軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

入院日記 地獄篇(その4)

 深夜も看護婦さんたちの活動は鈍らない。懐中電灯を持って定期的に点滴や患者の状態を見に来る。そのたびに隣の老女が酸素と点滴を外している様で、宥めすかしつ“復旧作業”をして出て行く。私は点滴のせいか尿意を催し、薬品くさい尿を排出するのだが姿勢が制限されているせいか実に不快である。
 ウトウトしているとナースステーションのカーテンが開けられ、6時前から今日の活動が始まる。看護婦さんがてきぱきと検温、採血、排尿の回数、血圧・・・を調査して廻る。
 緊急処置室の鉄の扉の外側には病室が並んでいるようだが詳細は分からない。しかし、8時になると配膳関係者が動き回る様子でそれとなく入院患者が多いことが察せられる。
 特にやることがない私は、「軍神」を読み続ける。

 午後2時半に家内が見舞いに来た。なかなか気が利いていて、携帯ラジオとイヤホーン、携帯電動カミソリを購入、届いた手紙やFAX類、それに書斎から読みかけの「月刊文春」を持ってきてくれたので、早速携帯ラジオで「世間の情勢」を探る。
 確かTBSラジオだったと思うが、日本のアフリカ支援策に関して視聴者の意見を聞いていたが、貴重な予算を使った事業の優先順位は、「日本国内」が75%、「中国」が17%、「アフリカ」は8%という答えが出ていた。国民はしっかり物を見ているな〜、と痛感した。あれほどODAを注ぎ込み、無様なくらいにご機嫌を取って「尽くしても尽くしても」反日姿勢に変化がない中国に援助することに対して国民は圧倒的に否定的である。ODAをばら撒くことによって「いい思い」をしているのは、一部外交官と政治家達、中でも[ハニートラップ]に引っかかった方々だけではないのか?馬鹿馬鹿しくて話にもならない、そう国民は思っているのである。
「アフリカ」には関心はあってもやはり遠い存在、しかも米・露・中など軍事大国による資源争奪戦のいわば“草刈場”なのだから、そんなところへ「平和国家・日本」が嘴を入れる余裕なんぞあるはずはない。要は国連安保理入りに一票投じて欲しいだけなのであり、その姿勢が見え見えである。核兵器保有国でもない日本が常任理事国入り出来ると勘違いしているに過ぎない。そんな日本の「弱み」を、部族対立に血道を上げているアフリカ諸国のリーダー?達が理解するはずもなかろう。世界の常識を日本独自の「物差し(それも鯨尺で)」計る愚かさに気がついていないのである。
 今、アフリカ諸国が最も求めているのは「国家安全保障」である。紛争に明け暮れているところで農民は生産に従事できない。だから飢饉がおきるのであり難民が発生するのである。そんな紛争地帯にいくら金や食糧を投入してもドブに捨てるようなものだということに日本政府は気がついてはいない。最も自分の懐が痛むわけではないのだから、止める気も起きないのだろう。
 TBSはアフリカでも同様な「世論調査」をしてみるがよい。アフリカ人の大多数は「金や食糧よりも、安全を確保して欲しい!」と叫ぶに違いない。
 我が国の戦国時代の百姓の立場を考えてみれば分かることである。戦争が続いている場所で「耕作」は出来ないから、百姓は流民となって彷徨う事になる。彼らにとって一番ほしいもの、それこそ「平和」なのであって、紛争が続く限り作物を育てることは出来ないからである。そんな切実なアフリカ農民達の心情が日本政府に理解できないのは、食糧は外国から輸入し、安全は米国におんぶに抱っこだからである。つまり国家安全保障の基本に「ノー天気」なのであるから、そんな「経済大国」なんぞに、アフリカ諸国のリーダーが期待するはずはない。食糧や金銭の支援は「緊急時」だけに通用するものであって、普段が「戦闘状態下」にあるアフリカでは紛争を停止させ、「平和と安定」を確立さえることこそが優先するのである。それも出来ないような国に「常任理事国入り」を期待するはずはない、と私は思う。そんな国際情勢のイロハを今の政府では理解するのは無理だろうな〜、だから今回のアフリカ首脳会議も偽善っぽく思えるな〜などと考えた。

 文芸春秋(6月号)に目を通す。巻頭の随想「日本人へ・六十一」という塩野七生女史の「夢の内閣・ローマ篇(続)」は有意義だった。ローマ帝国史の第一人者だけあって説得力があるが、日本の大臣にはローマ時代の誰が適任か?という前回に続く彼女の説である。
財務大臣にはヴェスパシアヌス帝」「法務省国家公安委員会のトップにはティペリウス」「国土交通大臣にはトライアヌス」「文科相厚労相には誰がなってもかまわない。これまた神君にしちゃったから変えられない。カエサルの政策を継承するだけであるからだ」
 つまり「教育と医療に従事する者には国籍も肌の色も問わずローマ市民権を与えるとした法で、日本に写せば、教師と医師さえやれば誰でも直接税は免除、ということになる。どんなに優れた制度でも、良と質の確保なしには成り立たないからであった。少子化対策も、トップが誰になろうと変わらなかったであろう。こちらのほうも神君アウグストゥスが国法化した。『三人の子持ち法』が生きていたからである。能力が同等ならば三人の子を育てている人の方を登用するとした政策だが、子は欲しくても生まれない人はいる。それで、子はいなくても優秀な人は、この法の例外になることは認められていた。非現実的だとして廃案にしたのではなく、あくまでも『例外』で留めたところがスゴイ。未婚者は男女を問わず税制面で冷遇されていたことといい、二千年後の日本の少子化政策なんてチャンチャラおかしい、と思ってしまう。
 改革とは結局、腹を決めてルビコンを渡ることであり、しかもその後も。首相が変わったくらいでは引き返せないところまで一気に突っ走って始めて、ヤッタ、と言えることではないのだろうか(四月十三日記)」
 全く同感である。最近各所で「今の日本の男はだめになった」と聞くが、塩野女史のような卓見を吐く“男性”が居ないのは実にさびしい。ましてや『腹を括ってルビコンを渡る』男なんて、既にこの国では絶滅したのではないか?
 週刊誌の受け売り程度の理論武装?で、テレビのワイドショーを賑わす程度の、タレントモドキが、永田町に蔓延っているようでは、健全な庶民感覚が生かされるはずもない。

 隣の老女がまたまた叫び始めて現実に引き戻された。読書して「深刻に」悩んでいると、潰瘍が治らない! せめて入院中は、馬鹿馬鹿しい現実から“逃避”しよう!  (続く)

 入院前に提出した原稿が掲載された本を御紹介しておきたい。6月18日付で発売される『撃論ムック』「中国の日本解体シナリオ」だが、『既存の言論空間にとらわれない新しい言論雑誌』を目指すものである。私は『見えてきた、日本の内部崩壊』というテーマの中で「自衛隊は内にも外にも問題ばかり」として一文を書かせていただいた。
ご高評いただければ幸いである。

軍神―近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡 (中公新書)

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扶桑社新書 中国が隠し続けるチベットの真実 (扶桑社新書 30)

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扶桑社新書 日本陸軍に学ぶ「部下を本気にさせる」マネジメント (扶桑社新書 28)

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