軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

胡錦濤主席に「公道杯」を献上したい!

 映画「靖国」については、コメント欄でも意見が相次いでいるが、今朝の産経新聞の「正論」欄に稲田議員が書いているからご一読いただきたい。

 日本の左翼陣営の方々もそうだが、一般に中国人と討論して感じることは、自分の非を“絶対に”認めないということである。北京五輪の「聖火リレー」で、世界各地で抗議行動がおき、妨害行為が続いているが、中国人の殆どが「経済大国化した中国を妬んでいるのだ!」という、あの解釈である。中華思想とはよく言ったもので、これでは物事は前に進まない。自分は間違っていない!と思うのはかってだが、周囲はそうは受け取ってはいない、ということに気がつかない、いわばそんな感性の持ち合わせがないのである。
 和辻哲郎は名著「風土」に、人間存在の風土的規定として4つを挙げ、「人間は単に一般的に『過去』を背負うのではなくして特殊な『風土的過去』を背負うのであり、一般的形式的な歴史性の構造は特殊的な実質によって充実せしめられることになる」と書いた。 そして「このような風土的負荷はわれわれ(日本人)の存在のうちに極めて豊富に見出される。晴れた日の晴れ晴れしい気持ち、梅雨の日の鬱陶しい気持ち、若葉の頃の生き生きとした気持ち・・・・われわれはただ過去を背負うのみならずまた風土をも背負うのである」
 そして和辻は「モンスーン」「砂漠」「牧場」の3類型に分け、「シナ」は「モンスーン的風土の特殊形態」として「かく考えるとシナの人間は砂漠的なるものと無縁ではない。彼らに著しく意思の緊張があり、従ってその忍従性の奥に戦闘的なるものを潜めていることは、モンスーン的性格と砂漠的性格との結合を物語るものであろう。
 ・・・砂漠的人間におけるがごとき絶対服従の態度はシナの人間には存しないのである。シナ人の「非服従的性格」と呼ばれるものがここに関連する。シナ人は血縁的もしくは地縁的団体の拘束以外には如何なる拘束をも肯んじない人間である」と喝破しているが、今の日本人の一部を見たら、和辻も『日本人も砂漠的人間が増えた』と慨嘆するのではなかろうか? 
 とまれ、北京五輪はその観点から見て、和辻の観察がいかに正鵠を得ているかを世界中に証明することになろう。

 ところでコメントの中に「老子」の言葉が紹介されていたから、思い出したことがある。2000年9月に中国各地を旅したとき、西安の寺院で面白いものを見つけた。このときは時間が無く購入できなかったのだが、帰国後ガイドしてくれた女子大生にお願いして購入し送ってもらったものである。
 実はその代金を立て替えてくれた彼女に送金するとき、取引しているのが米国銀行しかなく、取次ぎ手数料が代金の3倍にもなったので閉口したのだが、いい体験だと思って送金した。その際、かの国の銀行がいかにデタラメかを体験した。送ってくれた彼女から、3ヶ月経っても入金されていないという手紙が届いたのである。私は彼女に直ちに「だめもと」で封書に入れて送金した上で、銀行に確認した。日本の銀行担当者は、送金を確認したうえで『何を寝ぼけているのか?』といわんばかりに私を見た。ところが驚いたことに手紙で送金したほうが早く届き、銀行のほうは西安支店の担当者が、手続きしていなかった?のである!恐縮した彼女から返金の申し出があったが、いい体験になったのでそのまま受け取るように返答したのだが、「中国の銀行はとても日本の銀行のように信用できないのです」とお詫びの手紙にあった・・・
 ところで写真に掲げたのがその品「公道杯」である。

 一般的に「公道杯」といえば、中国独自のお茶器だと紹介されているが、この「公道杯」は、現地では唐時代の皇帝が欲張りな皇太子を諌めるために作らせたものだと聞いた。つまり、上の杯にお茶を注ぐのだが、欲張って7分目を超えると突然お茶が杯から下の容器に流出して杯からは消滅するのである。「腹八分」ならぬ「お茶七分」であり、「欲張ると全てを失う」という教えである。実験してみて旨く作用するので驚いたが、「公道杯」をインターネットで調べたら次のように出ていた。唐時代ではなく清朝か明朝らしいが、「お茶七分」を意味していることは確かな様である。(中国語のできる方はどうぞ!)

「工艺品、瓷器、玉器、酒杯、衡器

清代青花制品。杯中央立一老头或龙头,体内有一空心瓷管,管下通杯底的小孔;管的上口相当于老人胸前的障テ痣高度(或龙颔)。头体下与杯底连接处留有一孔,向杯内注水时,若水位低于瓷管上口,水不会漏出;当水位超过瓷管上口,水即通过杯底的漏水孔漏光。这种漏水杯民间称“公道杯”,系根据物理学上的虹吸原理制成。据说古时人们曾用公道杯对付贪酒者,斟酒如超过高度,则会全部漏光。

 公道杯盛酒最为公道,盛酒时只能浅平,不可过满,否则,杯中之酒便会全部漏掉,一滴不剩。
明代洪武间,官府在景恕y镇开设“御器厂”,亦名“御窑厂”,专门为皇宫制造御瓷。当时的景恕y镇隶属于江西浮梁县,临近的都昌、抚州、丰城、乐平、波阳等县的瓷工听到景恕y镇开办“御窑厂”的消息后,纷纷聚集到景恕y镇,其中以都昌、抚州的瓷工人数为最多。御瓷要求高,制造难度大,凡是选到“御窑厂”的瓷工都是一些制瓷手艺高超的能工巧匠,经他们之手造出的御瓷皆是精巧之至的佳品,“公道杯”便是其中一种。

运用虹吸原理制造而成的。为了进一步发掘陶瓷传统工艺技术,景恕y镇曙光瓷厂陶瓷艺人对“公道杯”实行了大胆的改进,原来的杯子龙头角度朝下,装饰单一,且盛水不足杯子容量的70%时所盛之水便全部漏光。经他们反复试验改进的“公道杯”龙角朝上,用青花、粉彩装饰得五彩缤纷,美观之至,且盛水容量也由原来的70%上升为90%。现在的“公道杯”驰名中外,可称得上是一种陶瓷高级艺术珍品。1982年,工人日报曾经发表过一篇题为“‘公道杯’轰动日本”的报道,指出此杯深受外商青睐。现在,凡是来瓷都观光的游客,见到这种珍品都是赞不绝口,皆为“公道杯”所倾倒。」

 チベットも、ウイグルも、モンゴルも、台湾までも、いや、東シナ海はおろか、沖縄列島までも、更には世界の資源は全て「自分のものだ!」と主張していると、「いつかは文無しになる」という警告として、実はこの「公道杯」を胡錦濤主席・中国政府に送りたい!と思っている・・・。それこそが「真の日中友好だ」と思っているのだが、福田首相にはお分かりいただけるかな〜