軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

オフレコ取材と記者の道義心

沖縄防衛施設局長の「犯す前にこれから犯しますよと言うか」という発言は、何ともおどろおどろしい内容だが、居酒屋での記者との懇談の席の発言だという。
局長の弁明は、評価書の準備状況について、提出時期などについて話題になった時、≪「やる」前に「やる」とか、いつごろ「やる」ということは言えない…いきなり「やる」というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから、といった趣旨の発言をした記憶がある≫が、≪ここで言った「やる」とは評価書を提出することを言ったつもりであり、少なくとも『犯す』というような言葉を使った記憶はない(産経30日)≫という。

≪羽田に着いた沖縄防衛局長=産経から≫



一川防衛大臣は≪本人は発言した内容と報道の表現がイコールではないといっているが、弁解の余地はないと判断した≫として局長を首にした。
又も嵌った防衛省!いつまで続くぬかるみぞ…という気がするが、どうもこの役所は≪学習能力が低い≫ように思われる。いや、それは失礼、能力ではなく『学習していない』のか、過去の苦い経験が「伝承されていない」だけなのだろう。
一川大臣も大臣、己の「防衛素人発言」や「宮中晩さん会欠席」問題を棚に上げて、部下の首を切るのだから、何をかいわんやである。
当該局長ならずとも、省員全体にやる気が出なくなるのは理解できる気がする。

≪記者に囲まれる防衛大臣=産経から≫


平成7年、私が現役だったころ、宝珠山防衛施設庁長官が「村山首相はバカだ」と言ったとして更迭されたことがあった。
事実はこれまたオフレコの懇談の席で、「首相が頭が悪いからこんなことになったのだ」と発言したのだが、それを記者が「バカ発言」という表現にしたから大問題になったものである。

≪時の村山首相=ホームページから≫

宝珠山氏の指摘が間違っていたかそうでないかは、その後15年間ももめ続ける原因になった沖縄基地問題を見れば一目瞭然だろう。「バカ」だったのかどうかは知らないが、少なくとも『頭がよかった』とは言えないのじゃないか?
沖縄防衛局は昔で言えば「防衛施設局」の延長線、この“有名な”事件を知らないはずはなかろう。代々継承されていなかったに違いない。教訓から学ばないものは自滅する!と言われるゆえんである。


今回の「発信元」は沖縄の琉球新報らしいが、「非公式の懇談の席だった」ことを認め、オフレコだと了解していながら【公表】したのは、「発言内容を報じる公共性、公益性があると判断したからだ」という。

「公共性」とは辞書によれば「広く社会一般に利害・影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること」だとされ、解釈にもいろいろあるようだが「結果として、個人にも私人にも恩恵をもたらす。ある種の協働や個人的な行いが不特定多数の他人に、結果として広く利益をもたらすような状況が『公益』『公共行為』と見なされる」とされ、「公益性」も「公共の利益に関わるさまであり、特定の個人や組織のみではなく広く社会一般の利益に関する様子」を言うとされる。
それからすると「評価書の準備状況について、提出時期などについて」という命題は、報道上利害が高い問題だろうが、すでに政府が年内に提出すると公言している件でもある。だとすればさほどの公益性は感じられず、むしろ担当記者の「功名争い程度の価値しかなかろう。そうなれば少しでも早く他社を出し抜きたい新聞社としては「公共性があると判断する」のが通例だから、琉球新報社にとっての「公益性」に過ぎないというべきだろう。

琉球新報社=同ホームページから≫



つまり、オフレコであれオンレコであれ、新聞社にとって都合の良いものはすべて「公共性があると判断する」体質の新聞社がとる常套手段なのであり、局長は軽軽に「酒席で」発言すべきではなく、公式な記者会見の場に限定すべきであったろう。その点で極めて情報戦に疎いと言わざるを得ない。
国務省のメア日本部長が「ゆすり集り発言」で更迭されたのも、沖縄の新聞社と共同通信社の連係プレー?であり、沖縄には幅広い「情報網=落とし穴」が設置されていることを自覚すべきであった。


したがってこれからは、官庁が「オフレコ懇談の場」を忌避するようになれば、メディアは一方的で画一的な官庁の公式発言しか記事にできなくなるわけだから、5社を数える全国紙など不要になる。
それを恐れるから各社とも「特ネタ探し」に躍起になり、今回のように道を踏み外すことになる。
琉球新報社の当該記者はこの発言を聞いて直ちに本社デスクに一報入れ「発言を記事にする」と局長に宣告したのは2次会の席だったというから、闇討ちに等しい。


このような道義心が欠如した「オフレコ懇談」の在り方については、取材される側としてはいつも新聞協会に苦情を呈してきたものだが、新聞協会側としては「メシの食いだね」を制限するようなことは決してするまい。
平成8年2月に日本新聞協会編集委員会は、オフレコは事実把握の一手法だとして容認したうえで、「その約束には破られてはならない道義的責任がある」とした。

新聞社の「道義的責任」とは何か聞きたいものだが、勿論その見解は正しい。
多分、オフレコ破りが出てくると、新聞社全体のモラルが問われ、官庁などが一切懇談の席に顔を出さなくなる、という危機感があったからに違いない。
だから「安易なオフレコ取材は慎むべきだ」と指摘する程度にしたのだろうが、今回の例から、各省庁初め、東電などでも、「安易なオフレコ懇談の席」は排除してかかるようになるに違いない。

一人の「道義的責任欠落者」のために、国民の知る権利が阻害されるようになれば、新聞などは当初から単なる『古紙』に過ぎなくなる。


私も現役時代、広報室長として多くの記者さん方とおつきあいしたが、中には「1佐なんか飛ばすのは簡単だ!なんならやってやろうか!」と居丈高にボールペンを振り回す方もいたが、大半はモラルをわきまえた紳士が多かった。
懇談の席で得た“特ネタ”は、やがて主題の実像を明らかにする補強材としてさりげなく活用されていたからである。
今回の琉球新報社の記者もそうだが、前回の宝珠山長官事件の時の記者も、功を焦って手痛いミスをしたとしか思えない。
今回の「オフレコ取材と記者の道義心」問題について、改めて日本新聞協会の見解が聞きたいものである。



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