軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

30代の若者には希望が持てる?

 柔道男子の内柴選手(30)が金メダルを取った。女子柔道でも19歳の中村選手が銅メダルを取ったが、その敢闘精神は絶賛に値する。勿論「ママでも金」を目指した谷選手(32)の敢闘も光っている。
 内柴選手は「攻撃的」な柔道で常に先制攻撃をしかけていたが、これが良かったと思う。インタビューでは「これが僕の仕事」「息子の前で親父の仕事をしっかりやった」と言い放ったが、産経はこれを「ストイックな武道家のイメージとはかけ離れている」と評した。しかし「自分を頼る家族の存在が、強い職業意識に形を変える」のは当然だと思うし、それが「男の世界」である。
 オリンピックなどを見ていると、日本人は「武道」にこだわりすぎると思う。日本古来の「柔道」は今や世界の競技になったが、日本以外の国で「武道精神」を強調し意識している国なんぞ有りはしない。第一、歴史的・文化的に見て不可能に近いと思う。日本以外の国にとっては、柔道もスポーツの一種に過ぎないのだから、勝てば官軍である。
 国際競技で良い成績を勝ち取ろうとするのだったら、日本も「道」にこだわらず、勝つことを目指すべきだろう。如何に「勝ち」にこだわってもそこは日本人、試合場(道場)での礼儀は忘れてはいないから、見る者にはわかっている。本家本元としてはそれで十分ではないか?

 中村選手の「喜怒哀楽」を表情に出さないところが又良い。「金を目指していたので、銅メダルは悔しい」と言ったのもすばらしい。52Kg級へ変わった時、谷選手との対戦を避けたのでは?といわれたが、そのとき「悔いはあるが、勝たなければ始まらない」と言った事にも好感が持てた。「若いのに分かっているナ・・・」と。
 五輪は「参加することに意義がある」といわれているが、そんな言い訳は「負け犬の遠吠え」に過ぎない。その意味では準決勝で微妙な判定に負けた谷選手に同情する。しかし今朝の産経抄子は「微妙な判定にも不服そうな態度を示すことなく」3位を獲得した谷選手を褒めているが同感である。判定に一瞬怪訝な顔をしたが、彼女は残り時間少ない中、戦いに立ち向かった。そんなところに私は「武道家」の姿を見る。3位に終わりはしたものの、ご主人が「私には金色に見える」と言った様に、試合内容は「金色」であった。ご主人もなかなかいいことを言う!若い者は素直で良い。

 16面に「好調イチロー4安打」と出ていて、イチロー選手が冷静に反応して打率を上げている裏話が出ていたが、彼は「追い込まれたらこの審判ではあかん」と判断、球審の癖を見抜き、すぐさま対応しているという。それが「サムライイチロー」の真骨頂であろう。審判も人間、癖もあれば間違いもする。おまけに国際試合になれば、色々な「誘惑」も絡んでくる。
 高校時代から剣道にのめりこみ、学業をほったらかしにして先輩達から小突き回され、くたくたになった高校・防大時代を髣髴としたが、現役時代の大きな大会で、審判の判断に疑問を持ったことが多かった。出身部隊の選手が出ると、判定が甘かったり、練習試合で負けて意地になった審判が、意図的に?有効打を無視したことさえあった。
 私が体験したそんなローカルの試合とは異なるのは分かっているが、試合には独特の雰囲気があり、試合場にあがる時の一種独特の精神状態は、選手も審判も共通している。
 どちらにせよ場数を踏まないと「平常心」は築き上げられないものである。操縦技術もそうで、やはり本人の努力と訓練回数がものを言う。飯の数が支配?する世界を体験した者としては、北京五輪を見て、こんな頼もしい若い世代が育っていることが嬉しくなった。
 そこで、国際試合は「スポーツ精神」で立ち向かうとして、国内では「武士道精神」を学ぶべき、武道教育をもっと普及すべきではないか?と思う。そうすれば秋葉原などの理解不可能な殺人事件や、不信感で凝り固まった“悲しい”親子関係の事件が新聞やTV賑わすことも少なくなるのではなかろうか。
 次は水泳の北島選手の「戦争」に期待したい!

武士道

武士道

武士道

武士道

これだけは伝えたい 武士道のこころ

これだけは伝えたい 武士道のこころ

「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫)

「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫)

いまも生きる「武士道」 ―武家の女性の精神を貫いた祖母の教え― (講談社+α新書)

いまも生きる「武士道」 ―武家の女性の精神を貫いた祖母の教え― (講談社+α新書)

とまれ彼らは皆30代、こんな選手達が活躍する試合を見て育つ、更に若い青少年には期待が持てそうな気がしてきた。