軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

東京特派員の告白

 コメント欄に、感情的発言が散見するようになって聊か見苦しい。“暗い”御時勢、欲求不満は分からないでもないが、匿名のコメント欄で顔が見えないのをいいことに、無責任な誹謗中傷をすることは慎むべきであろう。以前も長文のコメントにご注意申し上げたが、気持ちは分かるが逆に読んでいただけないのでは?と心配したからである。折角、言論の場を提供しているのであるから、読者の皆様にも是非共冷静な言論を展開していただきたい。

 さて、今朝の産経新聞3面に「沖縄集団自決訴訟」に関する記事が出ている。ノーベル賞作家・大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」に記述された“軍命令説”の根拠を問う裁判だが、大江氏は「元守備隊長には集団自決の責任があった」と論点をすり替えた抽象論に終始した、という。
 この問題を解説した『視点』欄に、牧野記者が「司法判断に当たっては、その論評の前提となったのが根拠の薄い隊長命令説であり、しかも大江氏が自ら取材、検証したものではないことを忘れるべきではない」と書いているが同感である。
 少なくとも教科書の題材になるほどの『ドキュメンタリー』であれば、肝心なところは現場取材を怠ってはなるまい。『小説』ではないのである。こんな「小説的手法」で書かれた「沖縄レポート」を題材に教科書に記述する作者も作者、本屋も本屋だが、一旦活字になって、ベストセラーにでもなると、それが「歴史の真実」になってしまうのが恐ろしい。南京大虐殺も、慰安婦問題もその手の『歴史』なのである。

 ところで、聊か旧聞に属するが、『ニューズ・ウイーク』誌の9月19日号が、「世界が見た日本」特集を組み、その中に「東京特派員の告白」が出ている。
 リードには「靖国参拝よりゲイシャ、日朝首脳会談よりロボットやチカン。外国の新聞が伝える『世界が見たNIPPON』はちょっと歪んでいる。高齢化社会も三宅島も『面白おかしく書け』と命じてくる。編集者と戦い続けたジャーナリストの苦悩とは・・・」とあり、そのジャーナリストとは英国有力紙のコリン・ジョイス記者である。
 彼は1996年に埼玉県の高校で英語を教えていたそうで、ジャーナリストになるのが夢であったという。思いがけなく早く夢が実現し、4年後にはイギリスの高級日刊紙『デイリー・テレグラフ』の東京特派員に採用された。彼は「権力者の不正を暴くことはなかった。イギリスの読者に新鮮な日本像を提供できたとも思えない。それどころか、私はステレオタイプなイメージを助長するのに加担していた。重要な事件や出来事を報道する代わりに、軽い話題でお茶を濁してきた。わざと嘘をついたわけではないが、報道の質よりも娯楽性を優先する新聞という『機械』の一部だったことは否めない」と告白し、「テレグラフが喜ぶ記事にはパターンがあった。ステレオタイプに即しているか(働き蜂の日本人)、それを覆すもの(日本人の92%が会社嫌いだという調査結果)。笑えるか(女性の集団に取り囲まれ、警察に引っ立てられる痴漢の話)、楽しい写真が添えられているか(浴衣姿の女の子)だ。好まれるネタも決まっていた。第二次大戦の話か、日本で有名になったか犯罪に巻き込まれたイギリス人の話し、相撲取りやゲイシャ、人型ロボットに最新型トイレ・・・・・・。
 日本の危機や問題を書く機会はほとんどなかった。日本の民主主義が自民党の一党支配体制から抜け出せる見込みはあるのか。アジアで進む勢力バランスの変化に、どう対処するのか。日本人であるとはどういうことなのか、人々の間に納得のいく共通認識が生まれる日は来るのか・・・・・・
 思い通りの記事が採用されたこともある。戦時中の過ちを認めない日本政府の姿勢が、戦争捕虜や非占領国だけでなく自国民をも苦しめていることを象徴した横浜事件の記事は大きく取り上げられた。(横浜事件:大戦末期、日本でジャーナリストら約60人が逮捕され、拷問によって自白を強要された事件。4人が獄死し、1人が保釈直後に死亡、治安維持法の廃止直前に有罪判決が下された、とする事件)。美智子皇后の実家の取り壊しを巡って論争が起きたときは、乱開発が日本の景観を損ない歴史的建造物を根こそぎにしている現状について、突っ込んで書いた」
 本文は省略し、中見出しだけを羅列するが、「テロと戦争がひしめく国際面においてもっぱら日本は明るい話題を提供する場所だ:オタク文化」「小泉首相靖国参拝を記事にしたいと訴えても『そんな神社は誰も知らない』と却下された」「ショービジネスを自認する英国のジャーナリズム界」「引用の捏造に数字の操作『現場報告』も創作する」とある。
 どうもメディアの“創作癖”は、世界共通らしく『引用を捏造し、数字を操作し、現場の報告を無視する』傾向が強いらしい。
沖縄ノート』の出版社はかの有名な『岩波書店』であり、その下敷きになったのが『鉄の暴風』という「沖縄タイムズ」という地元の新聞社が発行した書物である。大江氏は『広島ノート』という著書も岩波から出している。だからこれら出版社は決して「非を認めない」であろう。万一内容が「虚構だったこと」が証明されれば、売り上げに直接響くし損失は計り知れないからである。
 真実の追求よりも事実の隠蔽、被害者救済よりも関係者の保身・・・、厚労省も、防衛省も、はたまた有名出版社や新聞社も、“被害者”の生命も名誉も、「自己防衛」のためにはなりふり構わず無視し、自説を押し通す。しかし、綾小路きみまろの漫談ではないが、“あれから40年!”いずれ巨悪は暴かれ、一時的な「栄誉」と「豪奢な生活」に酔った老人達が末節を汚し、見るも哀れな老醜を曝すのは「真実は隠せない」という証明なのだろう。
 弱者?である庶民は、その機会が来るのを唯一の希望として耐える以外にないのかもしれない・・・

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