軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

木を見て森を見ぬ防衛省改革

 昨日は、猛暑の中、大宮まで出かけて「防衛漫談」をしてきた。いつもの事ながら、新宿駅構内の雑踏には閉口したが、快速電車で30分でついた大宮駅周辺の発展振りには驚いた。人ごみにも驚いたが、若い学生(それも女学生)が目立つのは、活気があって何と無くほっとする。8日間の“老人ホーム?”での生活が余程こたえたのだろう。
 埼玉県警備協会主催の経営者研修会でお話したのだが、90分間の持ち時間だったが、熱心な100名を越える聴衆の熱気に押されて、ついつい“解説”が長くなり、10分オーバーして主催者に大変御迷惑をかけてしまった。
 退院後の最初の講演だったから私自身、体力回復の「検証」でもあったのだが、とにかく喉が乾いて、用意された水を飲みながらと言う、誠に無礼な態度で申し訳なかった。
 しかも冷房が効いた会場だったにもかかわらず、背中や腕に“冷や汗?”が出て、向う脛が痙攣したり、何時までも「青年将校気取り」では務まらない!ことを実感した。
 20リットルも補充された「人工血液?」を排除して“自家製血液”が全身にいきわたるまではもうしばらくかかるのだろう・・・


 ところで今朝の産経新聞トップの「防衛省改革記事」についてはどうにも腑に落ちない事がある。諸悪の根源?と言われた参事官制度が廃止されるのはいいことだとしても、見出しには大きく「政治主導にシフト」とある。いかにも今までは政治が主導権を放棄していたようでこれまたおかしい!(実態はそうだとしても)
「背広・制服の交流促進」として、いかにも参事官制度を悪用?した背広が実権を握って制服を押さえつけてきたかのような表現だが、勿論その弊害を否定はしないが、それも人次第、制服側も言うべきことをいわずに、陰では不平を言っても正面から言うことなく、自己保身に利用してきた、つまり、自ら「軍門」に下って、背広組みの跋扈を許してきたことも否定できないだろう。
 思い出すのは勇気ある栗栖統幕議長の「超法規発言」くらいであって、このときも「シビリアンコントロールを乱す」とか何とかへ理屈をつけて金丸長官が栗栖統幕議長の首を斬ったのだったが、この時誰も栗栖議長を支える制服はいなかった。唯々諾々として?「空席」になった統幕議長の座に着いた方がいたのではなかったか?
 金丸長官の「横暴」に抵抗して、議長席を「空席」にしたままにする“平和的なクーデター=意思表示”も可能だった筈だ。「物言えば唇寒し庁の風」とは、心ある制服組が当時嘆いた言葉でもあった。

 5面にもこの解説記事が出ているが、その脇に拓大の森本教授が「組織いじりだけでは不祥事の根絶無理」としていいことを言っている。
防衛省自衛隊に起きた近年の事件は、その背景に軍隊としての自衛隊に指揮系統の結節が多すぎ、かつ官僚化してしまっていることに問題の本質がある」というのである。
「米国は官僚機構の国防省と軍事組織の統合参謀本部が別の組織になっていて、部隊は大統領から直接下される命令で動く。官僚組織としての防衛政策局と実力組織である統合幕僚監部を大臣の下に統括するというのが有効に機能するのか、十分な検証が必要だ」
「防衛への国民の理解を深める努力がなければ本当に良い人材も集まらないし、プロフェッショナリズムの確立も無理だ。単に組織をいじるという発想だけでは不祥事の根絶は無理だろう」と語っているが同感である。
 更に言わせてもらうとすれば、軍隊とは何か?についての理解が欠如しているのである。軍隊とは、他国からの侵略を防ぐ“暴力装置”であり、国内政治を司る“官僚機構”では決してないという理解がないということである。
 不祥事を起こした一部官僚組織の“延長”ととらえて、小役人を統制するが如き「不祥事対策改革」的考えで組織を“いじって”も、武力集団には通用しないことを御存じないのである。
 5面解説記事のリードに「防衛省改革会議の報告書は、福田康夫首相のブレーンの五百旗頭真防大校長の試案を下敷きにしつつも、急進的な改革を唱える石破茂防衛相の主張を大幅に取り入れたものとなった」とあるが、防衛白書を見てみるが良い。
 上の図は、防衛白書(19年版)から取ったものだが、これに照らすと産経の記事は首を傾げたくなるような内容なのだが、読者も記者も気づいてはいないようだ。少なくとも「指揮統制系統」を重視する軍事組織として、私にどうにも理解できないのが「現職の防大校長」が、上司たる「現職大臣」を差し置いて、首相の「ブレーン」に“就任”している事実であり、これでは石破大臣もへそを曲げたくなるだろう。
 組織上は「自分の部下」である筈の「防大校長」が、「かってに?試案を首相に提出して」、上司たる「防衛大臣」が提出した「報告書」を検討するのである。最高指揮官たる福田首相の認識を疑いたくなる。五百旗頭校長も校長で、大臣を飛び越えたブレーンに就任するのだったら、校長の職を辞するべきであろう。
 全くけじめがついていないこんな上層部のごたごたを傍観している「武力組織構成員」たる自衛官たちが「抵抗感」を示すのは当然である。「双頭の鷲」じゃあるまいに・・・
 軍事組織においては結節を省くために指揮系統は一本化すべきだし、現実に「統幕一本化」を図っているにもかかわらず、組織上の逆転現象を容認している最高指揮官の考えが全く解せない。こんなところが「軍事音痴」「平和大国」日本の“おままごと=戦争ごっこ”だと私は感じるのだが・・・
 森本教授は「看板いじり」を批判したが、象徴的なのは同じ防衛白書の次の写真であろう。防衛省移行に伴い、時の大臣が揮毫した「看板」を正門に掲げる式典の写真だが、防衛省“首脳陣”の中には制服トップの統幕長が1人いるだけで、「参事官制度」が如何なるものか、を明確に示して余りある。

 まだまだ、改革は尾を引くことだろうが、繰り返して言わせてもらうならば、防衛省は単なる「官庁組織」ではない。自衛隊と言う「武力集団」を抱えた「闘争組織」であり、常に暴力が支配する国際関係を対象にした組織である、と言う事を忘れないで欲しいと思う。

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