであり、自分だってその例外ではないのに。問題化して・・・。一部の動きなのか。それとも大半がそう思っているのか。

2、「中国人のバク(博)才」
 マカオアメリカのラスベガスを抜いて、年間20億ドルの取引をしたと伝えられる。しかもその大半は大陸の中国人で1200万人が訪れたという。
 一方ロシアでは、極東の小さな自治州の知事が、ヨーロッパで世界最大の全長160メートルのヨットを発注した由。いずれもこの前まで、財産の私有を認めなかった国の住人の持つ、ばくちの才の爆発と見る外はない。年間1200万人の大陸中国人は、同胞の窮乏を異国での出来事と見てか、どこから手に入れた金で、マカオの夜を楽しむのか。中国人のバク才とそれに賭ける熱意は、日本人等子供以下。