軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

敵を取ってくれ!

 毎年8月になると、広島・長崎の原爆記念日が話題になる。式典は、広島の原爆記念碑に刻まれた文面「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」が基本になっているようだが、本当にそれでいいのだろうか?
 犠牲者数もいろいろあって、例えば当時の広島には35万人がいたと推定されているが、犠牲者数は30万人と新聞は書いている。それに対して「水増しだ!南京虐殺の30万を薄める日本政府の陰謀だ!」という反論もあって、なかなか決まらないようだが、各種研究では14万人±1万人が妥当か?といわれているようである。
 数字の確度はともかく、犠牲者を慰霊するのに「過ちは繰り返しませぬから」という“精神”が、犠牲者を本当に供養することになるのかどうか、極めて疑わしい。そう思っていると、今日の産経新聞27面に興味ある記事が出ていた。
 あの日、広島の陸軍司令部に向かっていて被爆した山本達雄氏(平成16年に88歳で没)の体験談である。
終戦後も軍務処理のため広島に留まった達雄は、遺体を焼き、川に流し続ける日々を送った。『死にたい』。治まることのない苦痛を訴える人の口を、静かにふさいだこともあった。『<兵隊さん、この敵は必ずとってくれ>といってくる人もいたそうです。父が<分かった>というと、その人たちは安心して死んでいったそうです』と達雄氏の次男、拓道氏(58)が述懐している。
 9月半ば、復員命令が出た後で達雄氏は、市内で書店を開いていた叔父の遺品探しをしている。全てが灰と化していた中、地下室でまだ燃え続ける小さな炎を見つけた達雄氏は、カイロにその残り火を移し、故郷の星野村まで持ち帰った。彼はその火を決して絶やさなかったが、昭和41年に新聞記者に溜まった思いをぶっつけたという。
<父にとって、叔父の供養の火であり、原爆でなくなった人々を弔う火であり、恒久平和を願う火であり、怨念の火でした>
「戦争を忌み嫌い、平和を望みながらも『敵を取ってくれ』と苦しみながら死んでいった人たちが忘れられなかった。『いつかこの火でアメリカを焼き払ってやる』。そうわめく時もあったという」「80歳を過ぎた達雄に向かって、知人が『火は村が維持してくれるから安心して死ねるだろう』と言ったとき、『俺はそんな薄情な男じゃない。敵を討つと広島でたくさんの人と約束したんだ』と怒鳴ったという」
 晩年は記事によると「人間同士が殺しあうような愚かなことは、もうそろそろやめないかん」と言って息を引き取ったそうだが、戦後60年も経ったのだから、被爆直後の感情が薄れていた事は理解できる。しかし、何と無くこう付け加えなければ“現代日本社会の雰囲気にマッチしない”から記事に「敢えて?」付け加えたような風にも受け取れる。

 何はともあれ、6歳の時に終戦を迎え『陛下の終戦の言葉』を、ラジオの前に正座して両親や近所の人たちと聞いた体験がある私としては、陛下の言葉の意味は不明だったが『戦争に負けたこと、大人たちが悔しがったこと』は覚えている。
 母は「これからが大変、賠償金を払い終えるまでは臥薪嘗胆・・・」と言った。戦には負けたが「これで平和になった」と喜んだという方々の戦後神話はいささか疑問に思っていた。当時の大人たちは「いつか見ておれ、必ず敵を取ってやる!」そんな悔しさで陛下のお言葉を聞いていたのだ、と私は幼心に受け止めている。
 原爆記念碑に「安らかに眠って下さい」と書くのは分かる。しかし、「二度と過ちは繰り返しませぬから」と書いた“日本人?”の神経が分からない。
 山本達雄氏に、「敵を取ってくれ!」と頼んで死んでいった方々のように、怨み骨髄に達して死んでいった方々の方が多かったに違いない、と私は思っている。
 戦後、「タマ抜き」された日本の男達は完全にその「敵討ちの精神」を失ってしまった。そして「二度と過ちは繰り返しません」などと、いかにも「平和主義者ぶって」、実は「偽善だらけで甘えん坊!女々しく」生きる“野郎達”が目に付くようになった。

 山本氏に「敵討ちを頼んで死んでいった」方々に、戦後生き残ったわれわれはどう言い訳をすべきか?少なくとも犠牲者の中には「二度と繰り返しませぬ」と云う意味不明な「聖者のような」碑の言葉を、心穏やかならざる気持ちで見つめている方の方が多いのではないか?当時の惨劇直後の地獄絵図から、私には犠牲者の無念、悔しさが想像できる。
 今、黄泉の世界で、当時「敵を取ってくれ」と頼まれた犠牲者達に囲まれた山本達雄氏は、彼らに対して戦後日本の現状をどう説明しているのだろうか?そして戦没者の多くが、それをどんな気持ちで聞いているのだろうか?
「戦争の惨劇後世に」というこの特集記事のタイトルは、その意味で全くミスマッチであると思う。むしろ「敵討ちはどうなったか?・・・原爆犠牲者の叫び」とする方が内容にマッチしていたのではないか?
 記事を書いた加田智之記者のオリジナル原稿と、見出しを決めたデスクの心境を聞いてみたい気がする。

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