軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

戦を忘れた軍事組織の末路

 守屋前防衛次官の証人喚問は、NHKの独壇場であったが相当な視聴率だったことだろう。国民の生命財産を守るべき「国家防衛事業」はどこへやら、それを利用して個人的な快楽におぼれていた実態の一部が、見事に?証言されていた。私はゴルフ・マージャンを嗜まないから詳しくわからないが、一旦賭け事にのめり込むと、人間なんて所詮は小さな生き物、「接待」とか「倫理」とか、はたまた「便宜供与」など、一切無関係、接待を受けている感覚も、部下に示した「倫理綱領」の中身も、そうしていること自体が「便宜供与」であることも全く無感覚になる、こんな“平凡な”人間に、国家防衛事業を一任?していた国会議員たちの無責任さの方が浮き彫りになったといえよう。
 しかし、数々の試練を経てきたキャリアー官僚が、本来的にはそんな体たらくである筈がないから、自分の「接待問題」には回答しても、肝心要の「国会議員との癒着」「利権への便宜供与」については一切回答しなかったところがさすがである!
 この問題については連日マスコミが大騒ぎだから後はお任せすることにしたいが、問題は、国家防衛事業を「飯の種」にし、利権としか考えない政治家や官僚、業者の存在を、納税者である国民自身がどう考えるのか?という点にある。
 日本の国益がかかった「テロ特措法」延長問題については、今日の福田・小沢会談でどう進展するかが「楽しみ」だが、以前書いたように、まず前例がある「超法規」でテロ特措法を延長し、給油活動を続けながら、特措法の今後と守屋問題を十分に審議すべきであろう。そうしないと両者共に「未解決」のままうやむやになり、いずれ再びこんな輩が復活して再発するものである。
 国家防衛をになう崇高な使命を忘れ、それを自分と家族の快楽に利用した官僚と、己の利権のために利用した政治屋たちを、この機会に一網打尽にすべきである。

 その昔、「自衛官の心構え」として、入隊直後に叩き込まれた5か条があった。武装集団として、高価な武器を与えられ、国家存亡の折に「身を挺して」その任に当たることが義務付けられている「自衛官」にとっては、戦闘訓練に精を出し、自らの戦闘能力を高めておかねばならぬからである。
「古い歴史とすぐれた伝統をもつわが国は、多くの試練を経て、民主主義を基調とする国家として発展しつつある。・・・自衛官は、有事においては勿論、平時においても、常に国民の心を自己の心とし、一身の利害を超えて公につくすことに誇りを持たなければならない。自衛官の精神の基礎となるものは健全な国民精神である。わけても自己を高め、人を愛し、民族と祖国を思う心は、正しい民族愛、祖国愛として常に自衛官の精神の基調となるものである。
 われわれは自衛官の本質にかえりみ、政治的活動に関与せず、自衛官としての名誉ある使命に深く思いをいたし、高い誇りを持ち、次に掲げるところを基本として日夜訓練に励み、修養を怠らず、ことに臨んでは、身をもって職責を完遂する覚悟がなくてはならない。
1、使命の自覚
2、個人の充実
3、責任の遂行
4、規律の厳守
5、団結の強化  」

 読んでの通り、これは「自衛官」の心構えであって、事務官を含む「自衛隊」を諭したものではないから、こんな官僚が出ても違反?ではないのかもしれないが、なんとも早白々しい“お説教”であったことか!
 彼ら事務官は、水中から高空までの3次元の世界で日夜訓練に励むことは義務付けられてはいない。そこで前次官のように、広大な「グリーン」の上でボールを追いかけ、「ジャン卓」を囲んで戦略を練り、「カラオケ」で憂いを発散し、その代価に「粗品」を受け取るのを使命と錯覚していたのであろう。これこそ「一将功なりて万骨枯る」の典型ではないか!
 殉職して逝った自衛官たちとそのご遺族は、いい面の皮である。彼らの優雅な生活を支えるため、「身をもって職責を果たし」た結果がそうだとしたら、やり切れまい。
「倫理綱領」は「事務次官通達」として全部隊に徹底され、5000円以上の会食の場合には、たとえOBとの懇親であっても、現役はすべての報告をしなければならない、と規定され、たまたま会った部下と食事をしようと誘っても、現役だからと辞退し、「個人の充実」と「団結の強化」がはかれない時期があった。中には、「先輩、税込みで4999円まではOKですからお付き合いします!」と言った後輩もいたが、大半は「石橋をたたいて渡らなかった」ものである。
 証人喚問の中継を見ていて、つくづく「戦をしない?」戦闘集団の末路を彷彿とさせらた。
 いや、自衛官たちは、少なくとも戦の訓練に励み、現実にその危険と対面している。陸自隊員は、イラクサマワで見事にその任務を果たして帰還したが、給油作業を続けている海自艦艇の隊員達はもとより、空自の輸送部隊も現地に留まって、任務遂行中である。
 大東亜戦争中、ガダルカナルニューギニアという、大本営でさえも地図を見たことがない戦地に送り出された我兵達は、文句も言わずに知恵を絞って勇敢に戦った。補給も途絶え、食料も現地調達、餓死者が戦闘の犠牲者を大きく上回ったがそれでも文句を言うことなく、お国のために散華していった。しかも終戦後も「骨」さえ拾ってもらえず、靖国神社に国家指導者が参拝する気配さえない。こんな異常な過去の戦訓が、全く生かされないまま、戦後の我が国は「多くの試練を経て、民主主義を基調とする国家として発展」した。 果たして、こんな民族が「自由と平和を愛し、社会福祉を増進し、正義と秩序を基とする世界平和に寄与する」ことが出来るのだろうか?と私は不安に思う。せめて、前回の選挙で衆議院議員に当選した佐藤正久議員に「朱に交わって赤くならないよう」に切望したい。
 

幻の防衛道路―官僚支配の「防衛政策」

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