21日、史料調査会で『普天間問題の本質を探る』と題して、当時の資料を紹介しつつ、如何に当時の報道がでたらめだったかと語ったところ、「データが全く違うので質問しようがない」という声が聞かれた。尤もであろう。
当時、『契約切れで国が不法占拠』『地主、明け渡し申請へ』(沖縄タイムズ)等と報じられ、一連の基地反対闘争に火をつけた読谷の『楚辺通信所』の実態を見ても、約15万坪のうち、60坪を所有する知花氏一人が反対していたのだから。
地主総数は443人、すでに契約書にはんこを押したのは442人、つまり、知花さん一人だけが反対していたのである。普天間もそうで、地主約2300人中704人が反対と報じられていたが、その所有面積は136万坪中600坪、99・5%は契約済みだったのだから、704名は意志強固な『反戦一坪地主』だった。こんな民主主義のルールを無視したわがままな『行動』ひとつ、統制できなかったのが当時の政府だったのである。
とにかく、沖縄をめぐる各種報道には眉唾物が多い。ノーベル賞作家でさえ、ウソの資料を引用してのうのうとしている・・・。帝国軍人を貶めることに生きがいを覚えているのだろう。
ところで、先日後輩から、目頭が熱くなるエピソード記事のコピーが届いた。少し長くなるが今日はこれをご紹介しておきたいと思う。
フリーパーソナリティ、ルポライターの富永麻子さんが、沖縄の海自第5航空群で話されたものが、朝雲新聞に『塹壕で母は生まれた』という題で掲載されたものである。
≪私の祖母の話です。
太平洋戦争末期の沖縄戦の最中、祖母は那覇市首里の儀保に住んでいました。夫が兵隊に行った後、彼女は懐妊していることを知りました。しかし、その頃(アメリカ軍の攻撃で)首里方面が危険だといわれ、逃げねばならなくなり、彼女は首里から南部へ逃げることとなりました。
日に日にお腹が大きくなり、初産であったので不安だったそうです。首里から南部の糸満市磨文仁まで逃げたのですが、たどり着いた防空壕の中はもういっぱいで、中に入れてもらえませんでした。懇願しても、妊婦が防空壕内で産気づき、大声でも出されたら困るということでした。そのとき祖母は「もうだめかもしれない」と思ったそうです。
野外をさまよっているとやがて陣痛が来ました。産気づいた祖母はその場にしゃがみこみ、「父ちゃん、ごめんね・・・」とつぶやいたそうです。戦地にいる祖父はまだ妻のお腹の中の赤ちゃんの存在も知りません。
地面にうずくまったまま、本当に自分はお腹の赤ちゃんと一緒に死んでしまうのだと思った時、ある一人の日本兵が塹壕を開けてくれ、「ここに入りなさい」と言ってくれたそうです。
そこは兵士が隠れる塹壕で、とても狭く横たわるスペースなどはなく、立ったまま入るような状況でした。彼女は戦争の中でも子供を生む覚悟をしていたので、自分でハサミや消毒液を持っていました。そこで塹壕の中で立ったまま私の母を出産し、自分でハサミを使ってヘソの緒を切ったそうです。
しかし、そこは戦場です。兵士がこもる塹壕に赤子を抱いた女がずっといられるわけはありません。周りを見れば拳銃や弾薬もおかれたままで、「早くここを出なければ・・・」と思ったそうです。そこで急いで自分が着ていたオーバーで赤ん坊をくるみ、外に出ました。
そこで驚いたのは、そこには武器を構えた日本兵がいて、彼女の周りを警戒していました。その日本兵の方が祖母のいる塹壕を守ってくれていたのです。その兵士は赤ん坊を見て、「無事に生めてよかった」と言ってくれたそうです。
続いて兵士は言いました。「こんな戦争の状況下で、もう一生出会うことはないだろう。だから、せめてこの子の名前を呼んでからお別れしたい。この子に名前をつけてもらえないだろうか」
それで彼女は「この戦争が早く終わってほしいから、日本が勝って戦争が終わるように『勝子』と名づけます」と答えました。
すると兵士は首を振り、「この戦争は確実に負ける。『勝子』ではいけない。この戦争からこの子が生き延びて平和な世の中で暮していけるように、平和の二文字から和を取って『和子』と名づけなさい」といってくれたそうです。それを聞いて、彼女は泣きながら「ありがとうございます。おっしゃるとおり『和子』と名付けます」と答えました。
日本兵は生まれたばかりの赤ん坊の頭をなでながら、「和子ちゃん、生きなさい!」と力強く言ってくれたそうです。
それが母の誕生日、6月3日のことでした。日本軍司令官が自決し沖縄戦が終わるのは、それからわずか20日後のことでした。
その後、彼女は米軍の捕虜となり結果として赤ん坊とともに生き延びることができたのです。おそらく祖母を塹壕に入れてくれた日本兵がいなければ母は生まれず、私も産まれてくることはありませんでした。
沖縄では、住民が日本兵に苦しい目に遭わされたといういろいろな話が残っています。でも、それは何より戦争が悪いのです。
いま、自分があるのは祖母を塹壕に迎え入れてくれた日本兵がいてくれたおかげだと、私は心から感謝しています。だからこそ、私は母が戦中の塹壕で生まれた話を少しでも多くの方に伝えていきたいと思っています。≫
私も沖縄でいろいろ「報じられていない」お話を伺った。悪意ある宣伝記事がはびこる中、こんなエピソードを知っていただきたく、無断転載させていただいた次第。
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