軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

南京陥落=蒋介石日記から

 昨日は都心での勉強会の後、政治学者・殿岡氏と面談してきた。昭和60年、私が広報室長時代に一度お会いしたことがあるが、それ以来の面談であった。殿岡氏は、今でも中央アジア方面を駆け巡っているが「北京オリンピックは開催できるのだろうか?」という疑問を提示された。
 コメントにもあったが、彼は「中国にオリンピック開催の資格はない」と断言する。つまり「オリンピックはスポーツと平和の祭典の筈だが、抑圧と虐殺と戦争の過去を引きずる中共が、その過去を清算しないまま五輪を開催するのはおかしい」というのである。
 彼は今でも中国に迫害されている少数民族を支援し、現地を良く知る一人だが、「中共は1949年に政権を奪取して以来、地主や資本家とその家族をブルジョア階級として『反右派闘争』の名の下に大量処刑した。その数は数百万といわれるが、1966年から10年間続いた『文化大革命』では、国家主席であった劉少奇でさえ大衆集会で暴行を受け、三角帽子を被らされて街中を引き回された。文化大革命での死者は2千万人、被害者は一億人、政治闘争に明け暮れたので農作業が進まず、それに異常気象が加わって数千万人が餓死した。同じ漢民族に対してこれだけのことを平然と実行するのだから、辺境の異民族への弾圧は、チベットの例を挙げるまでもなく想像できるでしょう。過去を少し振り返っただけでも、いかに中共が五輪精神に最も遠い国であり、その資格がない国であるかが分かろうというものです」と言った。たまたま、中国に留学している学生を持つ親からも、北京の空気の悪さと水の汚さに驚いたという話も聞いた。

 今朝の産経新聞の「蒋介石日記・3」には、突発した盧溝橋事件で蒋介石が「準備が整わない状態で、日本軍との対決を迫られる結果になった」と書いたが、これは明らかに共産党が仕掛けた事を証明している。
 彼は1937年12月7日に南京を脱出して重慶に逃げ込むが、決心が大きく揺れ動いていて、彼の優柔不断さを示して余りある。彼が「浮き足立った最大の理由は、上海近郊の防衛線が破られて以後の中国軍の敗勢にある」と産経は書いた。それは上海警備司令の「張治中を過信したこと」にあるというが、張は共産党の一味で、後に共産政権下で「愛国将軍」といわれた男であるから、全く部下を掌握していなかった証拠である。
 特に興味深いのが「敗走する中国軍の軍規弛緩」であり、「南京〜広州間の交通と通信は途絶。敗残兵の略奪が頻発、わが軍の死命を制するものとなっている。戦う力は甚だ弱い上、士気が振るわず、敵よりも自らに敗れている(11月22日の日記)」「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略)破れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦など軍規逸脱の凄まじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ(11月30日の日記)」と書かれているところだ。
 産経の山本記者は「いずれにせよ、上海で敗れて以来、保護すべき一般国民を相手に略奪や暴行を重ねる自国軍に南京防衛を託すのを蒋介石がためらい、悩んだことだけは間違いなかろう」と書いたが、今も昔も、中国に“自国軍”は存在せず、軍閥に率いられた“私兵”しかいなかったのだから、自国の“一般国民”を保護する精神なんぞ、微塵もなかったことについての理解が不足している。かっての帝国陸海軍や、今の“民主国家”日本の「自衛隊」とは、根本的に異なる存在なのだ、その延長線上に現在の中共軍もあるのだという認識を忘れてもらっては困る。
 この日記は全文翻訳されて出版される日も近いだろうから、大いに期待しているが、まず米国政府関係者に読ませるべきであろう。そして中国が戦後叫び始めた「南京大虐殺」が、実は軍規弛緩し、敗走を続ける蒋介石軍と、その中に混入していた中共軍の犯した、自国民に対する重大な犯罪であったということを世界に知らしめるべきである。
 しかしここでも注意しなければならないことは、米国民には「民主主義下の軍隊」しか想像できないということである。当時の中国軍を、ナチスドイツや、旧ソ連軍の実情とダブらせて考えさせる必要がある。
 今の日本人も、上海や北京を訪れ高層ビルを見ては「日本と少しも変わらない近代国!」と勘違いしているが、とっぷりと“自由主義体制下”に漬かりきった国民には、中国が今でも“政治体制が全く異なっている”国家であることに気づいていない。改革開放以後、中国は一見民主主義体制かと勘違いする者が多いが、そこが落とし穴なのである。中国人民の中に「“中国人は悪い!”ではなく、“中国共産党”が悪いのです」と言う所以がそこにある。

 さて、たまたまブログの一読者から、以前訪中したとき撮った写真が送られてきた。それは国共内戦に巻き込まれて甚大な被害を出したある集落の「風景」だが、殿岡氏が言ったようにブルジョア階級として処刑された「地主や資本家とその家族達の墓だ」と説明されたという。平和ボケが止まらない日本人は、この写真を見て何を感じるだろうか?