軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

書評=若者たちに期待したい!

 この連休は、紅葉狩り?で観光地は賑わっているという。
 そんな中、産経によると、自民総裁選も衆院選挙を照準に異例の17箇所を遊説する「過酷1万1100キロ遊説」がスタートしたらしい。朝鮮半島に“異常事態”が生じているにもかかわらず、何とものどかなものである。
 6面には「金総書記重病説」で日本周辺諸国が素早く動いたの対し、「関係閣僚が閣議後に総書記問題について短時間でも議論した形跡もない」というから、まさにこの国は世界が羨む「桃源郷」である!
「政府関係者は『そもそも統一した情報収集機関がないのに加え、独自ルートで情報が取れないから動くに動けない』と説明」、「自民党内には『福田首相が一日に辞任を表明した後、官邸機能は事実上休止状態になっている。自民党も総裁選一色で、眼下の北の脅威を忘れてしまっているのではないか』(閣僚経験者)という声もある」というから、まさに「奴隷の平和」「ダチョウの平和」そのままである。考えるだけで嫌になったから、この連休間は書斎に溜まった郵便物を整理して、各種出版物に目を通すことにした。


1、まず読み終えて感動したのが伊藤桂一氏の「若き世代に語る日中戦争」(文春新書)である。伊藤桂一氏は、多くの戦記物を出しておられ、実体験に基づく内容は読むものの心を打つが、この書からは「日本はダメな国ではないことを若者達に伝えたい」という氏の心意気が伝わってくる。
 今回聞き手となった野田明美さんは結びに「先生(伊藤氏)は、死者からの祈りの話をされたが、靖国神社に鎮まる英霊は、国の護りの神だ。生命には、受け応えがあり、生者と死者の、おもい合いということが、大事だと私も思う。先生は、戦中世代がこの世から消えつつあることを悲しまれるが、その人たちの魂に見守られて、先生は一層お元気に、幸せに、御活躍されるに違いない。私も、心からそうお祈りしている。本書が、これから戦争のことを考えたり、戦記や部隊史を読まれる方のための、手引書となるならば、嬉しく思う」と結んでいるが、伊藤氏は1917年生まれ、野田女史は1966(修正)年生まれである。野田女史の様な若い世代がどんどん出てきて欲しいものだし、伊藤氏にはますます元気に語り部として活躍して欲しいと思う。

2、「ざっくばらん」と云う毎月発刊されている10ページの冊子があるが、その内容は新刊本以上に濃く深いものがある。編集発行人の奈須田敬氏も、戦中戦後を冷静に見続けてきた「御大」だから、「寸鉄人を刺す」指摘には毎月唸らされる。
 8月号から「防衛省改革報告書」について論評しておられるが、その8月号に、昭和53年7月25日の栗栖統幕議長更迭時の裏話が出ている。いわゆる「超法規発言」で時の金丸長官に首にされたときのものだが、発言云々よりも「長官の信を失った」事が栗栖議長の辞表提出の理由であるという。
「ざっくばらん」には、そのときの首相が福田赳夫氏であり、7月28日午後4時、福田首相は交代する新旧議長を招き、栗栖前議長には「長い間、ご苦労だった。ユニホームを脱いだ後も、新しい立場で防衛について考えて欲しい」といたわりの言葉をかけ、高品新議長には「非常に難しい職だが、頑張って欲しい。私は制服自衛官とよく心を通じ合わせる必要があることを痛感した」と述べ、同席した金丸長官と丸山次官に、制服自衛官とよく話し合う場を作るよう指示した(毎日新聞7・29)と書かれているが、高級幹部会同を欠席し、自衛隊の最高指揮官としての自覚が欠如している息子・康夫氏を、そんな父・赳夫氏はどう見ていることだろうか?

3、「亜細亜地政学研究」という小冊子も読み応えがある。手元に21年1月号が届いたが、一面は「聖徳太子の復興について=水戸学の闇」と題する北村良和氏の論文である。
 毎月展開される高度な哲学的思考になかなかついていけないのだが、編集後記で編集人の福多久氏は「かって武弁たる山本俊一(空自OB)氏が言ったように、『士気の根源を確立する』為に、武弁が文に親しむことは、単に『望ましい』事に止まらず、寧ろ職務上『必須』の務めだ、と考えられるのである」と結んでいる。
 その福多氏が「アメリカ共和党の大統領候補者ジョン・マケイン氏は、自国がイラク戦争の遂行に困難を極めている最中、大統領候補者指名争いにおいて自身もまた苦戦を強いられていた頃、『戦争に負けるくらいなら、選挙に負けるほうが良い』と述べた」ことを評価し、「自民党総裁選の候補者は無論のこと、近く行われるであろう衆議院選挙の立候補者予定者の中で、『拉致被害者を取り戻せないならば、選挙に負けたほうが良い』と言い放つ候補者がいるとは寡聞にして聞かない」、「つまりは『日本の伝統文化』を支える『道徳観』という観点の欠落からは一歩も踏み出ていないのだ」と嘆いている。
 以前、松原正早大教授は「知的怠惰」を戒めた。そして今、福多氏は日本国中にはびこる「知的及び道徳的怠惰」を厳しく戒めている。

4、手元に届いた「国民同胞」と云う僅か8ページの小冊子は、伊勢市の「神宮会館」で8月21日から24日までの4日間行われた「全国学生青年合宿教室」の成果報告集であり、この夏の合宿では「講義」「班別研修」「古典輪読」「短歌創作とその相互批評」等、150名の参加者で真摯な研修が行われたことが報告されている。
 大分前になるが、私も「防衛問題」についてお話したことがあるので今でも冊子が送られてくるのだが、このような「若者教室」はかなり広範に広がりつつあり大いに喜ばしいと思っている。この国に蔓延している「知的・道徳的怠惰」は若者が率先して改革していく以外に期待出来まい、と私は思うからである。「走り書きの合宿感想文」には、
「私も国家の一助となるべく、まず私生活を正し、己を修め直そうと感じました(国学院大文1年生)」
吉田松陰の姿から、今やるべきことは、まず自分自身の身を治めることであると感じました。学業は勿論のこと、日々の生活態度から改めようと思いました(京都大工二年生)」
「国家の自立とは時の流れにより、もはや日本だけでは考えられなくなっているという現状、グローバル化が進む中で、埋もれつつある日本の大切な心や精神というものと、こういう時こそしっかり向き合わなくてはならないということを実感しました(中央大理工4年生)」
「初めての短歌創作を体験させていただきましたが、感動を素直に五七五七七のリズムに表現することの難しさとともにその楽しみの一端でも味わうことができた様に思います。こういった、自分には欠けている感性的な部分を刺激される体験をこの短い期間に多く持てたのは幸いです(東京大文1年)」
 このような地道な努力が実を結ぶことに期待したい。

5、「海をひらく・・・知られざる掃海部隊」桜林美佐著(並木書房:\1900+税)
 チャンネル桜の仲間である桜林女史が、上記の本を出版した。以前から私が所属する「史料調査会」の田尻会長に取材していて、朝鮮戦争時に旧海軍の軍人達が「特別掃海」部隊を編成して「極秘裏」に出撃し、大活躍した物語を書き上げたのである。
 当時は占領下であったため、その詳細は明らかにされてこなかったが、彼女はこれに目を向けて、ペルシャ湾に出動したわが同期・落合君の苦労話も収録、特に「あとがきにかえて」の中に書いている部分が考えさせられる。
 湾岸諸国で売っていたTシャツには、復興に貢献してくれた各国に感謝するとの意を込めた国旗がプリントされていたのだが、どこを探しても「日の丸」がない。隊員たちはショックを受けた。
 おっとり刀でペルシャ湾にはせ参じた落合が、各国の指揮官や幕僚たちとやり取りした時、「誰かが、かってイラン・イラク戦争の際、日本のタンカーを守るために米国やNATOの艦艇が護衛したことを非難すると、『なぜ、われわれの国の若者達が日本のために危険にさらされなければならないのか』という声が次々に上がり、落合が『日本も国民一人当たり1万円払って、国際貢献したんだ』と、反論すると、『そんなことでペルシャ湾に来なくても済むなら、今すぐ払ってやるよ』と言われてしまった」エピソードである。「日本国民の代わりに、彼らはいやというほど肩身の狭い思いをしなければならなかった」と彼女は書いたが、当時三沢基地司令であった私も、肩身が狭い思いを味わったものである。 更に彼女はこう書いている。
「これは単なる昔話ではない。今、現在も私達は、航路啓開からペルシャ湾といった、過去の掃海部隊の活躍の恩恵を受け続けているということを忘れてはならない。
 ところで、私はこの本を通して『機雷はキライ』などということを言わんとしたわけではない。思い出して欲しい。戦後、掃海部隊が必死に取り組んだ相手は、米軍によってばら撒かれた機雷と、そして『自国防衛のため』の機雷であったということを。現在『専守防衛』を謳うわが国にとって、敵の侵攻から国民を守る装備は不可欠だ。
 ところが、その当事者である国民の多くが、対人地雷もクラスター弾も、そんな物騒なものを日本は持つべきでないという風潮である。これは、つまり『人の命は地球より重い』と言っておきながら、有事には何の備えもせず、みすみす国民を見殺しにして良いと言っているようなもので、矛盾以外のなにものでもない」


 今、インド洋近海では、わが国のタンカーが海賊に襲われ、外国艦艇がそれを追及している。広大な海面ではなかなか海賊やテロリストグループを捕まえにくいのだが、多国籍海軍は懸命に努力している。しかし日本“海軍”は燃料の洋上補給をするだけだし、P−3Cの派遣も宙に浮いたままで何ら貢献してはいない。そして同盟国の米海軍はじめ、日本の姿勢を「見限り始めている」と云う情報もあり、落合が体験した屈辱が、再び繰り返されそうな状況だという。そんな時、クゥエートから空自部隊を引き上げる、と政府は公表した。何とも早、バッドタイミングではないか?


 “大人たち”の多くは、敗戦後遺症だか何だか知らないが、決然たる勇気を失っている様に見える。その昔、議員会館で私は「テロ特措法」制定を急げ、という集会に招かれ、集まっていた若手代議士たちを「己の無能を部下の血で贖うことなかれ!」と叱咤激励したが、控え室に戻った時ある有識者から「今の若手議員たちに“贖う”という言葉の意味が分かるかな〜?」と言われて愕然としたことがある。


 今や、彼らに代わって、20代30代の若者達が「知的怠惰と道徳的怠惰」払拭の動きに取り組み始めたように感じる。私の目の黒いうちには結果は確認できそうにないが、それでもかすかな希望が見えてきたのは嬉しいことである。



若き世代に語る日中戦争 (文春新書)

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中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか

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当時私は三沢基地司令であり、落合と同じような「肩身の狭い体験」をした。