軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

国乱れればつけ込まれ

 今朝の産経7面「土日曜日に書く」欄に、湯浅記者が表記の文を書いている。英国の東インド会社が、「狙いをつけた国の内紛につけ込んで介入し、最小の犠牲で最大の効果を呼び込んだ」例を挙げ、「古今東西、利害の対立につけ込むことは権力政治の常道である」と書いた。
 それに比べてわが国の現状は、日本政界の内紛をじっと見つめてほくそ笑んでいる周辺諸国から、「北方4島」はじめ「竹島」や「尖閣諸島東シナ海」等で、傍若無人に振る舞われているのに、それでも「日本の政治家は専ら政争にかまけ、国家の信義と国民の安全には無関心としか思えない」と嘆いている。

 内紛が続く自民党は、いまや世界中から小ばかにされているが、日本のマスコミはただただそれを煽るばかり、低俗な「ワイドショー」も顔負けである。


 私は政治は素人だがこうも毎日下手な芝居を見せつけられていると、にわか政治評論家の気分になる。
 昨日の産経トップ記事は「自民両院総会見送り」で、反麻生勢力が3分の1の133人の署名を出したが、蓋を開けたら128人に満たないとかで、中川秀直氏、武部勤氏、加藤紘一氏などが、テレビで引っ張りだこの有様。
 これを見ていると、彼らの主張は、次期衆院選での当落がかかった、自分の「リストラ防止」だけのように見えてくる。このお三方も実は次回選挙が危ういのではないか?
 議員諸侯の出自はいちいち知らないが、何と無く「小泉チルドレン」ブームで膨らんだ方々が騒いでいるように見えてくる。たぶん、郵政民営化やこの国の将来などよりも、劇場型政治芝居に踊らされて、その昔社会党が「マドンナブーム」で大勝したように、今回も「小泉ブーム」で棚ボタ式に議席をもらっただけの、空虚な方々の「リストラ防止」活動に見えるから不思議である。

 その昔、われわれが学生時代に体験した「労働組合」や「全共闘」などの、なんでも反対、権力打倒騒動に見えるのである。しかし、マドンナブームがあだ花であったように、小泉劇場も一時的な「バブル」であり、国民に冷静さが戻った今、ましてやその正体が見えた今、膨れ上がった議席数が減る、つまりバブルがはじけるのは、経済に限らず政治でも同じことだろう。しかし最も恐ろしいのは、籠の中で騒いでいるのではなく、世界中が見ている中での「田舎芝居」であるという自覚が与野党ともにないことである。
 こんな無責任な政治家を選ばねばならない国民はなんと不幸せなのだろう?と思ってしまう。そのうち、各新聞社の「政治部」は「芸人部」と改名するのかもしれない。


 湯浅記者は、「韓非子の説に従えば、『相手の弱みをみつけよ』『利害の対立につけ込む』などと、いまだ権力の極意は生きている」が「韓非子はまた、『亡国の兆し四十七項』を設けているから、日本の政治家には是非熟読してもらいたい」と締めくくったが、無理無理!絶対に無理! 彼らが『韓非子』を読むとは“絶対に”思えない。読書は「漫画」、本より「ケータイ」を手放さない方々だからである。


 冗談はさておき、北海道の大雪山系で高齢者の10人が遭難死した。産経は25面で「夏山に潜むワナ」と報じたが、ワナは人間の心に潜んでいるのであり「夏山に潜んでいる」のではないことを忘れてはなるまい。

 ひと言で言うと「自然界を舐めている」ということに尽きる。山歩きは慣れているという油断。高齢者なのに自分の体力を過信していることなど、ワナはそこらじゅうにある。「ワナ」ではなく、それに気がつかなくなっている今の日本人が、危機管理に疎くなっていて殆どが「状況判断力欠如」状態であり、「引き返す勇気」を持たなくなったことが原因の一つだと思う。

 われわれパイロットは、大空の天象気象に大きく左右されてきた。飛び立つ前の気象情報分析は絶対に欠かせないもので、自然界は畏れ多き存在であった。

 その昔、私がまだ初級課程の操縦学生だった時、静浜基地の朝の気象ブリーフィングで、気象隊長が低気圧が西から近づいていることを説明した後、「南岸に近づけば雨、離れて通れば晴」と言ったので、教官が「低気圧は近づくのか、近づかないのか?」と質問した。すると気象隊長は少しもあわてず『それは分かりません』と答えたことがあった。
「近づくか、近づかないかを判断するのが気象隊長の役目だろう!」と質問した教官はいきり立ったが、飛行隊長が『そりゃ無理だよ。飛ぶわれわれ自身が最後に判断しなきゃ〜』といって笑った。
 つまり、気象隊長にはそれ以上の責任は負わせられないのであり、「万一の事態に遭遇して、命を失うのはパイロット自身なのだから、自分で責任を持って判断せよ」という教えなのである。飛行隊長はノモンハンでの勇士であった。


 事態が予想外の進展を見せると、その判断は組織の最上級者に任される。地下の指揮所で演習中に、在空機が緊急事態になるなど突発事態が起きてただちに処理しなければならなくなるときがある。そのために『司令官・幕僚長』がいるのだが、そんな時司令官が「僕はパイロットじゃないからわからない。どうなっているの?」などと部下に聞こうものなら、権威失墜、いっぺんに信頼は失われる。

 演習が計画通りに進んでいる時は『バカ』でも座っておれるが、事態が急変して「撤退(キャンセル)」しなければならなくなったとき、部下は一斉に司令官席を見つめるのである。『中止命令』を出すのは、“行け行けどんどん”的な気風が強い軍事組織では、余程勇気がないと決断できないものである。むしろ『撤退』『中止』命令ほど、下級指揮官に任せず、上が下す必要がある。隊長が「悪天候だから今日の訓練はやめよう」といえば、部下は内心「ほっ」とするのだが、表面上は「このくらいの悪天候は平気だ」といいたがるものである。
 だから隊長が『弱虫だ』と部下から思われないように、その上司が「判断して」やり、上が『弱虫なのだ』と思わせることが望ましい。


 統帥綱領には「将帥の真価は実に難局に際して発揮せらる」とある。
危急存亡の秋に際会するや、部下は仰いでその将帥に注目す。将帥はあらゆる失望悲運を制し、内に堅く信じて冷静明察を失わず、沈着剛毅、楽観を装いて部下の嘱望をつなぎ、その志気を作興して、最後の勝利を獲得することを努めざるべからず』

 今回の大雪山の事故は、多分に「指揮系統不明瞭」であり、その上「指揮者が勇気ある中止の決断」ができなかったこと、つまりそれは、このような極端な悪天候下での行動を「寄せ集めの部下達」の能力把握はもとより、強行させることができるかどうか?についての判断を誤ったことであり、その裏には「観光会社の営業指針」が作用していたであろうことは想像できる。
『事に臨んではわが身を顧みず』強行するのは当然だが、たった一つの命、特に部下の命を預かっている指揮官には併せて『引き返す勇気』も必要である、という事例である。

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

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証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも

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参議院なんかいらない (幻冬舎新書)

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