軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

師走とはよく言ったもの!

 いよいよ師走、この時期になると何かと落ち着かなくなるから不思議である。
 退官後10年、肩書きがいつの間にか20を超えて、どうにも身が持たなくなったから、転居を機に徐々に整理を進めて5つくらいにすることにした。これだと何とか都心の会合にも出かけられる。

 恒例の年賀状も転居のため混乱があったが、来年の年賀状から軌道に戻ることだろう。今その整理をしているのだが、自衛隊関係の先輩、後輩との交流は500通を超え、全体で1000通を越えるから時間がいくらあっても足りない。いまやパソコンで簡単に印刷でき、住所録もPCで一気に打ち出せるとはいっても、せめて住所だけは相手を「確認」し思い出を共有しつつ手書きで書こうとこだわっているので、時たま腱鞘炎になる!
 現役時代の最後には1400通を超えていて、郵便局から「粗品」が届いたくらいだったが、退官後は一気に半減しようとしたものの、逆にどんどん増える始末。我が家の“主計官”からも予算削減を命じられ1000通に絞ったから、御無礼の段は御容赦を! また、時間が足りなくなった際には、やむを得ずPCによる住所印刷でお許しいただきたいと思っている。
 何故こんな「私的」なことを書いているかというと、昨年の賀状を整理していて、かなりの方が私のブログの愛読?者であることが分かったからである。
 その上もう一つ、防衛省昇格に対する面白い反応があった。大半が「素直に喜んでいる」のだが、かなり批判的?な添え書きが多いのである。例えば「省への格上げ、まずはお祝い、問題は中身。最終的には憲法改正まで行かないと本物ではない」「省昇格で浮かれがちな後輩連中に抜本改革を教えてやりたい」「とうとう省になりました。器に見合った中身になることが大事」「省昇格でどう変わるのか??」「省へなってからどう変わるのか、しっかり見ていたい」などなど、役人、制服共にかなり醒めた目で見ていたことは事実のようだ。
 それに反して一般の“熱心なファン?”は、「省昇格おめでとうございます」「やっと念願がかないましたね!」などと、率直な喜びを書いてくださっている。
 今朝の産経一面トップは「海自ミサイル迎撃実験成功」とあり、ハワイ沖でのSM3ミサイル発射実験に「こんごう」が成功したことを伝えつつも、すぐその下に「守屋前次官ら再逮捕」「363万円贈収賄、妻は釈放」とある。現場の隊員たちが国の防衛に真剣に取り組んでいるのに、事務方トップのこの醜態は士気を沮喪すること甚だしいものがある。来年届くであろう年賀状の添え書きが気がかりである。

 昨夕は、都心でのある会合に出席した。このままではこの国が危ない!と危機感を持った各界を代表するような方々の集まりだったが、同じ意思を持つ(であろう)若手の政治家も数人集まったものの、懇親が始まった頃には“消滅”していた。現役議員だから多忙なことは良く分かるが、大ベテランのある大物元議員が「皆さん、今の議員は各種会合に呼ばれて出ても、点呼が終わるとさっさと引き上げる。これからが各界の経験者の“本音の会話が始まる・・・”と言うのに聞く気がないのである」と嘆いたから、私は「それは学生時代に出席簿に記録さえ終われば、あとは教室を出て行く学生時代の生活の延長。まだ“代返”よりいいのでは?」とお慰めしたのだが、別の財界人も「この気風」を嘆いたから、この方には「それは先輩方の“教えざるの罪”ですよ」と申し上げた。
 国家起死回生の事業がどこまで進められるか、残された時間は少ない。

 たまたま、と言うべきか、いつもの様にというべきか、会合場所に向かう電車内では不思議なことに私の周りは「中国語をしゃべる少女達」で一杯だった。郊外電車内では、西東京には各種大学が乱立しているので中国語会話には慣れっこになってしまっているが、久しぶりに乗った半蔵門線で、私学高校の制服を着たかわいらしい少女達が中国語で会話していたのには正直驚いた。はじめは、中国語の会話練習中と思っていたのだが、ネイティブな中国語、勿論北京語か上海語台湾語かは私には区別がつかない。永田町で降りたが、エスカレーターの前のOLらしい女性も「中国語」で電話している。夜9時に会合が終わり、再び永田町のホームで電車を待ったが、携帯電話をかけている前の女性も「・・・マー・・・・マー」と繰り返すので、耳を澄ますと中国語、なんだかここは「上海の地下鉄か?」と錯覚するほど中国語一色。
 変な一日だったが、帰宅すると郵便物の中に「中国民族問題研究」誌が届いていた。それにはモンゴルからの留学生オルホノド・ダイチン氏の「我ら南モンゴル人の選択」という文が出ていて感動した。ところが、編集後記にダイチン君一家は、日本に「難民申請」中だそうで、中国公安の監視下に置かれているとあった。「中国公安の監視下」とは理解できなかったので、よく読むと、何と“日本国内”でのことなのである。「ダイチン一家が住む団地には不審車両が交代で長時間駐車し、運転席の男は新聞を読むような恰好で一家の動静を監視しています。近くに住む我々の仲間は警察とも連絡を取りながら”パトロール”していますが、一家の閉塞感と不安は高まっています」とあるではないか。驚いたことにこれは我日本国内での出来事なのである。日本国内で「中国公安」が自由に活動しているなんて・・・そうか!電車内で私の回りにいた女の子達も「公安」の回し者だったのでは?!と勘違いしそうになった。

 日中友好だけを唱えるお人よしな日本人にはこの現状が全く理解できないのではないか?
 金大中事件も、北朝鮮とそのシンパによる「拉致事件」も、「まさか、まさか」の間に実行され、被害者は塗炭の苦しみを未だに味わっている。この国の主権と治安維持はどうなっているのだろう? それに比べて国会論議のなんと「次元の低い」事か!地上波TVのバラエティーショーよりも質が落ちる・・・やがて身の回りの中国語会話が増えるのに反比例して日本語が減り、そして人口も入れ替わる・・・

 産経7面に「中国は『未熟な大国』」であると、PHP総合研究所「日本の対中総合戦略」研究会が福田首相に提言するそうだが、その中で日本の戦略は、日米中3国首脳会談の定例化、中国の資本や観光客の積極誘致、中国に対し、軍事予算や戦略の意図の明確化、同時に日本の防衛力向上の必要性を訴えたという。これ以上、中国からの留学生や観光客を誘致する必要性があるのかどうか?中国に軍事予算の透明化を白書形式などで要求することは無駄ではないにしても、「戦略意図の明確化」が求められるとでも思っているのだろうか?
 相手の意図は自ら探り、それに対してこちらも戦略を立てるのが国家戦略で、相手に『日本を攻めるのですか?』と聞いて『はい』と答える馬鹿はいまい。
 勿論「中国の軍事的衝動を押さえる」必要性はあるが、そのためには、こちらもそれ相応の軍事力を整備することである。軍縮・軍備管理と言う行動はそこから発する。一方的なミリタリーアンバランス下においては、軍縮交渉は成立しない。
 いまや、日本にとっては「直接侵略」よりも「間接侵略」がどんどん進行しているという認識を高める必要があるのだが、軍事音痴の我国民には、なかなか理解できそうにないことらしい。
 今から13年後の2020年の「中国の姿」を想定する前に、まず自分の国の姿を想定する方が優先事項ではないか?と私は思うのだが。

ゾルゲ・東京を狙え〈上〉

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イラク原子炉攻撃!

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