軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

今日は12月8日・・・

今時の青年らに「12月8日」といってもわからないことだろう。
「えっ!日本はアメリカと戦争したの?」と聞く若者が多いとは、すでに古いギャグ?になってしまった。
昨夜のTVで、すべては情報戦だという意味の解説をしていた局があったが、戦争はもちろん、人間の活動のすべては、情報に左右されているといっても過言ではない。
それを悪用して、株でひと稼ぎした悪い奴もいるほどだ。


しかし、いかに情報が重要だとはいえ、それを生かす“センス”を持った者が指導者にならないと、情報は無駄どころか間違った方向に突き進みかねないから厄介である。

私は今、「大東亜戦争の真実を求めて」手当たり次第に各種の著書を乱読しているが、現在目を通している「シナ大陸の真相(1931〜1938)=K・カール・カワカミ著」は実に示唆に富んでいる。ラルフ・タウンゼントや、ジェームズ・R・リリーらの著書も素晴らしいが、問題はこのような大陸情報満載の書籍が、当時のわが国でどのように評価されていたのか?という点である。
「シナ大陸の真相」に至っては「昭和12年の暮れから13年の春にかけて、わが日本はその8年後の昭和20年8月に襲いかかることになる悲劇的な運命の最初の刻印を深くその身に打ちこまれることになるのだが、カワカミの観察はちょうどその転換期の時点に至ったところで筆を擱いている」と小堀教授が書いているように、この書は古森義久氏が『嵐に書く――日米の半世紀を生きたジャーナリストの記録(毎日新聞社・昭和62年)』という河上清評伝を入手した小堀教授が、福井雄三氏に翻訳を頼んで、平成13年に刊行されたものであって、全く戦中の情報としては生かされていなかったものである。
この書は当時ロンドンのジョン・マレイ社から出版されていたのだが、当時の在英日本人の目には留まらなかったのであろう。言うまでもなく英国は、007に代表されるような情報王国である。現在でもかなりの高度な各種情報は英国が握っているとみて差し支えない。
本書にある「コミンテルンの暗躍ぶりと、スターリン毛沢東、そして蒋介石とのつながりを知っていれば、西安事件の影響は十分に理解でき、盧溝橋事件に引き込まれなくて済んだはずだ」というのが私の感想である。


もっとも、昭和初期のわが国の政党政治は腐敗しきっていたし、張作霖爆殺事件時に中野正剛田中義一首相との激論に見られるように、若き天皇陛下に対する「輔弼の大道を踏み外し、完全に信頼を裏切ったお粗末極まる『オラガ大将』、その田中を金力に目がくらみ、自分たちのシャッポに頂いた政友会、彼らは第1次世界大戦で火事場泥棒のように、アブク銭の汚水を満身に浴び、堕落の深淵に沈んでしまった(鳥居健之助氏評)」にもかかわらず、「輔弼の任を尽くすに何ら欠くるところなく、皇室に対する至誠尽忠の念は何人にも劣らず」と田中首相は言明した。
しかし陛下に詰問されると進退窮まって総辞職し、その3か月後に狭心症で急死している。
こうして長州藩出の陸軍のエリートは去ったが、こうなるとこんな指導者を生んだ「明治維新」の実態(弊害?)も研究する必要が出てきそうである。

何はともあれ、昭和初期におけるお若き昭和天皇を輔弼する体制にはいささか問題があったといわねばなるまい。


こうして昭和15年を迎えるが、昭和初期とは変わって、陸海軍とも「近代装備」は充実し、特に海軍は巨大戦艦群を浮かべるほどになった。
しかし、実力では米軍に対抗しえないことも熟知していたはずであった。
ところが、「建前と本音」の区別がつかなくなり、陸軍は大陸からの撤退をメンツにかけても阻止しようとし、海軍も「死中に活を求めようとする派(軍令部)」と、「避戦派(海軍省)」とが対立する。勿論陸海軍ともに、良識ある避戦論者も多かったのだが、国民から「戦わずして何の海軍だ!」と言われるのが怖いばかりに、強硬派が目立ち始める。避戦派もそんな強硬派を説得する自信がなかったのである。

こうして実に愚かにも、まんまとルーズベルトの術中に陥って、ハワイ真珠湾攻撃で日米開戦の火ぶたは切られたのだが、情報を確実に握っていたルーズベルトは、日本海軍の攻撃を見事に演出して、非戦論が強い米国市民に反日感情をたきつけ、盛り上げることに成功した。この時点で勝負はついたも同然だったが、わがメディアは“奇襲攻撃”に大成功した!と日本国民を煽り続けた。
これで軍人の気分が高揚しないはずはない。


この時点で、わが海軍は、攻撃の成果を慎重に分析するとともに、教訓を学んでおくべきだったろう。しかし、「ルーズベルトの詐欺にかかった」ことを忘れて有頂天になり、ついにミッドウェー海戦で実力をさらしてしまった。
終戦までの4年近く、戦が継続できたのは、陸海軍ともにまじめで忠義心に厚い、多くの将兵たちの支えがあったからであり、皇室を信奉する臣民が協力したからだったとは言えまいか?


たまたま「歴史通=1月号」に戦後70年目の真実特集として、「奇襲は天下の愚策だった」とする米国軍事アナリスト・アラン・D・ジム氏の分析が掲載された。これによって「五十六神話は完全崩壊」したとされるが、「攻撃の全体的印象」はじめ各項目には納得させられる点が多い。
昨年、20世紀FOX社の求めに応じて映画「トラトラトラ」を解説したが、この時も攻撃隊指揮官・淵田中佐が、編隊に通知するため撃った2発の信号弾が、奇襲不成功を意味するものだったため、各部隊間に齟齬が生じて失わずに済むべき雷撃機部隊に犠牲が生じたのであったが、責任は追及されなかった。

≪歴史通1月号≫


ジム氏は攻撃隊員の心理的作用も見抜いていて、目標の「優先方法自体が日本人の信条に反していた」とまで書いている。レイテ海戦でも、栗田艦隊突入時の目標にしても、輸送船よりも軍艦、それも大鑑を!という「武士道精神に満ちた日本の戦士」の心理を見抜いているところが素晴らしい。
うまく日本人の心理を読まれたものである。これも普段からの情報によるところが大きい。


こうして74年前の今日、始まった日米戦争を顧みると、未だに我が国は情報戦に弱いどころか、後手後手に回っているような気がしてならない。

わが高校の大先輩で、潜水艦部隊指揮官だった鳥巣建之助元中佐は「戦後四十数年、あの不幸な開戦、そして惨憺たる敗戦につき研究してきたが、もし日本の陸海軍首脳部の人々が、戦史、戦訓を真剣かつ謙虚に研究していたならば、戦争ヘの突入など到底考えなかったのではあるまいか。
現在、百三歳の元海軍中将新見政一氏は、開戦時、南支艦隊司令長官であったが、中佐時代イギリス駐在武官として第一次大戦を研究した経験から、何であのような戦争をはじめたかを疑問視しつづけていた。そして日本の陸海軍が相手を知らず、己を知らず、また己を過大評価し、敵を過小評価したことが主因ではないかと見ている。要するに日本の政治家、軍人、マスコミも謙虚さが足らず、自分たちの足をしっかりと地につけていなかったのではあるまいか」と反省している。(「日本海軍・失敗の研究」平成元年十一月三十日 鳥巣建之助)

不正規戦という新しい戦闘方式は、これからの軍事関係者に非常に大きな問題点を投げかけるだろう。同時に、それに備えるためにも、現状の軍事の研究と軍備の充実は図らねばならないことは言うまでもない。

人道問題や宗教問題など、複雑に絡み合っていて単純に事は進められなくなりつつあるが、要は確度の高い情報を入手し、それを的確に分析し、現状に適合させるという地道な努力が今ほど政治家と軍人に要求されているときはないと思われる。

昭和初期の政治の乱れが、21世紀のわが国に再現しないことを祈るばかりである… 

日本海軍失敗の研究 (文春文庫)

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暗黒大陸 中国の真実

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