軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

樺太紀行2003(その4)

1430大泊へ出発
 1520途中トイレ休憩、持ち込んだビール瓶をごみ箱にすてる。
  *2年前に亜庭湾で見た座礁船はそのまま放置されていた。
  *三の沢、二の沢、一の沢を通過して大泊市内へ。
 1525ロシア陸軍兵舎を通過。2年前に上った丘から港を眺める
  *前回は、丘の上に移動警戒式の対空レーダーが置かれていて女性兵士から「写真撮影禁止!」と注意されたのだが、今回は全く何も置かれておらず、空き地になって   いた。
  *港内には、以前より程度が良い海軍の小型艦艇が7隻停泊していた。

 1535旧拓殖銀行と、専売公社跡を見学。その前にある店で数人が買い物。太田氏の感想では「1995年当時より、品物が豊富」だという。
  *マイクロバスに乗った日本人観光客?と出会い、太田氏が会話、後にこの一行は神奈川大学教授一行だと判明。
  *かっての郵便局もホテルもすべて取り壊されて公園になっていた。
  *西通りの旧消防署跡を見学。太田氏の縁の地。

 1550亜庭神社跡を訪ねる。神楽が丘?
 1620大泊市役所前広場。日本人を追い出した「侵略」の跡!
  *公園には、日曜日とあって人々が散策していた。
  *大泊川を渡る。
 1625王子製紙工場跡。
 1630旧通信所があった丘(太田氏の生誕の地)から港を眺める。
  *旧旭川21連隊跡、中学校跡を通過して「大泊町民慰霊塔」に向かう。
  *中学校跡の「奉安殿」は、鶏小屋に変身していた。
  *空き地にうらぶれた「小屋(物置)」が並んでいたが「ガレージ」だとのこと。ガイドさんが「車を保管しているのだが、今は小屋ごと持って行かれる」という。

 1700大泊町民慰霊の碑に到着。参拝
  *近くに黒御影石で出来た「山口家之墓(昭和13年4月28日、山口キクエ建立)」が建っていた。
  *この一帯は日本人墓地だったそうで、ロシア人も墓地にしていた。
  *ソ連時代、日本人墓地をつぶしてアパートを3棟建てたが、3か月間誰も入居しなかったという。幽霊話は?と聞いたが、入居者がはじめはなかったというほか、確認は取れなかった。
 1705丘の上に立派な海軍の学校が見えたが、ペレストロイカ以降建設中断、20年間以上廃墟だという。わが国の厚生省管轄の「保養施設」とダブって見えた。

 1715豊原への帰路につく。
  *太田氏、上機嫌で「校歌」を熱唱。当時樺太には中学が7校あったという。
  *I氏が「水師営の歌」を熱唱。全歌詞をほとんど全部記憶していて驚いた。
  *日露戦争時の歌を皆で大合唱!
 1747ホテルに到着

 1800夕食・アメリカ西部(ウエスタン)的装飾の奇妙なレストラン
 1915ホテル周辺の店で、ガイドさん引率による買い物。
  *お菓子屋さんに連れて行ってもらったが、品物豊富。チョコレート、クッキーなどを購入。“おばさん”が大きな「球」がついた珍しい「ロシア式算盤」で計算する。
  *しかし料金は「カッサ」で支払うソ連方式なので手間が掛かった。
  *ガイドさんのアパートは、ホテルから徒歩で20分ほどだという。
 1935ホテルに戻る。
 1945ガイドさんが「アンケート用紙」を届けに戻って来た。
  * アンケートは10項目からなる各100点評価で、旅行会社?の今後の参考にするらしい。ガイドさんの個人評価になるらしく、彼女は気にしていたが、すばらしく親切で気が利くガイドだったから、皆の評価は高かったに違いない。
  * 私は、ホテルの施設やサービスについて30点ほど減点し、彼女には120点つけた。
 
 2120Aさんが呼び出しに来た。太田氏の部屋で、樺太昆布の詰め替え作業。Yさんが我々に御土産とし届けてくれたもの。長くて幅が広い見事な昆布。
 2300就寝

10月13日(月)曇り時々雨
 0835ホテル発
  * 空港に向かう途中、私が生まれた「高田病院」を回る。軍の総合病院になっていたが、しばし父の日記にあった写真の病院を見つける事が出来て感動した。
  * 残ったルーブルを消化したいという希望者のため、「キオスク」で10分間停車。
 0915空港着
 0935通関終了、意外にスムーズ
  * 売店でサハリンの詳細な地図を1300円で購入。以前は考えられなかったこと!
  * ガイドさんとお別れ。本当に御世話になった!
  * 待合室を、40歳代の国境警備隊の婦人将校?が、若い女性兵士1名、ガードウーマン?2名を従えて通過。威張っているのは昔どおりか。
 1010搭乗開始。
  * ボロバスに乗せられて航空機に向かう。案内する女性職員の何と無表情なことか!
  * スチュワーデスは意外に笑顔だった!
 1030発HZ−141便
  * SAT141 44人乗り。座席5Bとあったが自由だという。
  * 機体番号はRA−47317
 1100〜1130機内食。結構サービス向上に気を使っている!
  * 電子機器を搭載していない?のか、全く注意なし。
  * 太田氏から、神奈川大学国語学部教授・O氏を紹介される。大泊で出会った一行のリーダーでソ連領となった旧日本の「神社のその後」を研究しているという。

 1235機内のトイレ使用。一応清潔。外ではスチュワーデスが「メール」を打っていたが、或いは「ゲーム機」だったかもしれない。
  * オーバーキャストだから、N氏がスチュワーデスに聞いたら「高度18000フィート、速度450ノット」との回答。
 1242着陸。下手くそ!バウンド!

 1300(日本時間1100)解散。
  * 樺太引き上げ者の上陸記念碑を参拝、朝市で昼食のラーメンを食べる。美味!
  * バスで函館空港へ。
 1440空港着
 1505発JAL−546便。関東地方は大雨通過直後で乱気流とのこと。
 1630羽田着。意外に好天。無事について解散する。         (資料おわり)

無事”に函館空港に着陸したロシア機


函館市内にある、樺太引揚者上陸記念碑