軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

8月は熱くなる!

毎年、終戦記念日を迎える8月は、戦争ものの記事が氾濫して熱くなる。
歴史を振り返るのはいいことだが、戦没者に敬虔な祈りをささげて初めて供養の意義がある。その点では、大東亜戦争に関するだけでも、武道館で行われる戦没者慰霊祭は別にして、本来あるべき靖国神社での慰霊祭がないがしろにされてきたことは亡き英霊に対する冒涜であろう。
戦後の日本人自身が「慰霊したくない!」というのならともかく、あれほど多くの国民が参拝しているのに、その国民に“選出”されたはずの国会議員の代表たる総理が欠席するのだから、英霊は怒り心頭に発しているに違いない。
いい加減に反日国の言いなりになるのはやめたらどうだ!
最も反日国員で構成されている各種団体ならば、絶対にやめないだろうが…


今朝の産経一面に、昨年の8月15日にフジTVのプライムニュースでご一緒した板津大先輩が出ている。(今年1月に倒れられ、3月に死去された)

≪…結果として生き延びてしまった。水杯を交わし、必ず敵艦を轟沈して靖国神社の鳥居の下で待ち合わせてから入ろう、と約束したのに、なぜ自分だけが生き延びてしまったのか、と悔やむ日が続いた。生き延びたという負い目は死ぬまで消えません≫

スタジオでこれを聞いた私は衝撃を受けたのだったが、それは今まで漠然と、「英霊は靖国に祭られて、心安らかにこの国を見守っておられるだろう」と思い込んでいたことが間違っていたのだ!と思い知ったからである。
板津先輩は「仲間はまだ鳥居の下で待っている…。しかし自分は生き延びたから彼らと行動を共にできない…」とつぶやかれた。


神社境内には相当な怨霊がいまだに漂っていることを感じるという、霊感が強い友人の作家もいる。確かに、我々残された国民は靖国に祭られた英霊は“喜んでおられるだろう…”と勘違いしていたのだ。
恨んでおられる方がいても少しもおかしくはない…


広島でも長崎でも、被爆直後の現地で救助活動をした旧軍関係者が、多くの犠牲者が水を求めていて最後に言った言葉は「この仇を討ってくれ」だったと語ったことがある。
その広島の原爆記念碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれているが、この碑文の趣旨は、関係者によると「原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです」というが偽善も甚だしいと思う。
犠牲になった無辜のわが国民がどうして「人類全体の平和のいしずえ」にならねばならないのか?原爆を投下した民族に対して、犠牲者がどう思っているか」だれか確かめたのか?

≪原爆慰霊碑の碑文(広島)=インターネットから≫


暑い夏を迎えると、私はいつもこのことを考える。私自身が被爆直後の長崎市内を、両親と共に見て回った経験があるからでもある。
あの時、浦上天主堂の残骸の中に焼け焦げたマリアや賢人たちが横たわっていたのを見た母は、「同じ耶蘇教なのになんと残酷な…」とつぶやいたことが忘れられないのだ。


今年で戦後70年たったという。もうこの辺で如何にも人道的な?口当たりのいい偽善行為はやめにしようではないか!


既に新たな敵が出現して、虎視眈々と我が国の平和を破壊しようと狙っているのだ。感傷に耽っている暇はない。


7月23日の「曽野綾子氏の“透明な歳月の光”:一枚の古写真から」に、「毅然と【運命に耐える】姿の偉大」というコラムが出た。
私もこのTVを見て涙していたのだが、占領軍の海兵隊に同行していた写真班員・ジョー・オダネル氏が撮ったこの一枚の写真についての話である。全文を紹介しておこう。

≪小さなサムライ≫

≪この日曜日の夜、私は何気なくつけた衛星テレビの番組に釘づけになった。途中から見たので、正式の題名も、登場人物の名前も正確にわからないのだが、終戦直後、それもすべてが焼き尽くされたヒロシマナガサキの原爆の跡を撮影した、当時のアメリカの従軍カメラマンだった老人が、自分の記録写真に登場した人物を探して歩くドキュメンタリーである。
 アメリカ人といえども原爆の存在を一般人は知らなかったという。勝利の後に残されたものが、このような無残な破壊であり廃墟だったのか、と当時の若い従軍カメラマンは思う。
 記録の中でも、ひときわ、私たちの心を引きつけたのは、道端に立ちつくす11、12歳の少年の姿だった。いがぐり頭で唇をきつく結び、背中に着物を着た弟を黒い紐でおぶっているが、その子は眠りこけてのけぞっているように見える。
 やがてカメラマンは、少年の背負っている弟がすでに死んでいるのだということを知る。彼は川沿いの空き地にできていた臨時の焼き場で弟を焼いてもらうために、遺体を背負って運んできたのである。
 ということは兄弟を保護するはずの両親が既にいないか、重傷を負って、子供の面倒をみられなくなっているということだ。やがて順番が来ると、焼き場の係員は静かに弟の遺体を受け取って、丁寧に炉の端においた。その間、この少年はただ必死にこの苛酷な現実に耐えていた。
 はだしのまま直立不動に近い姿勢で道端に立つ姿は、幼いながら「軍人のようであった」とカメラマンは述懐する。彼はそこに人生に立ち向かう「勇気」を見たのだろう。
 彼は来日中も杖をついてこの少年を探すが、長崎の新聞でも見つけられなかった。もう80歳を超えているわけだから、死亡していても当然なのだが、思いを残して帰郷した彼は、アメリカの自分の住む町の教会の一室で、戦争の記録展を開く。見に来たすべての人が、この少年の姿の前で泣いた。アメリカは戦争に勝ったが、運命を甘受して生きた人生の勝者は、このはだしの少年であったかもしれないのだ。
 記録にはたくさんの元少年たちが、老境に入った姿で登場した。一人の老人は、カメラマンの記録の中の魚釣り少年が自分であることを、頬の傷跡から確認した。彼とカメラマンは、戦争の痕跡もない繁栄の大通りで会う。言葉も、通訳を通さないと通じないもどかしさを感じる。カメラマンは最後に「また機会があったらどこかでお会いしましょう」と言う。元魚釣り少年は、立ち去っていく相手の姿をその場に立ちつくして見送る。それは戦争中に私たちが習った直立不動の姿勢であった。老カメラマンが振り返ると、彼は深々と日本風のお辞儀をした。彼はその単純な民族的な動作の中に、人生全体への尊敬もむなしさも、悲しみも許しも、辛さも慈悲も、すべてをこめて見せていた。
 昔は至る所に毅然として運命に「耐える人々」がいた。≫


 帰郷した彼が、自分の住む町の教会の一室で写真展を開いた時、原爆を落とした側のアメリカ人たちが絶句する。そして幼子を抱いた若い母親が、この少年の姿の前でボロボロと大粒の涙を流して泣いた。
幼子が「ママどうしたの?」と聞くそのシーンを見て、私はかっての敵であったアメリカ人たちの人間性を垣間見た気がした。
この瞬間、この母親が流した涙は「アメリカは戦争に勝ったが、運命を甘受して生きた人生の勝者は、このはだしの少年であったかもしれないのだ」という曽野女史の言葉を裏付けていたのだ。
 もしもこの写真展が、モスクワか、北京か、ソウルで開かれていたらどうだろう。結果は読者の皆さんのご想像にお任せするが、このブログにトロントから時折乱入してくるKJの言動を見れば理解できよう。


そのシナでは、9月に大々的な「戦勝記念行事」を開き、日本軍の残虐さを誇示するそうだが、やがて墓穴を掘ることになろう。
既に韓国では大統領の実妹が姉大統領の反日行動に異論を唱えている。
「なぜ日本に謝れと言う」朴大統領の妹、槿令氏が苦言 靖国参拝批判は「内政干渉」「元慰安婦は韓国が面倒見るべき」と韓国側の態度を批判!(産経)」

≪日本から帰国したソウルの金浦空港で、記者団に持論を語る韓国の朴槿恵大統領の妹、槿令氏=30日(聯合=共同)≫


お天道様はお見通しなのだ。シナは政権争いが頂点に達しつつあり、人民の不満を外に向けようと必死のようだが、今やインターネット時代、ブーメランのように自分に返ってくるだろう。

今月末ごろ、シナの指導者たちが抱えていた慰安婦たちの実態を暴く本が出る。すべて実話と実資料に基づいたものだから、シナの幹部は反論できないだろうが、彼らに騙されて?活動している日本人の協力者たちにはぜひ読んでほしいと思っている。マ、協力者の大半は特亜諸国人なのだろうが…


今日は靖国で午後1時から済南・通州両事件殉難者慰霊祭が行われる予定である。「済南事件(昭和三年五月)は、南軍(蒋介石総司令)が引き起こした暴虐事件であり、「死亡者数;邦人居留民十四名・日本軍人二十六名」邦人被害人員約四百名)、盧溝橋事件直後に起きた通州事件同様、戦後の「十五年戦争史観」論争の枠外にされ、語られることもなくメディアは“意図的”に隠してきた。
代表世話人の小堀教授が祭文奏上することになっているが、私は既に近傍で特攻隊員の体験談を聞く予定だったので出席できない。

時代は少しずつ変わっていく。変わらないのは“偽善者たち”の思い上がりとそれにつけ込む一部の扇動者たちの反人間性だろう。
この夏には曽野女史が「昔は至る所に毅然として運命に≪耐える人々≫がいた」ということを思い返し、日本人らしさを取り戻そうじゃないか!


届いた本のPR
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≪ひと目でわかるGHQの日本人洗脳計画の真実・水間政憲著=PHP研究所¥1500+税≫

本日靖国での「済南・通州両事件殉難者慰霊祭」の提言者である水間氏の新著である。氏は貴重な史料を大量に保管していて、徐々に公開しているようだが、これらは「ひと目でわかるシリーズ]としてPHP研究所から刊行されている。
本書で9冊目、写真が豊富で非常に理解しやすいから、漫画世代の若者らにも好適、スマホだけじゃなく、この夏くらいは良書にもぜひ目を通してほしいと思う。



ゼロ戦神話の虚像と真実:ゼロ戦は本当に無敵だったのか=清水正彦×渡辺吉之共著=宝島社¥1500+税≫
ゼロ戦研究の革命児と元空自エースパイロットだからわかる」と副題にある。熱狂的なゼロ戦ファンには少々癪に障るところもあろうが、空戦の実態を知れば、案外納得がいくだろう。撃墜された方の記録は残らないからである。

中に海軍の操縦者養成の不備が指摘されているが、それは私も認めるところである。交換船で昭和17年夏に帰国した寺井中佐が海軍省人事担当になり、操縦者養成上の一大欠陥を知り、急きょ3000人養成案を立案したが、間に合わなかった。(「ある駐米海軍武官の回想=青林堂」)
この本の視点が優れている点は「見落とされてきたパイロットの視点」というところにある。
ゼロ戦は確かに優れた機体であったことは論を待たないが、戦後は技術者と設計に焦点が当てられ、コックピットから見た真実はややもすれば見落とされてきていた。
現在の最新鋭戦闘機にも当てはまる観点であり、人馬一体になって初めてその性能が発揮されるということを忘れてはなるまい。
やがて世に出るであろう[心神]にもそれが適用されていることを期待したい…・

ひと目でわかる「慰安婦問題」の真実

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ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍

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大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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戦闘機パイロットという人生

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ある駐米海軍武官の回想

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