軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

北京会議こぼれ話・その1

 昨日は福岡から中学時代の同級生が上京したので東京駅で再会、久々に懐かしいひと時を過ごしたが、チャンネル桜から急な出演依頼が来て、そのまま夜の収録に向かったから、中国出張の整理ができなかった。
 今朝ブログを開けたら、16名もの読者から熱心なコメントが寄せられていて、中国問題花盛りだったので、記録をたどって「こぼれ話」から書きとどめておこうと考えた。

 19日0900から、北京の社会科学院日本研究所で「対話」が始まったが、以前書いたようにこの研究所とは2000年9月に事前調整会議を持ったのだが、大いに紛糾して2005年まで“お預け?”になった。調整会議には、自衛隊OB3人と、岡崎研の主任研究員の計4人が参加し、9人を相手に“討論”したのだが、歴史認識がかみ合わず、特にその中の若手男女二人は「侵略」「日本軍の残虐行為」を非難するだけだったから私と“口論”となり「もう一度戦争して決着をつけるか!」という羽目になった。われわれが「この問題は重要だから徹夜で討議しよう」と提案したところ、議長は困惑したが、30分延長してくれたのだった。

 この第一回目の会議では、中国側は「江沢民主席の訪日失敗の原因」が知りたかったらしい。すぐに朱鎔基首相の訪日を控えていたから、その参考にするつもりだったのだろう。
 その後、5年後にようやく再開されて以降、毎年開催されるようになった。
 今回も、冒頭の挨拶で蒋所長は、シンガポール温家宝・福田会談が行われ、「2008年オリンピック推進」「12月中の福田首相の訪中」が話し合われたと述べ、「この会議で得られた良い結論は上級機関に報告し、よい成果をもたらしている。今回も率直な会談を期待したい」と語った。

 そして今回は、上級陸軍大佐(准将相当)、元海軍少将(パイロット)、陸軍現役少将の参加を紹介したが、実は2000年に私とやりあった女性が、陸軍上級大佐(軍事科学院教授)であることが判明した。今回も、北京社会科学院がこの対話に相当な力を入れてきていることを実感した。
 会議の内容は報告書を書いている最中だから後回しにして、気がついたこぼれ話を書いておこう。

 18日夜9時50分に北京空港に着き、10時半にいつもの宿である和敬府賓館に着いた。由緒ある古い宿で施設も傷んでいるが、一泊400元(¥5600)、エグゼクティブが480元、デラックスが960元であるからビジネスホテル並み?であろう。

 翌朝7時に食堂に行くとまだ準備中で、まんじゅう3種、カステラ、ゆで卵、おかゆに牛乳しか並んでいない。仕方なく饅頭(ダンボール入りではなかった!)をかじって見ていると、出稼ぎ?風の中国人達がぞろぞろと入ってきた。ここでは恒例の「モンゴル物産展の展示即売会」が開かれているので、その関係者か?と思ってみていると、7時20分になっても料理が並ばないので何人かが怒り出した。とにかく女性の係員は無愛想で「共産党員らしいコチコチ」、入り口でチケットは厳重にチェックするが、サービス精神は全くなく愛想もない。樺太で体験したロシアのおばさんそのままの雰囲気である。しかし、男性客がクレームをつけると、奥から男達が料理を運び出した。野菜炒めに時間がかかっていたのだろう、と思いつつ取りに行くと、6種類出てきた料理はみんな冷たい!要するに“たるんでいる”のである。オリンピック客がここに泊まるとは考えにくいが、これじゃ先が思いやられる。
 ところで料理を取った客たちは、思い思いにテーブルに着いたが、何を思ったか、何人かが次々に私のテーブルに席を取る。日本人だったら、他の空いている席に行くのだが、「人恋しい?」のか、なぜか私の隣に座るのである。周りには空いたテーブルがあるのに・・・。私の席が便利な場所にあるわけでもなくテレビからも遠いし、料理にも近くはない。何と無く不思議な感覚だったが、翌日もそうだった。しかも私の右隣の男性と、一つ置いた左側の席の男性とは仲間。その上、正面に陣取ったご婦人達も仲間だと後でわかったのだが、やがて会話が私をはさんで飛び交いだした。中に取り残されている私なんかにはお構いない?らしい。
 中国には「絶頂聡明」という言葉がある。「絶頂」だと、彼らは親近感をおぼえるのか知らん?と考えて理解に務めることにした・・・。それとも「人畜無害」と思われたのか?

 第一日目の会議の昼食は弁当食、適宜会話が弾んだが「地価高騰」が話題になった。2003年に8000元/平方メートルだったものが、2007年には25000元になっていて、相当気になっている様子。早く購入していたものは「ウハウハ?」だが、買いそびれたものは「不満たらたら」。昔の日本にソックリ! 会議でも「バブルを体験した日本から助言をいただきたい」と真剣な発言があった。
 私は今回の17回党大会の結果について聞いたが、上海勢力の影響力は3〜4人と見積もっていたが、5人だったのは意外だった、という答えが返ってきた。
【インターネットから】

 夕食会では私の右隣は、元海軍パイロット(F-8)の李少将で、彼の総飛行時間は約1600時間、私の半分以下だったから、敬意を表されて「乾杯」が続いた。
 テーブルの正面に着いていた上級大佐は、15歳で少年兵として陸軍に入隊して既に40年の軍務経験者、文化大革命で両親が殺害?されたらしく、下放された経験を持つ。小隊長まで経験したそうだが、その後はロシア語が堪能だったので軍事科学院で情報担当、博士号を持つので今後は学者として活躍出来そうだという。彼は良い時に自宅を購入していたらしい。彼の考えは実に現実的で合理的、台湾問題などに関してもイデオロギーよりも現実を直視した意見を言うので貴重な存在である。
 夕食会後外に出ると、星が出ていた。会議中、相当風が強かったので、空気が浄化されたらしい。
オリンピック大会前にでも強風が吹けば、空気は浄化されることであろうが、大通りの車の流れに沿って宿まで歩きながら、冷え込んだ空気を吸っていると、とにかく鼻がむずむずし始めてきたので早めに宿に引き上げた。「病は気から?」というべきか・・・